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日韓演劇の濃密な交流、記憶と向き合い次代へ

現代戯曲のリーディングを重ねて【下】

石川樹里 翻訳、日韓演劇コーディネーター

 20年にわたる韓国と日本の演劇交流について、ソウル在住の石川樹里さんが振り返り、考える後編です。【上】はこちら

濃密に語り合う時間が交流の核心 

 ここで日韓演劇交流の濃密さについて語ろう。

 コロナ禍によって、人と人の生身の出会いは急激に減り、かわりにリモートでの交流が増えている。いまやWEB会議ツールを使って、会議だけでなく、飲み会、台本の読み合わせ、公演の打ち上げまでできる時代になった。

 実際に私も昨年から、日本で行われる会議やセミナー、演劇の稽古にZOOMで参加した。それはそれで大変便利で、うまく活用すれば移動の手間を省いて時間と費用を削減したり、国際交流の新たな活路になるようにも感じられた。

 今回、開催されるドラマリーディングでも、公演自体はライブで行われるが、韓国の劇作家たちが参加するアフタートークはやむを得ずリモートで行われることになった。

韓国現代戯曲リーディング Ⅹ
 (文化庁・日韓演劇交流センター主催)
2021年1月27~31日、東京都杉並区の座・高円寺
 『激情万里』
  (キム・ミョンゴン作、石川樹里翻訳、南慎介演出)
 『椅子は悪くない』
  (ソン・ウッキョン作、上野紀子翻訳、鄭義信演出)
 『加害者探求ー付録:謝罪文作成ガイド』
  (ク・ジャヘ作、洪明花翻訳、西尾佳織演出)
 3本のリーディング上演とシンポジウム「これからの日韓演劇交流」

㊧2019年ドラマリーディングで上演された『刺客列伝』(パク・サンヒョン作、木村典子翻訳、川口典成演出)、㊨上演後のトークをするパク・サンヒョン(左)と通訳する筆者=奥秋圭撮影

2019年ドラマリーディングで上演された『黄色い封筒』(イ・ヤング作、石川樹里翻訳、中野志朗演出)=奥秋圭撮影
  戯曲を紹介するだけなら、これでもいいのかもしれない。しかし実を言うと、韓国の作家を囲んでの飲み会こそが、この交流の核心なのだ。

 朗読公演が終わると、公演に参加した演出家や俳優たちが、韓国から招いた劇作家を囲んで、交流会と称して飲み会を開く。そこで作品のテーマや作家の思いや経験、韓国の歴史や社会について聞き、日本と韓国の共通点や違いについて語り合う。その熱い時間こそが日韓の交流だ。

 ドラマリーディングの期間中、劇作家たちは劇場のそばのホテルに泊まっており、ほぼ毎晩、公演チームのメンバーと朝まで飲み明かすことになる。私たち翻訳者はこの席で通訳するのだが、にぎやかな飲み屋の席で明け方まで通訳していると、しまいには喉がかれてしまう。それでも苦にならないほど濃密で豊かな交流の時間なのだ。

 お互い初対面でも、戯曲や演劇という共通分母があれば、話題が尽きることはない。

 数年前、日本の30代の劇作家の戯曲をソウルでドラマリーディングした際、劇団の俳優たちが何人か自費で公演を観に来たことがある。

 公演後の打ち上げで韓国の出演者たちと日本の劇団のメンバーが飲んでいるうちに俳優の暮らしぶりの話になった。日本ではかなり人気のあるその劇団でいつもメインの役を演じている俳優が、普段は飲食店でアルバイトをしており、しかも稽古や公演のたびに休みを取るせいで、しょっちゅうバイト先をクビになるという話をすると、それを聞いていた韓国の男性俳優が泣き出した。

 「自分も役者だけど、このまま役者を続けようか、やめてしまおうか、毎晩考えるんです。役者の暮らしはたしかに苦しい。日本も韓国も同じなんですね」

 私たちが「現地でのドラマリーディングに劇作家が必ず参加すること」にこだわってきた理由がここにある。

「ワールドカップ」と国立・公共劇場の後押し

 日本の演劇界では、1980年代前半から発見の会、90年代初頭からはタイニイアリス、劇団では新宿梁山泊や青年団などが、いち早く韓国との演劇交流に取り組んできた。しかし海外との演劇交流には相当な費用がかかる。零細な民間団体がこのハードルを越えるためには公共の助成金に頼るほかない。つまるところお金の問題だ。

