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実録:沢村豊子師匠コロナ感染のてんまつ【上】

突然38.8度の熱が、あれほど注意していたのに……

玉川奈々福 浪曲師

着信履歴に血の気が引いた

 2021年8月20日、お昼の12時。

 私は池袋にいた。

 ジムで少し汗を流して、表に出て、携帯を開いてぎょっとした。

 着信履歴が、9回。

 私の三味線を弾いてくれている、沢村豊子師匠(84歳)の三番弟子、まみさんからの着信が8回。

 同じく曲師であり、亡きうちの師匠のおかみさんである玉川みね子師匠から1回。

 もう、ひとめ見て緊急事態である。

 それも、まみさんから8回ということは、豊子師匠の身に何かあったに違いないのだ。

舞台で三味線を弾く沢村豊子=御堂義乗撮影
 膨大な着信履歴……15年前がフラッシュバックした。

 私の師匠、玉川福太郎が亡くなった日のことだ。

 午前中の会議を終えて、携帯を開いたら、みね子師匠と豊子師匠から、膨大な着信履歴が残っていた。

 ……あのときと同じ。

 血の気が引いた。

 まみさんからショートメールも届いている。開くと、

 「奈々福師匠、緊急です!豊子師匠が発熱しました!」

 嗚呼。

 留守録1件。みね子師匠だった。

 「お師匠さん(豊子師匠)がね、38度8分もあるんだよ。またかけます」

 まみさんに電話。

 豊子師匠は、美容院に行っている最中に「ぞくぞくするんだよ……」と訴えて、発熱発覚。幸運だったことは、そばにみね子師匠がいてくださったことだ。みね子師匠が、即、お弟子のまみさんに電話。まみさんが速攻で発熱外来を予約し、みね子師匠(ワクチン2回接種済)につきそわれて、まもなく病院に着くころだろうという。

 豊子師匠は平熱が低い人だ。その人が38.8度。

 尋常じゃない。

「研辰の討たれ」奉納上演前日に

稽古する沢村豊子(右)と筆者=東京都台東区の浪曲協会

 その前々日、豊子師匠と私とまみさんは一緒にお稽古をしている。そのときも「ちょっと寒いんだよ」と、暑いさなかに毛糸のベストを着ていた……あのとき、すでに発熱していたのかもしれない。気づいてあげられなかった。ああ、どんなに辛いだろう、不安だろう。泣きそうになる。

 この日。豊子師匠と奈々福とまみは、翌日、浅草の西徳寺さんで開かれる、「玉川奈々福の『研辰の討たれ』を聞く会」のために、14時から、当日の会場である西徳寺本堂にてお稽古する予定になっていた。

 「研辰の討たれ」は、大正14年に書かれた歌舞伎台本を、野田秀樹さんが十八世勘三郎丈のために、脚色され、大ヒットした演目である。

 それに惚れ込んで、許諾を得て浪曲化した私は、浪曲化当初より、勘三郎丈の墓所のある西徳寺さんのご本堂で、勘三郎丈に奉納上演したいと願っていた。ご縁のある西徳寺さんにお願いして、やっと実現にこぎつけたものだった。

 その念願の会の、前日のことである。

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