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幇助死の法制化で、患者と医師が最善の死について深く話すようになった

カナダ・アルバータ大学腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授・樽見葉子さんに聞く(下)

鈴木理香子 フリーライター

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらう女性(当時51)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が、女性に薬物を投与して殺害したとされる事件をどう考えたらいいのか。 

 前回に続いて、カナダ・アルバータ大学腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授の樽見葉子さん(緩和ケア医)に、MAID(Medical assistance in dying:幇助死)を合法化しているカナダの事情や自殺幇助に対する考えを語ってもらった。 

樽見葉子 札幌医科大学卒業後、麻酔科に入局。1999年にカナダ・アルバータ大学にてフェローシップ。終了後はスタッフとして在宅、急性期病院、地域がんセンターにおける早期緩和医療の臨床、研究、教育に従事している。現在、同大学の腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授。

――カナダと日本とでは緩和ケアに対する考え方が違っているのでしょうか。例えば、治療の差し控えや差し止めに対する考え方はいかがですか。

樽見 そこに関してはとても違いますね。英語で治療開始をしないことをWithhold、中止することをWithdrawalといいますが、北米の医療倫理からすると、WithholdもWithdrawalも患者さんが持つ同等の権利で、合法です。それは幇助死であるMAIDとは関係なく、1970年代にはすでにそういう扱いでした。

樽見葉子さん樽見葉子医師=本人提供
 代表的なものが人工呼吸器です。カナダでは、「ある一定期間治療してみて、あらかじめ設定した治療のゴールに見合わなければ外す」ということがよくあります。もちろんこれは患者さんと医療者の合意のもとに行わなければなりませんし、その際は苦痛を最小限にコントロールすることが大前提になります。

――それはカナダでは普通のことなのでしょうか。

樽見 私としては、それが普通だと思っています。この考え方はカナダで緩和ケアをしているなかで生まれたものではなく、日本にいたときからそう考えていました。

 むしろ、治療の差し控えや差し止めが躊躇される日本の状況は、医療倫理の観点からしたら不合理と考えます。何年かに1回、日本の緩和ケアの学会に参加しますが、そのたびに進展がないことを嘆く同僚の医師の話を聞くと、残念に思いますね。

――WithholdもWithdrawalも患者の権利ということですが、そのあたりについてもう少し教えてください。

樽見 北米の医療倫理の原点に“オートノミー(自律性)”があります。医療者は患者さんがよりよく生きるための利益を与えるのはもちろんですが、一方で、患者さんのオートノミーに基づき「されたくない」行為をしてはならないのです。患者さんが受けたくない医療を強制する権利は、医療者にはありません。

 日本の医学部では、人種や年齢、性別、社会的状況などで治療行為を差別してはいけないという医療倫理は教わりましたが、今話したようなオートノミーに基づく医療倫理の考え方――患者さんが何を求め、何を大事にしているのか、それによってどのような意思決定を支援すべきであるのか――について議論した記憶がありません。

いつ、どこで、どのように死ぬのか

――では話をMAIDに戻します。樽見さんは緩和ケア医という、MAIDにもっとも近いけれど、決して交わることのない立場にいます。この制度についてどう考えますか。

樽見 それについては、個人の意見と一般的な意見を紹介していいですか。

――もちろんです。

樽見 まずは一般的な意見、つまりカナダの医療者はどう考えているか、です。必要とするすべての患者さんに緩和ケアが提供できていない現在、MAIDに時間と医療資源を費やすより、緩和ケアの提供を強化すべきだと批判的な立場をとる医師は多いです。また、緩和ケア病棟の医師や看護師はMAIDの日を直前まで知らされず、その日が来たら急に準備をしなければならないので、他の患者さんへのケアに影響が出てしまいます。このため、MAID行為以外の現場の医療に配慮する必要があると考える医療者もいます。

――なるほど。樽見さん自身の考えは?

樽見 そもそも自殺幇助は医師がすべき行為なのか、未だ決着がついていません。確かに、患者さんの健康や病気に詳しく、倫理やモラルに関するトレーニングをしっかり受けているのは医師ですし、実際、回復の見込みのない深刻な病気かどうかが判断できるのも医師です。ですから、医師や一部の専門的な医療者以外の人が幇助死に関わることになっては困るのですが、一方で、私たちは患者さんを積極的に死に至らしめる教育やトレーニングは受けていません。患者さんを直接死に至らしめる行為が犯罪ではないとされていても、医療者がその行為をすることには強く抵抗を感じます。

――なぜ医師なのか。確かにそうですよね。

樽見 だからといって、MAIDに賛成か反対かという議論は別だと思います。緩和ケア医になって20年以上経ちますが、これまでにいろんな患者さんに出会い、いろんな死に方に立ち会ってきました。そのなかで、

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