 その点から言うと、関係がないようでいて、実は関係が深いのがスポーツと芸術だ。

 国際的なスポーツの祭典が開催される前後には必ずといってよいほど文化芸術の国際交流にもふんだんな予算が組まれるからだ。96年に国際サッカー連盟が、2002年ワールドカップの日韓共催を決定したことにより、日韓文化交流の機運が一気に盛り上がった。

 また、95年8月15日に村山富市首相が「植民地支配と侵略によって多大の損害を与えたアジア各国の国民に痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」と戦後50周年の談話を発表したことも大きな意味を持つ。

 この談話によって、日本に対するアジア各国の警戒心は大きく緩和された。これらを受けて、当時の金大中大統領は98年に日本の大衆文化開放を段階的に進めることを発表したのである。思えば、戦後、日韓関係がもっとも平穏だったこの時期に、日韓の文化芸術交流は大きく発展した。

 第1回のドラマリーディングが2002年に開催されたのも象徴的だ。

『その河をこえて、五月』演出のイ・ビョンフン(後列左)と平田オリザ(同右)、出演したペク・ソンヒ(手前左)と三田和代=2005年の再演時に撮影
 2002年には日韓演劇交流史において、もう一つ大きな出来事があった。

 最初の本格的な日韓合作の試みである『その河をこえて、五月』(平田オリザ、キム・ミョンファ共同執筆、石川樹里翻訳、平田オリザ、イ・ビョンフン演出)が、新国立劇場(日本)と芸術の殿堂(韓国)の共同制作で上演された。

 この合作の成功により、新国立劇場は、04年『THE OTHER SIDE /線のむこう側』(アリエル・ドーフマン作、水谷八也翻訳、ソン・ジンチェク演出)、08年『焼肉ドラゴン』(鄭義信作・演出、ヤン・ジョンウン演出)、12年『アジア温泉』(鄭義信作、パク・ヒョンスク翻訳、ソン・ジンチェク演出)など、日韓の演劇人がともに作る舞台を企画制作した。

『焼肉ドラゴン』が朝日舞台芸術賞グランプリを獲得し、受賞あいさつをする鄭義信と出演者ら=2009年1月30日
 ここには芸術監督を務めた栗山民也さん(2000年~07年)から鵜山仁さん(07~10年)、宮田慶子さん(10年〜18年)に引き継がれた日韓演劇交流に対する強い意志が働いていたことは間違いない。

 そしてこれはとても重要なことだが、海外との文化交流には膨大な時間と費用がかかる。

 民間でも、韓国から劇団を招請したり、演出家を1人呼んだり、戯曲の書き下ろしを頼むくらいならできるだろう。しかし2カ国の出演者やスタッフを何人も抱えるスケールの大きい共同制作プロダクションを立ち上げるのは、大きな予算を持つ国際フェスティバルや公共劇場でなければ実現が難しい。つまり公共劇場が一定の役割を果たすことは国際交流の発展に不可欠な要素ではないかと思う。

 韓国現代戯曲ドラマリーディングも、第2回から第7回まではシアタートラム、第8回からは座・高円寺と、公共劇場の協力があってはじめて、20年間の継続が可能になったことは言うまでもない。

 1990年代後半から2000年代にかけて、日韓の演劇交流は民間と公共の熱意により活性化され、個人的なネットワークもどんどん広がっていった。

冷える日韓、政治に翻弄されても

 日韓交流の難しさは、日韓の過去の歴史が今なお清算されておらず、政権が変わるたびに歴史認識が変わるところにある。

 靖国神社参拝、歴史教科書、竹島(独島)、日本軍「慰安婦」、徴用工など、未解決の問題は山積みになっている。政治家の心無い言動がアジア各国の警戒心を刺激して、草の根の交流にまで影響を及ぼす。1995年の村山談話によって溶けかけた氷は、小泉政権で再び凍り始め、安倍・菅政権にいたって戦後最悪とも言われる大氷河期を迎えた。

 三・一独立運動100周年に当たる2019年は、日韓関係のこじれが激しくなった。その前年、韓国の最高裁が日本企業に対して、元徴用工らへの賠償を命じた。請求権問題は既に解決しているという立場の日本政府はこの判決を批判。そのことへの報復ともとれる対韓輸出管理強化措置に踏み切った。

 韓国の一般国民の反日感情が高まり、その影響が演劇にも及んだ。

 東野圭吾の小説を舞台化した『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(成井豊脚本)の韓国版公演が中止になった。

