「読書の悪口」「家のなかに面出しコーナー」「挫折した本の墓場」……
2021年09月28日
感染者数が減りつつあるとはいえ、新型コロナの勢いは依然としておさまらない。したがって、放っておけば気持ちはなんとなく沈んでしまいがちだ。けれど、ふさぎ込んでも仕方がない。秋になったことでもあるし、自分の時間にゆっくり読書を楽しもう──。
こんな考え方を軸として、前回は去る7月に刊行された拙著『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(PHP文庫)をご紹介させていただいた。
「フロー・リーディング」のススメ──“コロナの秋”の読書術(上)
読書に関しては、「昔と違って読めなくなった」「読書ペースが落ちてきた」「読んだはしから内容を忘れてしまう」などのコンプレックスを抱いてしまいがちだ。しかし、そもそも「読めなくなって当たり前」「ペースが落ちても当たり前」「忘れるのも当然のこと」と考えるべき。
したがって「遅読家」であるという原点に立ち戻り、楽な気分で心地よい読書スタイルを身につけよう。そもそも、その読書は自分のためのものなのだから。
詳細については前回の記事をご確認いただきたいが、簡単にまとめるなら、それがお伝えした私の主張である。速く読んだりすべてを記憶したりすることが目的なのではなく、その読書を“楽しむ”べきなのだから。
そう、SNSやネット動画が楽しいのと同じように、読書だって本来は楽しいものなのだ。なのに、「読まなくては“ならない”」「時間をかけては“ならない”」「忘れては“ならない”」という感じで“ねばならないこと”に縛られすぎてしまうから、楽しいはずの読書が修行のようになってしまうのである。
ところが、ここでまた新たなハードルが目の前に立ちはだかることになる。「自分が読めないくせに、子どもに読書をすすめることなどできない」という、「そりゃそうだよなあ」と感じるしかない正論である。
では、どうすれば親も子も読書を楽しめるようになるのか? そのための提案をしたのが、私の新刊『読書する家族のつくりかた 親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書)だ。
私が訴えようとしていることはきわめてシンプルだ。
大人が「読めない状態」にあり、子どもも読書に肯定的になれないのだとしたら、親と子は“読書に肯定的になれない”という思いを共有していることになる。しかも、親には多少なりとも「子どもを正しく導かなければならない」という義務感があるから、無意識のうちに「読まないのはけしからん」「読みなさい」と上から語ってしまいがちである。
だが、そういう大人が読めない状態にあるのであれば、説得力など生まれるはずもない。
だからうまくいかないのだが、それは「親だから、こうあるべきだ」というようなイメージに縛られすぎているからだ。しかし、自分がどのような理想を掲げていようが読めないのは事実なのだから、矛盾が生じるようなやり方は避けるべき。具体的にいえば、頭ごなしに決めつけたり押しつけたりするようなことはしないほうがいいのである。
だとすれば、「じゃあ、どうしたらいいのか」という問題に直面することになるだろう。そこで選択すべきが、「本、読めないよね」という思いこそを家族間で共有することだ。親としては認めたくないことを認めることになってしまうのかもしれないが、読めないという事実が厳然としてある以上、どれだけ取り繕っても無駄である。
そこで双方が抱いている同じ悩みこそを共有し、あえて開きなおって「読めない」という事実を受け入れ、「では、これからどうしたらいいのか」について親子ともども考えてみればいいのである。
ちなみに、少し話はそれるが、親の責任は他の場面においても問題化することがある。そのいい例が“スマホ問題”だ。それは私自身が強く感じていることでもある。
いま高校1年生の娘は小学生時代から本が好きで、放っておいても日に2冊も3冊も読んでしまうような子だった。だから、その時点で彼女に関する読書の悩みは皆無だった。ところが中学生時代にスマホを与えた結果、まったく本に関心を示さなくなってしまったのである。
それは親にとってショッキングな出来事であったが、しかし
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