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『LOVE LIFE』深田晃司監督に聞く、愛の深み

「メロドラマの一角をろう者が当たり前に担ってほしかった」

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 第79回目を迎えたベネチア国際映画祭(2022年8月31日~9月10日)のコンペティション部門で、「唯一のアジア作品」(注)として登場したのが『LOVE LIFE』(全国公開中)だ。矢野顕子の同名楽曲に惚れ込んだ深田晃司監督が、「いつかこの歌をモチーフとした映画を作りたい」と考えたのが出発点。その溢れる想いは20年の時を経て、ベネチアの地で大きく花開いた。
(注)2022年ベネチア映画祭のコンペ作品にイラン作品が2本あるが、ここでは外務省の公式サイトの分類に従い、イランは「アジア」ではなく「中東」とする。

『LOVE LIFE』 全国ロードショー中
 配給:エレファントハウス ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS『LOVE LIFE』 全国ロードショー中  配給:エレファントハウス ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

 主人公の妙子(木村文乃)はホームレス支援を行うNPOで働く女性。結婚1年目の夫・二郎(永山絢斗)、ひとり息子の敬太(嶋田鉄太)と団地に住む。だが、当たり前に続くと思われた生活は、ある悲劇をきっかけに一変。消息不明だった息子の血縁上の父でろう者の男・パク(砂田アトム)が、妙子の生活、そして心に入り込んでくる。傷つき迷いながらも、手探りで本当の人生を手繰り寄せてゆく主人公の心に並走するメロドラマの秀作だ。

 2016年のカンヌ国際映画祭で「ある視点」部門審査員賞を受賞した代表作『淵に立つ』で、人間の運命を容赦なく切り取った俊才が、矢野顕子の楽曲の包容力をまとい、さらに愛の深みへ辿り着いた。映画を抱え世界を移動し続ける監督に、ベネチアの地で話を伺った(インタビューは9月8日に実施)。

=撮影・筆者ベネチア国際映画祭に『LOVE LIFE』を出品した深田晃司監督=撮影・林瑞絵

──当初、本作は深田監督になじみ深いカンヌ映画祭に出品されるかと思いきや、ベネチア映画祭に決まりました。

深田 カンヌにするかベネチアにするかという選択は、配給会社や制作会社が話し合って、日本の公開時期も含めベネチアが良いのではとなりました。結果的に日本での公開間近に映画祭の賑わいを生かすことができて良かったです。

──コンペ部門全23本の中で本作が唯一のアジア映画ですから、アピールにもなりました。

深田 それには驚きました。上映も盛況でしたが、アジア映画好きがとりあえず見に来てくれたのかなと考えています。

コロナ禍と矢野顕子『LOVE LIFE』の歌詞の意味

──20歳のときに矢野顕子さんの『LOVE LIFE』を聴き、感動されて出発された企画ということで、構想20年になるのですね。

深田 それは「看板に偽りなし」です。この間、この映画のことばかり考えていたわけではありませんが、諦めずに抱え続けてきました。

──映画作りは様々な事情が絡んで進むものですので、期せずしてこの時期に完成、公開となったのでしょうが、その一方で「コロナ禍もあり、今届けるべき映画となった」と記者会見でも話されていました。本作が扱う「死」や「孤独」のモチーフは、コロナでより身近になったようにも感じます。

深田 それはあったと思います。コロナが広まった時期は、フランスやイタリアでは「ロックダウン」、日本では「ステイホーム」という形で家を出られなくなりました。人によっては人生を見つめ直す機会になったと思います。例えば生き甲斐だったはずの多くの仕事が「不要不急」という言葉であたかも必要でないもののように扱われてしまった。文化芸術も映画館もそうですね。好きな趣味もできなくなり、仕事にも行けない。その中で人と人との距離もできました。

 ステイホームを強いられていた時期は「そもそも生きてるって何だろう?」と突き詰けられる時間でもあった気がしています。コロナがなくても人は死ぬし、戦争でも死ぬけれど、やっぱり少しだけ死と虚無が身近になった時期だったと思います。

 『LOVE LIFE』はその前から作っていたので、コロナで内容が大きく変わったわけではないのですが、「どんなに離れていても 愛することはできる」と歌われる歌詞の意味が更新されたと思っています。

『LOVE LIFE』 全国ロードショー中
 配給:エレファントハウス ©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

ろう者のコミュニケーションで気がつくこと

ベネチア国際映画祭のレッドカーペットを歩いた(左から)砂田アトムさん、木村文乃さん、深田晃司監督=2022年9月5日ベネチア国際映画祭のレッドカーペットを歩いた(左から)砂田アトムさん、木村文乃さん、深田晃司監督=2022年9月5日

──ろう者である砂田アトムさんがベネチアでレッドカーペットを歩いたことは、映画界の大きな一歩でした。

深田 砂田さんが映画に参加してくださったことに感謝です。これまで映画ではろう者の役は少なかったですし、日本ではろう者の役も聴者が演じることがスタンダードだったので、そういった意味で砂田さんがレッドカーペットを歩き、俳優として当たり前のように光が当たったというのは、ひとつのモデルケースになったと思います。

──「韓国手話」が登場しますが、実は濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』より早かったのでは?

深田 脚本の設定を考えたのは『ドライブ・マイ・カー』の話を知らない時に書いたので、どちらが先かはわかりませんが、たぶん同じくらいのタイミングだったと思います。たまたま制作の段階で、「どうも韓国手話らしいぞ」という噂を聞いて「あれあれ」とも思いましたが(笑)

 たしかに「設定がかぶった」という思いはゼロではなかったのですが、ろう者であることも、言語としての手話も、韓国籍という国籍の問題も、全部特別な「ネタ」ではないので、それを「かぶった」などと考えること自体が、何か特別扱いしていることになるのだと思います。それぞれのモチーフに対して、監督それぞれが自分なりに向き合えばいいだけの話なので。

──重なったのは時代の偶然なのか、必然なのか……。

深田 もしかしたら作家それぞれが、日本語でのコミュニケーションのみで物語が進むことに対して、どこかで物足りなさを感じてきているのかもしれません。それだけでは世界を描き切れているような気がしないというか。でも、それって後付けの解釈で、基本的には「たまたま」だと思います。

記者会見に参加する『LOVE LIFE』チーム。
左から主演の木村文乃さん、深田晃司監督、砂田アトムさん。
ベネチア国際映画祭で記者会見に参加する『LOVE LIFE』チーム。左から主演の木村文乃さん、深田晃司監督、砂田アトムさん=撮影・林瑞絵

──本作では「目を見て話す」というのが、物語の大事な鍵になっています。それはろう者の方の生活習慣や表現から来ていることですね。その意味では、ろう者が聴者に目を開かせていると言えますし、自然な形でドラマに多様性を持ち込んでいるとも感じました。

深田 人間も国もそうでしょうが、自分自身の姿は見えにくいものなので、他者との比較の中で、自分を相対化された時にわかることがあると思っています。例えば今回のように、ろう者の方のコミュニケーションを知ることで、聴者である私たちが気がつくことがあるのでしょう。

──砂田さんが扮するろう者のパクさんですが、いわゆる私たちが考えるろう者のイメージとはかけ離れています。一筋縄でいかない、聴者であるこちら側が振り回される人物として描いているのが面白かったです。

深田 パクさんを自由な人にしたかったというのがありますが、そもそも

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