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『笑っていいとも!』とタモリ、たけし、さんまの「お笑いビッグ3」

[7]番組が映し出した3人の関係性

太田省一 社会学者

 前回述べた通り、1980年代に「フジテレビの時代」が到来する。そのアイコン的存在となったのが、タモリ、ビートたけし、明石家さんまの「お笑いビッグ3」だった。では、『笑っていいとも!』における3人の関係はどのようなものだったのか? タモリとさんまの「雑談コーナー」、たけしの「テレフォンショッキング」出演などから探ってみたい。

オープニングに“乱入”したたけし

 改めて言うまでもないが、タモリ、たけし、さんまが正式にトリオやコンビを組んだことはない。だが1980年代中盤から後半、3人の存在感は、テレビ、ラジオ、映画、文筆活動など多方面の活躍を通じてお笑い芸人のなかでも群を抜くものになっていた。それが、「お笑いビッグ3」と呼ばれるようになる素地としてあった。

 その頃、たけしが『いいとも!』に乱入したこともあった。1986年9月5日の放送である。

 いつものように、オープニングで半熟隊(最初の「いいとも青年隊」からメンバーも変わり、このときはこう呼ばれていた)が歌い踊る。そしてタモリ登場……のはずが、マイクを持って姿を現したのはビートたけし。「ウキウキWATCHING」の歌詞も適当に歌い出す。少し遅れてタモリも登場。「なにやってんの!?」と問い詰めるタモリに、「え? 『笑ってる場合ですよ』」と返すたけし。自分も出演していた『いいとも!』の前番組と勘違いして新宿アルタに来たというボケである。

 そこに、セットの横側の扉から恐る恐る顔を出して様子をうかがう明石家さんま。促されて出てきたものの、2人の姿に気圧されたのか、「こんな息詰まるオープニング初めてやわー」「酸欠状態」などと言い、「立つ位置困るわー」とぼやきながら2人の周りをウロウロする。この日は金曜日で、ちょうどさんまの出演日だった。

ビートたけしさん=東京都千代田区神田駿河台、村上健撮影2017年ビートたけし=2017年、撮影・村上健

 年齢的に近いタモリ(1945年8月生まれ)とたけし(1947年1月生まれ)に対し、2人よりもかなり年下のさんま(1955年7月生まれ)という構図が、この場面からもわかる。いずれにしても、このときの会場の歓声はすさまじく、3人の当時の人気を物語る。そしてもうひとつわかるのは、“乱入”というイレギュラーなかたちででもなければ、多忙を極める3人の共演はなかなか実現しなかったということである。それだけ3人のそろい踏みは、貴重なものになっていた。

「お笑いビッグ3」誕生の瞬間

 そうしたなか、いよいよ「お笑いビッグ3」が誕生することになる。きっかけは、フジテレビが始めた『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』、いわゆる『27時間テレビ』での3人の共演である。近年はコロナ禍もあってだいぶ趣も変わったが、この長時間生番組は、かつてはフジテレビ恒例の年に一度の一大イベントであり、「祭りとしてのテレビ」を象徴する番組だった。

 その第1回の放送は、1987年7月のことである。総合司会は、タモリとさんま。この後ふれるように、2人は『いいとも!』のトークコーナーで週に一度共演するようになっていた。『いいとも!』と同じく、横澤彪が『27時間テレビ』のプロデューサーを務めていたこともあって、この2人に白羽の矢が立った。

 では、ビートたけしはなにをしていたかと言うと、謹慎中だった。前年の暮れ、自分の私生活を記事にしようとした際の写真週刊誌『フライデー』の強引な取材などに不満を募らせたたけしは、弟子のたけし軍団とともにその編集部に殴り込むという「フライデー襲撃事件」を起こしていた。その後、反省の意味で長期の謹慎に入っていたのである。

 そして約半年の謹慎の後、芸能活動に復帰。そのタイミングでの、『27時間テレビ』だった。

 出演が予告されていたたけしが登場したのは、タモリとさんまが待つ深夜のトークコーナーである。話は当然謹慎のことに及んだ。ただ、そこに深刻さはまったくと言っていいほどなかった。たとえば、たけしが日焼けしているのをツッコまれ、実はゴルフ三昧だったことが露顕する。するとたけしが「ダメだよ、ずっと家で読書していることになっているんだから」と返し、さんまが

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