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『アタック25』はなぜ終わることになったのか?~そのクイズ番組史的意味

太田省一 社会学者

 先日、『パネルクイズ アタック25』(朝日放送テレビ、テレビ朝日系)(以下、『アタック25』と表記)が今年2021年9月をもって、レギュラー放送を終了することが報じられた。このニュースに、ネットなどでも多くの惜しむ声が上がっていた。

 なんと言っても『アタック25』は、1975年4月に放送を開始した46年余に及ぶ長寿番組。クイズそのものもさることながら、オセロゲームを模した25枚のパネルをめぐる陣取り合戦の面白さもあって、長年のあいだ視聴者に親しまれてきた。また初代の総合司会だった俳優・児玉清が番組中で発する「アタックチャンス!」のコールは、博多華丸の物真似が人気を博したこともあって、番組の代名詞になった。現在の総合司会は、同じく俳優の谷原章介が務める。

「さあ、大事なアタックチャンス」と、ポーズを取る「パネルクイズ アタック25」の司会者・児玉清(右)とアシスタントの沢木美佳子=2004年、撮影・朝日新聞社


「アタックチャンス!」と、ポーズを取る『パネルクイズ アタック25』の司会者・児玉清(右)とアシスタントの沢木美佳子=2004年、撮影・朝日新聞社

 さて一方で、いまのテレビ全体に目を向けてみると、実にさまざまなクイズ番組、クイズ的な演出を施した番組が放送されている。極論すれば、クイズ要素のない番組を探すのが難しいほどだ。ではなぜ、日曜午後のひと時の定番娯楽番組として親しまれてきた『アタック25』は終了することになったのか? クイズ番組の歴史を紐解きながら、その背景を考えてみたい。

視聴者参加型クイズ番組の系譜

 テレビの歴史は、クイズとともにあると言っても過言ではない。つい答えを考えたくなるクイズは、視聴者の興味を引くのに手っ取り早い方法なのだろう。

 テレビ草創期からすでに、身振り手振りを見て答えを当てる『ジェスチャー』(NHK、1953年放送開始)のような人気番組があった。柳家金語楼や水の江瀧子など芸能人がチームに分かれ、競い合う。長寿番組だった『連想ゲーム』(NHK、1969年放送開始)なども、クイズの内容は異なるものの、その点は同じである。

NHK『ジェスチャー』の司会者・小川宏アナ(中央)をはさんで話をする柳家金語楼(左)と水の江瀧子=1961年NHK『ジェスチャー』の司会者・小川宏アナ(中央)をはさんで話をする柳家金語楼(左)と水の江瀧子=1961年

 一方でクイズ番組には、視聴者参加型のものがある。このタイプの人気番組も、『クイズグランプリ』(フジテレビ系、1970年放送開始)など数多くあった。クイズの形式としては、雑学的な一般教養の知識を競う早押しクイズである。

 さらに同時に、テレビならではの視覚的な面白さに訴えるゲーム性を前面に出したものも、盛んに制作されていた。解答者席が滑り台になっていて、間違えるとその台が少しずつ上がっていき、解答者が台から落ちると失格になる『ダイビングクイズ』(毎日放送、NET[現・テレビ朝日]系、1964年放送開始)、1分間で計12問のクイズに答え、正解が3問以下だと解答者の椅子がぐるぐる回る『クイズタイムショック』(NET[現・テレビ朝日]系、1969年放送開始)などが、それに当たる。

 早押しクイズにオセロゲームの要素を加えた視聴者参加型番組(芸能人大会が開催されることもあるが)の『アタック25』は、両者を融合させたものと言える。そしてこのスタイルは、『アタック25』も始まった1970年代にはクイズ番組の王道になった。たとえば、福留功男の司会で1977年に第1回が放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)も、解答者がアメリカを横断しながらさまざまなクイズを勝ち抜いていくというスケール感は類を見ないようなものだったが、視聴者参加型で早押しクイズが基本という点では、ベースは変わっていない。

クイズがマニアックになり始めた1990年代

 このトレンドは1980年代以降も根強かったと言える。だが、1990年代に入ったあたりから少しずつ変化も見え始めた。

 まず、クイズの内容が、一般教養的な知識を問うようなものからマニアックな方向に向かい始めた。

 『カルトQ』(フジテレビ系、1991年放送開始)などは、その草分け的番組だ。

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