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結婚披露宴を自作自演したつかこうへい

『つかこうへいのかけおち'83』⑧

長谷川康夫 演出家・脚本家

 つかこうへいの映像作品の中で、最も「つからしい」とされるNHKドラマ『かけおち'83』。その制作過程を振り返る8回目です。前回はこちら

あの頃、つかが絶好調だった理由

 1970年代から80年代にかけ、ほぼ10年と少し、僕は若きつかこうへいの舞台や映像作品、また小説やエッセイなど活字の仕事を間近で見てきたが、それぞれの場面での好不調は、やはりあった。

 というより、つかの場合はその作品に向かう「ノリ」や「テンション」のようなものが、かなりわかりやすく結果に出てしまうのだ。小説などでは、途中嫌気がさし、ほっぽり出してしまうことも少なくなかった(たいてい何年か後には形になるのだが)。

 そんな意味で、『かけおち'83』というドラマに臨んだときのつかの調子は、たぶん飛び抜けてよく、何よりそれが作品の出来に繋がったのだと、僕は今になって思う。

 そして時期を考えると、つかのこのドラマに対する「やる気」のベースに、生駒直子との結婚があったような気がしてならない。まぁ、勝手な思い込みと笑われるかもしれないが。

つかこうへい=1982年撮影

結婚式にかけた、つかの情熱

 つかこうへいと生駒直子の結婚式は、1983年の4月24日、つかの誕生日に行われた。僕の記憶は少々曖昧だったので、直子本人に確認している。

 昼過ぎにカトリック神田教会で挙式し、そこから芝の東京プリンスホテルに場所を移して、夜が披露宴だったと思う。

 東プリ最大の宴会場に数百人の参列者が集う大パーティーだったが、そんな一日限りのイベントにかけるつかの意気込みは、並々ならぬものがあった。そう言い切れるのは、そこでの司会を僕が務めたからだ。

 役目を言い渡されたのはごく早い時期で、準備を進めるつかとの打ち合わせは長い期間に及んだ。

 開会の挨拶から、司会者としての自己紹介、以下、会を進行する台詞などが、すべてつかから〝口立て〟で伝えられ、そこに僕がさらに細かく言葉を足していくという連日の作業は、あたかも芝居の稽古場そのままだった。違うのは、他に誰もいない一対一の関係で行われたことだ。

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