メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

朝ドラ「おちょやん」は第1週がクライマックスだった理由

矢部万紀子 コラムニスト

 朝ドラ「おちょやん」が3月1日から後半に入った。4月と10月スタートで年2本、年度で進む「朝ドラ」のリズムが、新型コロナウイルスでずれた結果だ。前作「エール」の撮影が中断、結果「おちょやん」のスタートは2020年11月30日になった。スタート時点ではいつ終了かも発表されず、つくる方も大変だろうなあと思っていた。

 スタートから2カ月以上が過ぎた21年2月10日、5月14日が本編最終回、17日から次回作「おかえりモネ」が始まると発表された。そこから計算すると2月最終週までが前半、3月1日からが後半となる。というわけで、前半を振り返ることにする。

 結論を書くなら、一番熱心に見たのは第1週だった。見ながら、あれこれ考えた。それ以後は、「ふーん」だった。という話を書く。

 第1週、ヒロイン・千代は9歳だった。「明治の末、大阪の南河内の貧しい家」と番組ホームページにある。千代の母は亡くなっていて、代わりに千代は家事一切、五つくらい下に見える弟の面倒、小さな養鶏場という家業、すべてをほぼ一人で引き受けていた。だから学校には行っていない。父はいるが、全く働かず、朝から「おー千代、酒や酒!」などと叫んでいる。

 この週を通して考えていたのが、これは立派な「育児放棄」じゃないかということだった。千代(子役・毎田暖乃)は「親なら親らしいことさらせ」と言って、父(トータス松本)を蹴飛ばしていた。たくましい千代像という演出意図はわかったが、そんなことより「児童相談所に通報すべき」と思った。

主人公の竹井千代。子ども時代は毎田暖乃主人公・竹井千代の子ども時代(毎田暖乃)=提供・NHK大阪放送局

 菅義偉政権が誕生して2カ月半というタイミングだったことも、影響していたと思う。「自助、共助、公助」という言葉が何度も頭をよぎった。健気な千代の自助の姿、「ねえやん、おなか減ったー」と訴える弟のヨシヲを連れてお隣に行き、立派なお魚を食べさせてもらう共助の姿。でも姉弟の置かれた状況は立派な「父親による育児放棄」で、すでに公助の段階。そう思い、千代とヨシヲを保護してあげて、と叫びたくなった。

「23階の笑い」は今を生きる者に我がことと思わせた

浪花千栄子「おちょやん」のヒロイン・竹井千代のモデルになった女優・浪花千栄子さん(1907―1973)
 時代が違うことは承知している。しかも浪花千栄子さんという実在の女優をモデルにしている。千代の家庭環境は浪花さんの実人生に即したもので、それが後の彼女をつくっているに違いない。そうわかっていたし、違う子ども時代にすることは浪花さんの人生を否定することにもなるだろう。

 だが、見ているのは今。幼児虐待事件が頻発しているという現実が、重くのしかかって、主題歌さえ悲しく聞こえてきた。「オレンジのクレヨンで描いた太陽に、涙色したブルーを足したらいつも通りの空になる」という歌なのだ。これは、涙が日常だという告発じゃないかー。

 と、そんなふうに心乱れつつ「おちょやん」第2週を見ていた12月某日、芝居を見た。ニール・サイモン作の「23階の笑い」。演出・上演台本は三谷幸喜さん。ある大物コメディアンの事務所に集う、7人の放送作家の群像劇。「マッカーシズムの嵐が吹き荒れる」とパンフレットに描かれた、1950年代のアメリカのテレビ業界が描かれる。三谷流のコメディーだが、教養に欠ける日本人(私です)にはやや遠い世界。

 7人が大物コメディアンを「大将」と呼ぶのって、まるで欽ちゃんだなー。かろうじて萩本欽一さんを頭に浮かべながら、見ていた。が、後半、松岡茉優さんが演じる唯一の女性放送作家が叫ぶシーンに、心が揺さぶられた。「女としてではなく、放送作家として認められたいの」。彼女はそう叫んだ。原作のままか、三谷さんの書き下ろした台詞なのかはわからない。でも、その一言で1950年代のアメリカが、「我がこと」に感じられた。

 芝居の帰り道、「おちょやん」を思った。

・・・ログインして読む
(残り:約2402文字/本文:約4004文字)