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エリザベス女王と美智子さまと眞子さん、王室・皇室という「家」の行方

矢部万紀子 コラムニスト

 14歳だったエリザベス女王(当時は王女)をNHKで見た。9月12日放送の「クローズアップ現代」が女王を特集、初めてのラジオ出演の映像が流れたのだ。第二次世界大戦下、1940年のことだった。

 マイクの前にはエリザベスと妹のマーガレットという2人の王女。「今、多くの子どもたちが家を離れ、両親と離れて暮らしています。きっとみなさんは故郷のことをいつも思い出しているでしょう」。スピーチは専らエリザベスで、最後に「2人からおやすみを言いますね」と言った。「さあ、マーガレット」と促す。「おやすみなさい」というマーガレットに続き、エリザベスの「おやすみなさい、みなさん頑張って」でスピーチは終わった。

 姉妹の良い雰囲気が伝わる終わり方だった。イコール親近感。戦時下だから、効果はずっと大きかったはずだ。エリザベスがひとりの少女であると同時に、「ジョージ6世の長女」であると思わせた。大人が演出したのかもしれないが、女王の片鱗を見せたと思う。

2018年 Lorna RobertsshutterstockLorna Roberts/Shutterstock.com

エリザベス女王の「家」、美智子さまの「家庭」

来日したエリザベス英女王と東宮御所の庭を散策する皇太子ご一家。左から紀宮さま、皇太子さま、礼宮さま、女王、美智子さま、浩宮さま代表撮影・代表撮影1975年5月9日東京・元赤坂の東宮御所来日したエリザベス英女王と散策する皇太子(当時)ご一家=1975年5月9日、東京・元赤坂の東宮御所、代表撮影

 エリザベス女王は「王室という“家”を国民に納得してもらうための努力」を生涯した人だったのではないか。死をきっかけに、そう思った。ラジオを聴いた国民は、「自分の家」を思ったはずだ。それは、逆にいうなら「王室も自分たちと同じ家なのだ」と納得する入り口になったのだと思う。

 「家」というものは、生きる寄りどころとなる。自分の家と王室という家が重なれば、「王室=寄りどころ」と感じられる。それは王室安泰への一歩。そういう努力を続けた人ではないだろうか、と思う。

 このラジオ放送だけが理由ではない。上皇后美智子さまもそういう人だと思うのだ。結婚して皇室に入った美智子さまと、王位継承者の長女として生まれたエリザベス女王とでは立ち位置はまるで違う。だが、美智子さまもずっと「皇室という“家”」を意識してきた。そう確信するようになったのは、1959年1月1日付の朝日新聞1面が大いに関係している。

 正田美智子さんと記者との一問一答が載っていた。正確には、皇太子さま(今の上皇さま)との「納采の儀」を直前にした正田さんに宮内庁記者会がアンケートを送った、その回答が掲載されていた。最後にこうあった。「国民はこんどのご婚約によって、古い皇室に新風が吹き込まれるものと期待していますが、これに対するご感想は……」。正田さんはこう答えている。

 <どんな結婚の場合でもその当初には「家庭」をつくるという大きな課題があると思います。(略)こん度の場合、その最初の課題をとびこしてすぐにそれ以上の問題と結びつけてたくさんの期待があるとしたらこわいことだと思います。よい家庭がつくれて、それが殿下のご責任とご義務をお果しになるときのなにかのお心の支えになり、間接的な、ちいさなお手伝いとしてお役に立てばと心から望み努力をしたいと思っております>

 民間出身で初めて皇太子妃となった美智子さまは、自分と「皇室制度」を結びつけて語られることを「こわい」と感じた。

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