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私的ジャン=リュック・ゴダール追悼──遅れてきたファンによる回想

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 去る9月13日、ジャン=リュック・ゴダール監督(仏)が自殺幇助により逝去した。享年91。

 彼の死からおよそ3週間が経つが、私はいまだ、彼の死をどう受けとめてよいのか、わからない。──それまでに撮られたどんな映画にも似ていない、ただしハリウッドのB級犯罪映画へのオマージュでもある、文字どおり破格の傑作『勝手にしやがれ』(1959、白黒)でデビューし、ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)と呼ばれる現象を巻き起こし、その後も数々の挑発的で尖った映画を撮りつづけた天才ゴダール。

ジャン=リュック・ゴダール(1930─2022)  Denis Makarenko/Shutterstock.comジャン=リュック・ゴダール(1930─2022)  

 彼の訃報に接したとき、私は、「まさか」と「やはり」の交錯した奇妙なショックに襲われた。「まさか」と思ったのは、ゴダールが、2018年には老いなどまったく感じさせない、過去の映画や絵画の断片をコラージュ(切り貼り)した先鋭な『イメージの本』を撮り、さらに、実験的な2本の作品を構想中だと仄聞(そくぶん)していたからだ。

 しかし、不死の存在であるかに思われたゴダールも、当然ながら、私たちと同じく死を運命づけられた「人間」であり、その高齢をかんがみれば、彼の死は、「やはり」と思わざるをえない出来事であったが、いずれにせよ、彼がこの世を去ったことは残念でならない(ゴダールの死を知って言葉を失っていたとき、私の頭に浮かんだのは、『勝手にしやがれ』に小説家の役で特別出演する、ゴダールが敬愛していたジャン=ピエール・メルヴィル監督のセリフだ。メルヴィルは、オルリー空港のテラスでの記者会見の場面で、「人生最大の野心は何か?」と聞かれて、こう答える──「不老不死のまま死ぬこと」、と。メルヴィル自身は深い意味はないダジャレだと言っているそうだが、私には彼のこのセリフが、ゴダールが安楽死を選んだことと符合するかのような、何やら含蓄のある言葉に思えた)。

 もっとも、あれだけ多くの傑作、問題作を残したのだから、ゴダールはもう十分に生き、天寿を全うしたのでは、と言う人もいるが、それはそれで理解できる。とはいえしかし、私は彼が他界したことに、大げさでなく、喪失感に似た思いを抱いている(少なからぬ映画ファンもそうだと思うが)。まあ、これは理屈ではなく、感情(主観)なのだから、これ以上うんぬんしても詮ないことだ。……と言っておいて、さらに私的な話になるが、以下では、私がどのようにゴダールと出会い、どのように彼の映画に“やられた”のかを、ざっと記して彼の追悼にかえたいと思う。

1980年、13年遅れの出会い

 私が初めて見たゴダール作品は、1980年夏、今はなき三軒茶屋東映で再映中だった『気狂いピエロ』(1965)である。日本公開が1967年だから、それより13年遅れでようやく見たことになる。しかも私は当時、もはや青年とは言えない30歳のしがない大学院生であったが、この“遅れ”の理由は単純だ。それまで私は文学(小説)研究、それに趣味の草テニス、草野球にしか興味がなく、映画に本格的に“目覚めた”のは、まさに『気狂いピエロ』初見の頃だったのだ。

 その少し前に、文学の師匠の一人であり、映画評論家でもある上野昂志氏に勧められて見た鈴木清順監督『東京流れ者』(1966、劇場失念)や、これまた今はなき三鷹文化劇場で再見したジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』(1941)に感激し、また蓮實重彦氏の呪文めいた映画批評をよく理解できぬままに愛読(!)していたが、ともあれそんな流れで、私は『気狂いピエロ』を見たのだった。

 ちなみに、のちに知り合い大きな刺激を受ける、同世代か10歳ほど年下のコアな映画好き(いわゆるシネフィル/映画狂)たちは、すでに数年以上前に『気狂いピエロ』その他のゴダール作品を、何度も見ていた(彼らはいずれも映画ないし文学の研究者となる、坂尻昌平、関口良一、細川晋、橋本順一、中条省平、野崎歓、武田潔、故・梅本洋一の各氏である)。なお私はその頃、大学では肝心なことは何ひとつ学べない、ということを学び、無手勝流で映画批評を細々と書きはじめた(『クリティーク』4<青弓社、1986年7月刊>に寄せた論考が処女作)。

『気狂いピエロ』の衝撃、高揚感と多幸感

/Shutterstock.com2018年カンヌ国際映画祭のメイン会場では、ジャン=リュック・ゴダール監督『気狂いピエロ』の一場面が掲げられていた=2018年5月、フランス・カンヌ Paul McKinnon/Shutterstock.com

 さて、一組の男女のパリから南仏への逃避行を冒険活劇ふうに描いた『気狂いピエロ』は、初期ゴダールの集大成である(とのちに知った)が、何より私は、

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