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「5万回斬られた男」福本清三さんの伝説的な「死にざま」

ペリー荻野 時代劇研究家

 福本清三さんが亡くなった。

 「日本一の斬られ役」「5万回斬られた男」――時代劇を好きな人なら、誰もが福本さんの仕事を知っているはずだ。時代劇の取材を始めて30年近くたつ私も、いろいろな場で本当にお世話になった。

 撮影所で初めて福本さんにお会いしたのは、1996年ころ。佐野浅夫版「水戸黄門」の収録現場で、浪人姿で出番を待つ福本さんたち斬られ役の方々に挨拶をしたのが最初だ。斬られ役の方々は、強面だが素顔は明るく、元気よく挨拶してくれる方が多いのだが、福本さんはにこにことしているだけ。シャイな方だなというのが第一印象で、それはずっと変わらなかった。いつも「わしの話なんか、面白くありまへんがな」と言われたが、福本さんの話はとても面白かった。

福本清三福本清三さん(1943-2021)

死体になりながら、薄目を開けて

 兵庫県出身の福本さんは中学卒業後、一度は米屋で働いたが、客に愛想よくすることがなかなかできず、昭和33(1958)年、親類の伝手で15歳の時に映画の世界に飛び込んだ。いわゆる「大部屋」である。

 「俳優になろうなんて気持ちはまったくないですよ。たまたま紹介されて会社に行ったらいきなり、お前、死体役や、死んどけって(笑)。まあ、そんな世界ですわ。メイクも自分でせえ言われてもやったことありませんから、眉毛描いたら右と左が揃わんと、ちぐはぐになって笑われてね。当時は大部屋だけで何百人もいましたから画面に映るだけでも大変です。スターさんに斬られてアップで映るのは大先輩だけ。わしらは来る日も来る日も、戦場の端で『ワーッ』と言いながら戦ってるか、死んで横たわっているかですわ」

 当時は映画全盛期。東映には片岡千恵蔵、市川右太衛門両御大はじめ、中村錦之助、大川橋蔵など、人気スターが揃い、撮影所は多忙を極めた。そんな中、若き福本さんは、死体になりながら、薄目を開けてスターや先輩たちの演技を見続け、少しずつ学んでいったのだった。

福本さんの代名詞ともいえる「エビ反り」福本清三さんの得意技「エビ反り」=2012年、東京都新宿区
 その経験は、映画が衰退し、テレビの時代になったときに大いに役に立つ。東映の
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