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初音ミク、音楽のプロも子育て中の主婦も作品発表〜奇跡の3カ月(6)「celluloid」「忘却心中」など次々と

初期から生まれ続けたいくつものオリジナル秀作・佳作楽曲

丹治吉順 朝日新聞記者

初音ミク、13年半後も届く国際便〜奇跡の3カ月(5)から続く

【読者のみなさまへ】初音ミクとボーカロイドの文化にはきわめて多くの人々がかかわり、その全容は一人の記者に捉え切れるものではありません。記事を読んでお気づきの点やご意見など、コメント欄にお書きいただけると幸いです。一つひとつにお答えすることはかないませんが、コメントとともに成長するシリーズにできたらと願っています。

10年以上という歳月を実感するとき

過去に取材した人に改めて連絡しようとしてもできないことがある。

今回の記事には3人が登場するが、2人は取材当時に使っていたメールアドレスに連絡しても返信がなかった。うち1人は「このアドレスは使われていません」と、ほぼ瞬時にメールサーバーがメッセージを返してきた。原稿執筆時点で、無事連絡が取れたのは1人だけだ。

はややさん、bakerさん、OPAさんという今回登場する3人は、いずれも2007年から活動していた人たちで、それぞれ異なる立場、経歴の持ち主。そうした人たちが個性的な作品を次々と投稿していた。

bakerさんの「celluloid」(2007年10月5日投稿のオリジナル版)

最初のはややさんの記事は2010年に朝日新聞夕刊に載ったものの再掲になる。続くbakerさんの原稿も当時執筆したのだが、諸事情から日の目を見なかった。本来この二つは対になるものとして取材・執筆したので、変則的ではあるが、この機会にそれを活かしたい。筆者としては、ようやく本来の形に戻せることになる。

2010年執筆といっても、内容の相当部分は2007年またはその延長線上の出来事だ。

キャラクター性と無関係な楽曲の隆盛

今回の記事全体の主題の一つは、初音ミクや他のボーカロイドのキャラクター性に拠らない楽曲が早期から生まれていたことを、3人とも、特にbakerさんとOPAさんが示している点だ。

2007年の初音ミクやボーカロイド現象に関して、初音ミクのキャラクター性を前面に出した楽曲が基本だったというまとめ方も時に目にするが(そして実際この連載もそうしたテーマから始めたが)、筆者はそう言い切る自信がない。キャラクター性と無関係なすぐれた楽曲も早い時期から多数生まれ支持されてきたし、何より、ゼロから始まった混沌の中から、創作をめぐるコミュニケーションの秩序が自律的に生まれてきたことの方が強い印象として残っているためだろう。

今回の記事で描くもう一つの要素は、あらゆる人に創作の門戸が開かれていたという点だ。立場も職業も年齢も関係ない作品公開の場とそれを歓迎するコミュニティが、急速に形成されていた。とはいえそれは、説明するより実例を読んでいただく方が早い。

以下、まずは過去に発表した記事の再録だ。

お母さんがつくる歌(2010年5月執筆)

「かーきくー、けーこー♪」。4歳の娘こはくちゃんが、パソコンから流れる歌に合わせて口ずさむ。

歌声合成ソフト「初音ミク」を使って、お母さんが作っている途中の歌だ。このソフトは、歌詞とメロディーを入力すれば、人間の声を基に歌声を合成し、その通りに歌ってくれる。歌詞は、「かきくけこ」を適当に当てている。

「作ってるうちに覚えちゃったんです」。愛知県豊田市に住む30代後半の専業主婦は、ネットでは「はやや」の名で知られる。動画配信サイト「ニコニコ動画」で、投稿した自作曲が注目を集める「人気作家」だ。

最も注目を集めた「夢みることり」(2008年2月5日投稿)という曲は、投稿から2年で70万回近く再生され、インディーズレーベルでCD化。テレビゲームや通信カラオケにも、自作曲が採用されている。

【鏡音リン初音ミク】夢みることり【オリジナル】(2008年2月投稿)

結婚前の本名・神谷順の名で漫画家デビュー後、ゲーム会社に転身。漫画家復帰の誘いもあったが、出産、育児を選んだ。

2007年8月、初音ミクが発売される。購入した人たちが自作曲を歌わせ、それを自作の画像などと一緒にニコニコ動画に投稿し始めた。はややさんが聴いてみると、テレビで流れても不思議ないと感じるような完成度の高い楽曲もあり、その内容は驚くほど多彩だった。

育児に手いっぱいで眠っていた創作意欲に、火がついた。すぐにソフトを購入。キッチンにノートパソコンを持ち込み、娘が遊びに熱中しているときやお昼寝の時間などに、1小節2小節と書きためた。

2007年11月、こうしてできた最初の曲「みくみく菌にご注意♪」は、投稿すると再生数は日に万単位で伸びていった。

【初音ミクオリジナル】みくみく菌にご注意♪(フルver)

ニコニコ動画は、視聴者が動画を見ながら入力したコメントが、即座に画面上に流れて表示される。投稿後には、「この歌、感染力抜群」といったコメントで画面が埋まった。それが楽しくて、また新しい歌を作りたくなった。

曲作りは自己流。伴奏のギターやドラムの演奏も、別の専用ソフトで作る。わからない点はネットで調べながら手探りで学んだ。「そんなレベルでも、気楽に始められるんですよ」

