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ヒロインは「大竹しのぶ」でなけりゃ

『つかこうへいのかけおち'83』③

長谷川康夫 演出家・脚本家

 映像で「最もつかこうへいらしい作品」といわれるNHKの銀河テレビ小説『つかこうへいのかけおち'83』をめぐる3回目。当初、筆者は脚本を依頼されていたのだが、話は思わぬ方向へ……。(1回目2回目

「長谷川は役者として出しゃいい」

 1983年、春を待つ頃、NHKのディレクター松岡孝治からの思いがけない依頼で始まった「銀河テレビ小説・特別枠」の企画は、難渋の末、なんとかプロットを局に提出するに至った。

 しかし僕の経歴を知ったプロデューサー村上慧による「だったら、つかこうへい作品は?」とのひと言で、あっさり方向転換を迫られることになる。

つかこうへい=1982年撮影
 そこで僕がとっさにひねり出したのが、つかの短編小説『かけおち』だった。そしてそれがそのまま、ドラマ企画として着地してしまうのである。

 今思えば、何の実績もないド素人の僕に、ゴールデンタイムの脚本を任せるという松岡の無謀な発想はともかく、それを受け入れ、GOサインを出した村上の懐の深さ、というより結果を恐れぬ冒険心には敬服するしかない。NHK、それも当時だから許されたのだろう。今ならまず考えられないはずだ。

 ただやっかいなのは、原作者であるつかこうへいの許諾を得なければならないことだった。僕が陰であれこれ画策したと受け取り、つむじを曲げてしまうことは、容易に予想がついた。

 ところが、期待?は見事にはずれ、村上からの連絡を受けたつかはあっさり了解する。それどころか、話は思わぬ方向に展開し、なんと脚本は自分が書くと言い出したというのだ。「長谷川は役者として出しゃいいだろう」と――。

 そんな松岡の電話を、僕はむしろホッとして聞いていた。

 「つかさん、なんだか喜んでたらしい」

 多少困惑気味に報告を終えた松岡だったが、その声はどこか弾んでいた。

「だったらオレがやる」が不快でない不思議

つかこうへい

 つか本人が自作の小説をドラマ化してくれることなど、松岡や村上にとってまるで想定外であり、瓢箪から駒といったところだったろう。NHKとしても、かなりおいしい話に違いなかった。 

 「ラッキーじゃない。一番いい形だと思う」

 答えながら、僕は心底そう思っていた。いや、自分が役者として参加することなど、そこに含まれてはいない。つかが果たして『かけおち』をどう料理するのか、正直、楽しみでならなかった。

 実はこれと似たようなことが、この15年ほど後にも起きている。

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