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寺山修司、「ミュージカル作家」の顔

執筆から58年の時を経て、新作『海王星』上演

笹目浩之 プロデューサー、ウルトラポスターハリスター

 寺山修司が書いた音楽劇『海王星』が初めて上演されている。世を去って40年近くたってもなお、「新作」が誕生する不思議なクリエーター、テラヤマ。その魅力と永遠の新しさの背景、そして、寺山の「ミュージカル」への深い関心を、作品の「守り人」であるテラヤマ・ワールド代表、笹目浩之さんが案内する。(構成・山口宏子=朝日新聞記者)

若き日の寺山修司、急激に広がった創作

 「寺山修司」と聞くと、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり」という短歌を思い浮かべる人が多いかもしれません。長く国語の教科書に掲載され続けている代表作です。

寺山修司(1935~83)
 寺山は歌人として世に出ましたが、その47年という短い生涯で、実に多くの作品を書きました。そのジャンルも、短歌、俳句、詩、シナリオ、戯曲、映画、エッセイ、評論、小説……、本人が「職業は寺山修司」と言っていたように、その創作活動は一言では表せない、幅の広さです。

 そんな寺山の活動の中で、演劇は大きな柱の一つでした。

 1967年に「演劇実験室◉天井棧敷」を旗揚げし、その名前の通り、実験的な舞台を次々と発表しました。60年代から70年代にかけて大きなうねりとなった「アングラ演劇」を代表する一人で、現代演劇史の中で燦然と輝く存在です。

 その作品には音楽が多く盛り込まれ、寺山自身は「ミュージカル」への思いを強く持っていたことがうかがわれます。寺山は「ミュージカル作家」でもあったのです。

 そこへ至る道筋を、その人生の歩みをたどりながら紹介したいと思います。

 寺山は、18歳で「短歌研究」新人賞特選を受賞し、歌壇に鮮烈なデビューを果たしました。早稲田大学1年生の時です。その翌年、ネフローゼを発病、生死の境をさまよい、入院生活は4年にも及びました。それでも病床から作品を発表し続け、21歳の時に作品集『われに五月を』を刊行しています。病室では、ジイド、スタンダール、ロートレアモン、バタイユ、カフカ、鏡花、マルクスなど、多様な世界の文学作品や論文を読みふけり、気になった言葉をノートに書き写していました。この時に記した数多くのノートが、その後の創作活動の源になってゆきます。

 58年夏、ようやく退院した22歳の寺山は、堰を切ったように多彩な創作活動を始めます。

 作家として初めて世に認められたのはラジオドラマのシナリオでした。ここで寺山は言葉と音、音楽でいかに表現するかを実戦で学びながら、腕を磨いていったのです。ドラマの音楽を手がけていたのは、武満徹、湯浅譲二、黛敏郎といった日本の現代音楽を牽引する才能たち。演じたのは俳優座、文学座、民藝など、当時の演劇界の中心だった新劇団の実力派の俳優たちです。

 60年には、暗黒舞踏の創始者である土方巽とも作品を発表しています。同じ年、劇団四季に長編戯曲『血は立ったまま眠っている』を書き下ろし、篠田正浩監督の映画『乾いた湖』のシナリオを手がけています。寺山の創作は、詩歌から、シナリオや演劇へと、ものすごい勢いで広がっていったのです。

 しかも、その初期から、前衛と保守王道、両方の逸材と仕事を共にしていました。日本の芸術を支える人々との交流は寺山にとって大きな刺激となったはずです。

 そうした中から生まれたのが、今年初めて上演される『海王星』です。

双子の一方だった『海王星』

 『海王星』には、双子のきょうだいと言うべき作品があります。63年初演『青い種子は太陽のなかにある』です(この戯曲は、2015年に蜷川幸雄演出、松任谷正隆音楽、亀梨和也、高畑充希らの出演で上演され、注目されました)。

 勤労者の演劇鑑賞団体である「関東労演」からの依頼で新作劇の執筆を始めた寺山は、二つのモチーフを含む作品を構想しました。一つは「日招き伝説」。もう一つはフランスの古典劇「ミドリダート」です(※)。

 書き進めているうちに、もとの構想は二つに分かれ、「日招き伝説」を中心とした『青い種子は太陽のなかにある』と、「ミトリダート」を下敷きにした『海王星』という2本の作品が完成しました。

(※)「日招き伝説」は平清盛が沈む太陽を呼び戻したという言い伝え。いまの広島県呉市に、海峡の開削工事を命じた清盛が、難工事があと少しで完成という時に日が没したため、扇をかざして太陽を招き戻したという伝説が残っている。「ミトリダート」は17世紀のフランスの劇作家ラシーヌが書いた悲劇。古代ローマと戦う東方の国の王と王子が一人の女性を愛する物語だ。 

 『青い種子は~』は、工事現場での事故の隠蔽や、貧しい人々が暮らす地域の立ち退き問題など当時の社会を反映した要素が多い作品になりました。おそらく、公演の製作主体だった労音は、体制批判を含む『青い種子は〜』を上演作品に選んだのでしょう。より文学的なもう一方の『海王星』は上演機会を失ったまま、戯曲集に収まることになったのだと思われます。

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