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必見! 『ONODA 一万夜を越えて』──反英雄の愚直な“30年戦争”

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 太平洋戦争末期の1944年、フィリピン・ルバング島に派遣され、終戦後も約30年間にわたり遊撃戦(ゲリラ戦)を続け、74年に日本に帰還した旧陸軍少尉、小野田寛郎(おのだ・ひろお:1922~2014)。「最後の日本兵」と呼ばれた彼の孤独な戦いを、フランスの新鋭監督アルチュール・アラリが映画化した。実話をベースにしつつも、アラリがユニークな着想によって脚色した傑作、『ONODA 一万夜を越えて』であるが、見事なのは、ジャングルで戦い続けた小野田の愚直なまでの一途さを、アラリが戯画として滑稽化するのでもなく、英雄として美化するのでもなく、いわば奇妙な“異人”を観察するような絶妙な距離感で描く点だ。

 よって観客も、日本の敗戦をかたくなに<否認>するかのように戦闘を継続する小野田に、あるときは感情移入し、あるときは違和感を覚えるが、ともかく174分間、彼の言動から一瞬たりとも目が離せない(ここで言う<否認>とは、なんらかの<認知のゆがみ>のせいで、客観的な事実を受け入れようとしない心の動きを指す精神分析学の用語)。

『ONODA 一万夜を越えて』 全国公開中 配給:エレファントハウス ©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma『ONODA 一万夜を越えて』 全国公開中 配給:エレファントハウス ©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

 なお青年期/前半の小野田を遠藤雄弥が、壮年期/後半の彼を津田寛治が演じるが、この二人一役のアイデアも効いている。着任後まもなく米軍の襲撃を受け、自らが率いる小隊を壊滅させられ動揺する若い小野田の内面を、感情の起伏が読み取りやすい演技で演じる遠藤雄弥。それに対し、少数の部下とともにルバング島で過酷なサバイバルを経験していく壮年期の小野田を、津田寛治はおおむね、感情の動きがわかりにくい無表情で演じる。そして小野田が、最後の部下にして戦友であった小塚金七上等兵(千葉哲也)を失い、無為と孤独に苦しめられ、次第に虚脱したような様子になる終盤においても、津田は小野田の内面を表す<顔の演技>を最小限にとどめる。

 この無表情(表情の零度)ゆえ、彼が慟哭(どうこく)するシーンはかえって観客の意表をつく。巧みな反=心理主義的な演技設計だが、映画ジャーナリスト・林瑞絵のインタビューの中で、アラリは意図的に顔の大仰な芝居による感情表現を避け、役者の顔に不用意にカメラを寄せずに、引きのショットの長回しを多用した、という意味の興味深い発言をしている(「『ONODA』アラリ監督に聞く~「小野田寛郎は神話を生きた複雑な人物」」論座)。フィルム・ノワール(犯罪ミステリー)の秀作『汚れたダイヤモンド』(2016)で長編デビューしたアラリの、類いまれな演出力にあらためて感服する。

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

孤独な“戦争”を続行させた<洗脳>による呪縛

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

 ところで小野田は、<国家=天皇のために自己を犠牲にして尽くす>、という戦時中の滅私奉公精神を典型的に体現した大日本帝国陸軍軍人であり皇軍兵士であった(映画では描かれないが、小野田は帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ)。

 しかし彼は、ある意味で、イレギュラーな<戦争機械>でもあった(ここで言う<戦争機械>とは、戦闘用に身体的・心理的訓練を受けた戦闘員を指す)。というのも、高所恐怖症のため特攻隊員の資格を得られなかった小野田は、陸軍中野学校二俣分校に入学し、残置諜者(ざんちちょうしゃ:戦地にとどまりスパイ活動を行なう者)、および遊撃戦(ゲリラ戦)指導の任務を与えられ、当時アメリカの植民地であったフィリピンに派遣されたからだ。

 つまり彼は、非正規軍的戦闘(ゲリラ戦・パルチザン戦争という“秘密戦”)を行なう訓練を受けた情報将校としてルバング島に着任したのである。そして本作のキーパーソンの一人である、陸軍中野学校の上官、谷口義美元少佐(イッセー尾形、好演)は、当時の日本軍の戦陣訓とは真逆の、「君たちには死ぬ権利はない。玉砕、自決は絶対禁止だ、死ぬことはまかりならぬ、ヤシの実を齧(かじ)ってでも生き延びよ、スパイになっても生き残れ」という意味のメッセージを、小野田らの脳内に深くインプットする。

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

 本作の急所と言っていいほど、この谷口による小野田の<洗脳>シーンは重要だ。以後、小野田が孤独な“30年戦争”を愚直に続行するのは、この谷口の洗脳による呪縛が解けなかったからである。この洗脳/被洗脳の関係は、麻原彰晃とサリン実行犯のそれに酷似しているように思える(もっとも、当時は日本人の多くが“天皇教”=忠君愛国思想に洗脳されていたわけだが)。

 しかも、徹底抗戦によってフィリピンを防衛せよ、絶対に迎えに来るから、と対米サバイバル戦思想を小野田に吹き込んだ当の谷口は、戦後ひっそりと古本屋を営んでいた。敗戦後、戦中に信奉していた大義を捨て(裏切り)、民間人に“転向”した谷口元少佐のもとを訪れた鈴木紀夫(仲野太賀)──小野田をルバング島で発見し彼の日本帰国に尽力した冒険家の青年──が、彼に小野田さんを帰還させてください、と説得するところは、鈍いサスペンスを放つ異様な場面だ。

 そこで鈴木と対面する、かつてのカリスマ性がすっかり影を潜めた谷口は、やや困惑した様子で、小野田のことは何も知らない、何も覚えていないと言いつのる。

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 もとよりスパイ養成学校の幹部であるゆえ、その谷口の応答が演技(虚言)なのか否かはわからないが、しかし彼はやがて、

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