ただ、娘はますます手がかかる。来春の幼稚園入園までは、発表はお預けになりそうだ。「でも、自分のペースで作って、いつでも発表できるのは夢のよう」。いつか、娘と一緒に歌える曲をつくりたいと思っている。

パソコン1台で作品を作り、自宅からネットへと発信する。そんな、利用者が作るメディア。初音ミクは、一般の利用者に「自作曲」の世界を広げていった。(2010年5月12日朝日新聞夕刊連載「ネット激変」29回、年齢や住所などは当時のまま。文章を若干手直ししている)

コミカルで愛らしいラブソングも

この記事はアサヒ・コム(現・朝日新聞デジタル)に転載され、今も閲覧できる。リンク先には当時の写真も残っている。ネット上にあるものをあえて再録したのは、前述の通り、本来は次の記事と対になることを念頭においた文章だったからだ。

この記事で取り上げた2007年の楽曲「みくみく菌にご注意♪」は、初音ミクのキャラクター性を活かした作品だが、はややさんが同年11月6日に投稿した「ぴんぽんだっしゅ」は、キャラクター性に依拠しないコミカルなラブソングだ。はややさんらしい愛らしさとユーモアが前面に出ている。

【初音ミクオリジナル】ぴんぽんだっしゅ!

次が、長い間お蔵入りになっていたbakerさんの原稿になる。

「かつての自分」と決別して(2010年5月執筆)

はややさんが「テレビで流れても不思議ない」と評した曲は「celluloid(セルロイド)」(2007年10月5日投稿)。今もこれを初音ミクの代表曲に挙げるファンは多い。

作者はbakerさん、川崎市に住む20代後半の男性だ。1990年代末、アマチュア向けの音楽公開サイトが開設され、利用が広がった。作者が投稿した音楽ファイルを、聞き手が自由に聞ける。その初期から作品の発表を始めた。ネットで活動するクリエイターの草分けだ。「家にいながら人に曲を聞いてもらえたのは画期的。音楽仲間もずいぶん増えました」

「celluloid」(2008年6月のリテイク版)

就職氷河期世代。専門学校で音楽を学んだが勤め先がない。リサイクル店や深夜のコンビニで働きながら、音楽仲間らに紹介されて、ゲーム音楽や声優向けの歌の編曲を地道に続けた。

だが挫折する。取引先や仲間とのすれ違いやトラブルに疲れ、生活に追われて創作も滞った。いっそ音楽をやめようと静岡の実家に帰り、事務仕事に就いた。

でもあきらめ切れなかった。約1年後の2007年春、音楽友達に誘われ、「一度やめたのに格好悪いな」と思いながら再上京。その夏に初音ミクが登場する。軽い気持ちでニコニコ動画に投稿したのが「celluloid」だ。たちまち数万再生。「今までの反響とけたが違う。怖いほどでした」

同じころ、テレビのバラエティ番組が初音ミクを「オタクのおもちゃ」とからかうように放送した。「見返すような曲を作る」とブログで宣言したのがプレッシャーになり、10曲くらいボツにして、ようやく次作「サウンド」(2007年11月21日投稿)を完成した。

「サウンド」 song by 初音ミク

「人の期待を意識しすぎて、格好をつけてしまう」と自分で思う。ボーカロイド曲の制作も、自分の創作意欲以上に、期待に応えなければという思いが強かった。そんな姿勢に疑問を感じ、2008年6月、ボーカロイド創作引退を表明する。

そんな「格好つけすぎる自分」との決別は、思わぬ形でやってくる。10年前からネットで曲を発表し合っていた仲間が2009年6月に急死した。東京に戻ってきたとき偶然再会したが、「一度やめた自分を彼がどう見てるのか気になって、ちゃんと話さなかった」。機会はいつでもあると自分に言い聞かせていた矢先だった。

今できることを精一杯しよう、逃げるのはやめよう──そう思った。数カ月後、ボーカロイド創作に復帰する。「やれることを自然にすればいいと思うようになったんです」

アルバム「filmstock」アルバム「filmstock」

ボーカロイド曲で構成したアルバム「filmstock(フィルムストック)」(ビクターエンタテインメント、2009年11月発売)は、「君は同じ空を見て何を想う」と歌う作品「同じ空」に始まり、「見落としたそこに君とは違う空」と歌う作品「違う空」で終わる。「これはその経験が?」と尋ねると、「それは察してください」と静かに目を伏せた。(2010年5月執筆、年齢や住所などは当時のまま)

自ら撮影した映像を色調補正して編集

はややさんが筆者に語ったとおり、「celluloid」と「サウンド」は、この時期の初音ミクの代表曲の一つと言っていい。どちらの作品も、動画には初音ミクのキャラクターイメージは一切登場せず、初音ミクが自分を指す「私」という一人称もない。色調補正された都市の風景やギター演奏などの実写映像が、断片的に散りばめられながら映し出される。bakerさん自身が携帯電話(当時のフィーチャーフォン)で撮影、編集したこの映像演出もまた、それぞれの曲想にぴったりで、視聴者から高い評価を集めた。

はややさんとbakerさんの2人だけを見ても、作り手側の経歴や境遇は全く違っている。これは別に珍しいことではなかった。年齢も職業も大きく異なる人々が、同一の場に多数集まり、同じ立場で作品を発表する。パソコン通信とインターネットの登場で徐々に始まっていたものが、数十万単位の人に共有されるようになる。そういう変化の時代が始まっていた。

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