 国立劇団は、秋に上演を予定していた『氷花(ビンファ)』(イム・ソンギュ作)を急きょ別の作品に変更した。

 『氷花』は日本統治時代の1940年に、当時の日本の政策を外地(朝鮮)に普及させる「国民演劇」として書かれたものだ。これまで研究者にしか知られてこなかった「国民演劇」を批判的な視点から舞台に上げ、近代演劇史を再考察するための企画だったが、国立劇団は「最近の日本の経済的報復に対する国民の怒りと憂慮に共感し、この公演の企画意図を鑑みても今上演するのは不適切である」と判断を下した。

 韓国で行っている「日本現代戯曲朗読公演」も、こうした政治的摩擦があるたびに、助成金は取れるだろうか、公共劇場との共催は大丈夫だろうか、観客は来るだろうかと、戦々恐々としながら続けてきた。

 その一方で、2020年に日本の演劇界に巻き起こった韓国演劇ラッシュは、かなり穿った見方かもしれないが、日本の右傾化や排外主義に対して危機感を持つ演劇界内部からの異議申し立てではなかったか、と私はひそかに考えている。

 日本の演劇人たちが、これまで特に日韓演劇交流にこだわってきたのは、日本の侵略に苦しめられた朝鮮半島の人々に対する贖罪の気持ちと、加害の歴史に対する反省、保守派の歴史歪曲に対する異議申し立て、そして若い世代に歴史を正しく伝えていきたいという思いがあったからだと思う。

 だからそれは世間に言う「韓流ブーム」が起こるずっと以前に始まり、連綿と続けられ、「韓国現代戯曲ドラマリーディング」は第10回を迎えることができた。そしてこれまでの日韓交流の成果として、2020年の韓国演劇ラッシュがあった。私はそのように捉えている。

流山児★事務所が上演したコ・ヨノク作『客たち』の舞台=©横田敦史
 昨年、流山児★事務所に『客たち』の台本を提供した劇作家のコ・ヨノクさんはこう語る。

 「私の戯曲はこれまでに何作か日本語に翻訳され、日本に親しい友人たちもいます。ただ、これまで演劇交流で出会った人たちとは日韓で問題になっている敏感な部分には触れず、ただなんとなく仲良くなってきたような気もします。もしお互いに違う考えを持っていたとしても、これからはもう少し突っ込んだ話もしていかなきゃいけない。最近は反省も込めてそう感じています。特に若い人たちに出会ったら」

記憶たどり、他者を知り、一歩踏み出す交流へ

 演劇は「記憶の装置」であるとともに「他者を知る装置」でもある。

2019年ドラマリーディングで上演された『少年Bが住む家』(イ・ボラム作、シム・ヂヨン翻訳、大澤遊演出)=奥秋圭撮影
 臭いものには蓋をし、水に流して、記憶から消し去り、ありのままの過去を後世に伝えようとしない国に暮らす若い世代に、演劇を通した日韓交流をぜひ続けていってほしいと強く願う。

 他者を知り、自分を知ってもらうためには勇気がいる。真の交流とはそういうものだ。

 【上】で紹介した、2019年にリーディングで紹介され、昨年名取事務所が本格的に公演した『少年Bが住む家』は、罪を犯した少年の苦悩を描いた作品だが、私は、主人公デファンの最後の台詞に、懸命に他者に近づこうとする人間の勇気を見た。加害者の少年デファンは自分が殺してしまった少年の両親に会いに行くことを決意する。

デファン 会いに行かないと。

    ……だめよ。

デファン
 許しを請わないと。

    会ってもらえないと思うわ。

デファン
 会ってもらえるまで何度でも行くから。

    あの出来事があってから、わたしとお父さんは何回も訪ねたの。
     でも一度も会ってもらえなかったわ。あの人たちは私たちの顔さえも見たくないのよ。

デファン
 それでも会ってもらえるまでは何度でも行って謝らないと。

  (中略)

    行かないで。行っちゃだめよ。危ないから! 私たちが代わりに百回でも千回でも行って謝るから、デファンはここにいなさい。お願い。

デファン
 もっと早くこうすればよかったんだ。
     その家にたどり着くまでにとても長い時間がかかってしまった。

(『少年Bが住む家』イ・ボラム作、シム・ヂヨン訳、『韓国現代戯曲集Vol.9』より)