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河瀨直美監督への文春砲で見えてきた全能感と甘え上手がちょっと痛い

矢部万紀子 コラムニスト

 映画監督の河瀨直美さんが週刊文春に書かれたことを知り、反射的に思い出したのが「出る杭は打たれる」という日本語だった。広辞苑で引くと、「すぐれて抜け出ている者は、とかく憎まれる。また、さしでてふるまう者は他から制裁されることのたとえ」とあった。確かに河瀨さん、すぐれて抜け出ているなあ。

 と思ったままにしていたが、河瀨さんの記事、2度目もあった。「すぐれて抜け出ている」にしても、穏やかでない。読んでみた。

 最初は「カメラマンを『腹蹴り』」(5月5・12日特大号)、次は「スタッフ顔面殴打」(6月2日号)だった。前者については河瀨さんが代表を務める有限会社「組画(くみえ)」がホームページで「防御として、アシスタントの足元に自らの足で抵抗しました」etc.と説明、それとは別に河瀨さんと「撮影助手A」の連名で「既に当事者間で解決をしていることであります」とも発表している。2度目の記事への説明などは6月1日現在、ない。

東京五輪公式映画の完成披露試写会で挨拶する河瀬直美監督=2022年5月23日、東京・六本木東京五輪公式映画の完成披露試写会で挨拶する河瀨直美監督=2022年5月23日、東京・六本木

 週刊文春はこのところ、映画界における「性加害」告発をリードしてきた。そこに河瀨さんが、「さしでてふるまっている」と証言する人が現れた。これは記事にせねば。週刊文春編集部の判断はこんなところだろう。

 記事通りならパワハラと言われても止むを得ない。が、真偽をジャッジするつもりはない。ただ河瀨さんという女性について思うことが少しだけあったので、書いてみる。

「神様が舞い降りる」なんて……

 まずは、彼女の栄光の軌跡。言わずとしれた「河瀨の道はカンヌに通ず」。1997年、『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)受賞。2007年、『殯(もがり)の森』で最高賞パルム・ドールに次ぐグランプリ。09年、貢献した監督に贈られる「黄金の馬車賞」を女性初、アジア人初受賞。

Jaguar PSshutterstock2013年のカンヌ国際映画祭で、河瀨直美監督(中央)はコンペ部門の審査員を務めた。左隣は審査員長のスティーヴン・スピルバーグ監督 Jaguar PS/Shutterstock.com

 最新作は『東京2020オリンピック SIDE:A』。5月25日にカンヌ・クラシックス部門で上映され、日本では6月3日に公開される。この作品があったから河瀨さんは、今年の東京大学入学式(4月12日)祝辞のスピーカーに選ばれたのだろう。

 その日、河瀨さんはウクライナ情勢に触れ、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。(略)誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」と述べた。それはあちこちで報道されていたが、全文を読んでみての印象はそこにはない。とにかく全編を貫いているのは、河瀨さんの自己肯定感の高さ。あまりにも高過ぎて、複雑な感情になった。

 祝辞もやはり「カンヌ」からだった。入学おめでとう、でも明日からはその喜びにあぐらをかいているわけにはいかない、私もカンヌで新人賞を取った時、フランス人の担当者から「明日からはまたゼロから出発」と言われた、と。

 次に生い立ちを語った。生まれる前に両親が別居、生まれてすぐに初老の夫婦の養女になったというもので、これが河瀨作品の根幹にあることは映画に精通していない私でも知っている。そこから、18歳での「映像との出会い」の話になった。8ミリフィルムカメラを初めて手にした日の記憶を、こう語った。

 <きっと私はあの時、なぜ自分がこの世界に誕生したのかを、悟ったのだと想います。それは、精神の誕生日ともいうべき、肉体の誕生から18年経ってようやく辿り着いた『実感』だったのです。みなさんにその『実感』は宿っているでしょうか?(略)ああ、なんて世界はすばらしいんだろう、この一瞬一瞬を永遠に刻みたい。と、私は、あの時、想いました。こぼれ落ちた過去に再び光を当てる魔法、映画の神様が私に舞い降りた瞬間の出来事です>

 これって、励まされる言葉だろうか? 自分が誕生した意味を18歳で悟り、神様が舞い降りたと思える。そんな人になれと言われて、東大の新入生たちは「はい、なります」と思うのだろうか。この言葉を“縮小解釈”したとしても、「18歳で天職に出会う」だ。それは相当な幸運だし、そのまま今日まで来られたなんて、とんでもない幸福だ。

 と思うのは、たいした仕事もしないまま還暦も越えてしまった人間だからだろうか、と自省もする。「親ガチャ」の世の中にありながら、きっちり東大合格を勝ち取った若者なら、神様は舞い降りる。そういう励ましというか、挑発というか、いずれにせよお祝いの言葉なのかもしれない。そうだとしても、それはそれでいいのかなーと思ってしまう。

 相手がエリート予備軍であればあるほど、かえって「神様が舞い降りる」なんて誰にでもあるわけではないよ、とわかっていてほしい。いろいろな幸運が重なって、今日がある。そう思ってほしいのだ。

「すべて自分で成し遂げた感」がダダ漏れすぎる

東京大学の入学式で祝辞を述べる映画作家の河瀬直美さん=2022年4月12日午前11時30分、東京都千代田区の日本武道館東京大学の入学式で祝辞を述べる河瀨直美監督=2022年4月12日、日本武道館

 河瀨さんは生い立ちを語ったことで、自身が受験エリート出身ではないと伝えたかったのかもしれない。<ある映画人が私にこんなことを教えてくれました。たった一つの窓を見つめ続けてください。若い世代には特にそのことがとても大切であることを忘れないでください>は、非・受験エリートも一念があれば道が開けるのだという気概を示したと読めなくもない。

 が、とにかく全体を貫いている強烈な自負に、クラクラしてくる。結果を出した人特有の、

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