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ジェンダーのアンバランスは「文化の喪失」、表現の現場調査から

男性に偏る審査員・受賞者、現状の問題くっきりと

小田原のどか 彫刻家、評論家、出版社代表

ジェンダーバランスを数値化すると

 去る8月24日、表現の現場調査団による「ジェンダーバランス白書2022」が公表された。

 表現の現場調査団とは、様々な表現の現場に関わるプレイヤーによって構成された団体だ。2020年11月から活動しており、5年間の活動継続を掲げている。2021年には表現の現場で生じるハラスメントの実態を調査し、「ハラスメント白書2021」を公開した。筆者はこの度のジェンダーバランス調査から、調査報告人のひとりとして参加している。

「ジェンダーバランス白書2022」発表の記者会見。左から、荻上チキ、田村かのこ、深田晃司、森本ひかる、小田原のどか=2022年8月24日、東京・霞が関、表現の現場調査団提供

 「ジェンダーバランス白書2022」は390ページを超えるボリュームとなった。表現の現場調査団のウェブサイトで誰でも見ることができる。

 調査の対象は、美術、演劇、映画、文芸、音楽、デザイン、建築、写真、漫画の9分野、そして美術大学など表現を学ぶ教育機関だ。活躍の登⻯⾨となる賞や国民的知名度を有する賞、表現の現場との関係の深い評価の仕組みなどにおける評価する側と評価される側のジェンダーバランスが数値化された。調査対象期間は2011年から2020年までの10年間である。

9分野(美術、演劇、映画、文芸、音楽、デザイン、建築、写真、漫画)の知名度の高い賞の審査員と大賞受賞者の男女比
 今回の調査では、9分野の審査員の男性平均は77.1%、受賞者は男性平均65.8%という結果が出た。私が調査を担当した文芸分野では、文芸誌が主催する評論の賞で、審査員、大賞受賞者ともに10年間、男性が100%のものがあった。

  驚くべきことである。

審査員・受賞者ともに全員男性だった「小林秀雄賞」(一般財団法人新潮文芸振興会主催)。「自由な精神と柔軟な知性に基づいて新しい世界像を呈示した作品(フィクションを除く)一篇」に授与される
 しかし読者の中には、そのどこに問題があるのかわからないという方もいることだろう。評論家は伝統的に男性が担ってきたのだから、仕方がないのではないかと。

 このように男性が「標準」とされる職業は評論家にとどまらない。映画監督や演出家、指揮者もまた男性比率が高く、一般にも「伝統的に男性の就く責任ある仕事」と認識されていることが多いと言える。

 しかし果たしてそうだろうか。

多様性を欠いた「評価」の危険

「ジェンダーバランス白書2022」を発表する表現の現場調査団メンバー=2022年8月24日、東京・霞が関、表現の現場調査団提供
 審査員の男性平均77.1%という結果は、表現の諸分野における「活躍」のお墨付きや、「優れた作家」という権威が与えられる場の評価機能の信頼に関わっている。時代によって文化の評価基準は変わる。「優れた作品」は天によって決められるわけではない。

 即座に男性が思い浮かぶ表現に関わる仕事であっても、実のところ選考や発表の機会などに関わる男性中心の偏りが、活躍できる表現者の偏りを生み、それがあたかも「伝統」と見なされているに過ぎないのではないか。そのような可能性も、今回のジェンダーバランス調査の結果から導き出されることだ。

 むろん、審査員が男性だからといって、故意に男性を受賞者として選んでいるわけではないだろう。作品選考の際に作者の性別がふせられていることもある。必要なのは、男性77.1%というジェンダーバランスの不均衡を、同質性の高さとして捉え直すことだ。同質性が高いということは「偏り」があるということ、すなわち「排除」が存在するということである。

 そのような場での決定や判断には、様々な問題が⽣じる可能性がある。例えば、同質性の⾼さゆえ異論が出にくくなることが挙げられる。バイアスがかかったものの⾒⽅が疑われず、偏った判断が「正常」とされることも起こりうる。そしてまた、多様性を欠くゆえに排他性がいっそう深刻になることも想定される。

 このような要因は、マイノリティへの更なる抑圧につながる。そしてまた、ここに挙げた種々の弊害は、さらなるハラスメントの温床となりうる。

「仕組み」の偏りはハラスメントの温床になる

 すでに表現の現場の各所で、ハラスメントが俎上に上げられている。

 今回のジェンダーバランス調査の前段となるハラスメント実態調査では、ハラスメントについてのアンケート調査を行い、1,449名の回答を得た。

 ここで、「(何らかの)ハラスメントを受けた経験がある」と回答したのは1,195名、「⾝体を触られた」との回答が503名、「望まない性⾏為を強要された」という回答が129名から寄せられた。表現の現場に根深い、深刻なハラスメントの構造が明らかになったかたちだ。

 ハラスメントが起こる場と権力勾配との関係性は切っても切れない。

 例えば、今回のジェンダーバランス調査では、とくに演劇の賞において、審査員の交代が極めて少なく、10年以上同じ審査員が審査を担当することが多々あり、⻑ければ40年近く同じ人物が審査員を務める場合があることがわかった。

 賞とはその表現分野の「優れた作品」の評価を決める機会の場だ。ある表現領域の価値判断が一部の人間の手に委ねられ、評価の内実が疑われないことは、権力勾配をさらにいっそう強固なものにする。表現の現場に関わるすべての人間が安心して仕事に従事するため、表現に関わる権力勾配の実態に光を当てることが急務だ。

 しかしながら、表現の現場でハラスメントが俎上に上がる際、次のような反論が聞かれることがある。「良い作品に犠牲はつきもの」「人格的に問題があるのは良い作家の証し」などだ。

 これらの反論は往々にして、「良い作品に犠牲はつきものだからしょうがない」「人格的に問題があるのは良い作家の証しだからしょうがない」と、声を挙げ、被害を訴え出た者を押さえつけてしまう。そのような告発の抑止は、発言者の意図はどうあれ、ハラスメントの温床となっている構造の維持に力を貸している。

 何度でも確認したいが、暴力や抑圧と「優れた表現」に切っても切れない関係などはない。暴力を受けてよい人間など一人としていない。表現を暴力や抑圧の免罪符とすることは、人権の軽視であると認識すべきだ。

 これに関連して、「ジェンダーバランス白書2022」の発表後、審査員のジェンダーバランスがどうあっても、実力があれば評価される、優れた作品をつくれば結果はついてくるという意見が見られた。しかしここで言われる「実力」や「優れた作品」を評価する仕組みに偏りがあるということこそ、この度のジェンダーバランス調査があぶり出したことである。

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