メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

大塚康生さんの一周忌に思う──大工原章さんとの知られざる師弟関係

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師

大塚さんの追悼が止むことがなかった1年間

 2021年3月15日、日本を代表するアニメーター大塚康生さんが89歳で亡くなった。この1年間、各所で大塚さんの功績を振り返り追悼する声が止むことはなかった。

大塚康生さん=2012年大塚康生さん=2012年

 2021年6月28日には関係各社の協力と協賛のもと、東京・杉並公会堂で「大塚康生さんを偲ぶ会」が開催された。

 2021年10月30日〜11月8日に開催された第34回東京国際映画祭(TIFF)では、「アニメーター・大塚康生の足跡」と題された特集で『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)と『じゃりン子チエ』(1981年)が上映され、それぞれアニメーターの月岡貞夫さんと美術監督の山本二三さんによるトークショーが開催された。また、関係者によるトークショー「マスタークラス アニメーター・大塚康生の足跡」もオンラインで配信された。

 2022年2月5日にはASIFA(国際アニメーションフィルム協会)ハリウッド支部により、昨年亡くなった世界のアニメーション制作者を追悼する催し「Afternoon of Remembrance」が行われ、大塚さんの業績が顔写真と共に紹介された。

 第45回日本アカデミー賞では大塚さんが会長特別賞に選出され、来る3月11日に受賞式が行われる。映画産業に貢献した故人に贈られる同賞をアニメーターが受賞するのは初めてだ。アニメーション制作に携わる者としても高畑勲監督以来となる。

 東京・池袋で開催される「東京アニメアワードフェスティバル2022(TAAF2022)」では、3月12日・3月13日の両日にわたり「大塚康生追悼企画」が開催される。代表作『未来少年コナン』(1978年)2話の上映、関係者による3時間にわたるトークショーなども催される(チケットは予約制)。

大塚康生追悼企画『未来少年コナン』―大塚康生のアニメーションは、何故私たちを魅了し続けるのか―
3月12日(土)15:00〜16:30
池袋シネマ・ロサ
登壇者/安藤雅司、竹内孝次、叶精二

大塚康生追悼企画ー大塚さんを語り尽くすー

3月13日(日)17:30〜20:30
としま区民センター6階 601・602会議室
登壇者/竹内孝次、叶精二、イラン・グエン、片渕須直、富沢信雄、友永和秀、本多敏行
無料(オンライン配信を予定)

 また、「東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム」では追悼展が開催される。

「伝説のアニメーター 大塚康生さん 追悼展」
3月30日(水)〜5月17日(火)
入館料 無料

 筆者は数多くの追悼記事、ラジオ番組、上映イベントなどに関わってきた。その都度、大塚さんの開拓された技術や後進への影響の大きさを痛感せざるを得ない。大塚さんご自身は日本のアニメーションの先駆者である諸先輩たちへの深い敬意をお持ちの方だった。一周忌の機会に大塚康生さんとの数ある思い出の中の一つを振り返って記しておきたい。

大塚康生(おおつか・やすお)
1931年生まれ。1956年、東映動画入社。『白蛇伝』(1958年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)などの原画、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『ルパン三世』(1971年)、『未来少年コナン』(1978年)、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、『じゃりン子チエ』(1981年)の作画監督を歴任。幾多のスタジオや専門学校で後進を育てた。2021年3月15日死去。2002年文化庁長官賞、2019年日本アカデミー賞協会特別賞受賞。著書に『作画汗まみれ 改訂最新版』『大塚康生画集──「ルパン三世」と車と機関車と』など。

大塚康生さんの世界

大工原章さんとの再会を切望していた大塚さん

 大塚康生さんは新人時代に指導を受けた先輩アニメーター大工原章さん[1917年〜2012年]を大変尊敬していらした。

 大工原さんは森康二さん[1925年〜1992年]と共に東映動画(現東映アニメーション)の創設を支えた古参アニメーターであり、初期長編を主力で支えた功労者だ。

 日本初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』(1958年)では一人で全編の半分以上の原画を描き切り、『少年猿飛佐助』(1959年)では演出と原画を兼任した。晩年はスタジオカーペンター代表としてテレビシリーズにも関わった。いわゆる「アニメブーム」が脚光を浴びるようになった1970年代末には既に第一線を退かれていたこともあり、大工原さんの取材記事や資料は極端に少ない。


左から大塚康生さん、大工原章さん、森康二さん。1959〜1960年頃、東映動画にて。(大塚さんのご家族提供)左から大塚康生さん、大工原章さん、森康二さん=1959〜1960年頃、東映動画にて、大塚さんのご家族提供

 大塚さんの特徴であるダイナミックなアクション作画は、師である大工原さんの作画を独自に発展させた側面がある。大塚さんは「大工さん(大工原さんのニックネーム)が試みた奥から手前に人物を振り回す“深い空間”の作画は、平面的な横移動を多用しがちな日本のアニメーションにおいて革新的なものだった」──とよく語っていらした。

 私は頻繁にお二人のご自宅でお話を伺う機会に恵まれた。その成果の一部は拙著『日本のアニメーションを築いた人々』(2004年)にまとめたが、以降も親しくお付き合いをさせていただいた。

 大塚さんは、度々「自分が今あるのは大工さんのお陰。その御恩を忘れたことはない」と語っていた。大塚さんは大工原さんとは何十年も会えておらず、再会を望んでいらした。私は大塚さんから「お尋ねしてよいかどうかを大工原さんに打診して欲しい」と頼まれた。大工原さんは晩年ご体調が優れず、ご自宅で療養されていた。大塚さんはそれを気遣い、直接の連絡を避けていた。何度もご自宅前まで行かれたものの、引き返していたそうだ。

大塚康生さんと大工原章さん。東映動画にて。(大塚さんのご家族提供)大塚康生さん(左)と大工原章さん=東映動画にて、大塚さんのご家族提供
 私は早速大工原さんに提案した。しかし、大工原さんの返事は意外なものだった。
・・・ログインして読む
(残り:約3098文字/本文:約5537文字)