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小劇場に行列、芝居がオシャレでフツーだった頃

1980年代の「ブーム」を振り返って【上】

横内謙介 劇作家・演出家・劇団扉座主宰

劇団を旗揚げした時代は

 その昔、「an・an」「non・no」 などオシャレ雑誌にも演劇紹介のページがあったものじゃ。あまたの若者たちが、芝居を観ることをフツ―に楽しみにし、どの小屋の前にも大行列が出来ていたものじゃ。

 そう言って、若い人たちを驚かせている時、自分はもはや一昔前の芝居者なのだと感じる。

 今、大規模なミュージカルや2・5次元の舞台でもない、下北沢や中野辺りで日々やられている小さな公演が演劇界を超えた一般社会で話題となり、観客が押し寄せるなんてことは皆無だ。

 小さな公演の客席に座っているのは、主に演劇人たち。演劇人が上演側と観客側を代わりばんこに担い合って完結している。顔見知りしか劇場にいないタコツボ状態を脱さない限り、演劇界に明るい未来はないと皆分かっているけれど、残念ながら、「an・an」「non・no」時代が終焉して以来、この無限ループが続いている。

 1980年代、突然、演劇の大流行が巻き起こった。それは映画、テレビの有名人とか、大金が投じられた派手な公演からではなく、地下室や雑居ビル、アパートなどを改造して作られた小劇場空間で、世間的には無名の若者たちのグループによって上演されたものが中心で、世に小劇場ブームと言う。

 私たちが劇団を旗揚げしたのが、その真っ盛りの時だった。

劇団善人会議(現・扉座)の旗揚げ公演で上演した『優しいと言えば、僕らはいつもわかりあえた。』(横内謙介作・演出)

アングラが演劇の価値観を変えた

 このブームに先行するムーブメントとして1960~70年代のアングラ演劇の隆盛がある。

 アングラの旗手、寺山修司、唐十郎、佐藤信らは既成の演劇スタイルに反旗を翻し、ありきたりの劇場を飛び出すことから独自の表現の確立を目指した。それが野外やテント、文字通りのアンダーグラウンド=地下室などの新しい上演空間を次々と生み出し、演劇の可能性を大きく広げていった。

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