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アントニオ猪木が当選した日──ジャイアント馬場と複雑に絡まった強靭な糸

市瀬英俊 スポーツライター

 テレビ画面を凝視するスーツ姿のアントニオ猪木がそこにいた。

 普段はショートタイツ姿の「燃える闘魂」としてテレビに映し出される側の男が身なりと立場を変え、胸の前で両腕を組み、口を真一文字に結び、数メートル先にあるブラウン管テレビをただ見つめていた。

 1989年7月24日、午後4時30分。第15回参議院議員選挙比例区の開票作業は大詰めを迎えていた──。

 当時46歳の猪木。6月の時点で、自身が創設した『新日本プロレス』の社長の座から退き、一方で政界進出を表明。新たに立ち上げた『スポーツ平和党』の党首として参院選に打って出たのである。

 知名度の高さは申し分なく、早い段階で当確ランプが灯るのではとも思われた。事実、投票日(7月23日)の夜11時に開票状況が明らかになると、スポーツ平和党は開票率7%にして7万票あまりを獲得。100万票が当確ラインと言われる中、まずは順調な出だしだった。

開票速報を見るアントニオ猪木(本名:猪木寛至)候補1989年723
投票日に選挙事務所で開票状況を見るアントニオ猪木(右)=1989年7月23日、東京都港区

 ところが、そこから先が長かった。猪木ファン、プロレスファンの人口密度が高いであろう都市部の票が開き始めてもペースが上がらない。

 のちに判明したのは「アントニオ猪木」と書かれた無効票が相当数に上ったということ。この選挙で採用されていたのは厳正拘束名簿式。政党名を書かねばならなかった。

 結局、即日開票分では当確に至らず、午前3時半すぎには都内港区の選挙事務所も一時的に閉鎖された。

 明けて24日。翌日開票分が動き始めた午前10時すぎ、当時『週刊プロレス』の記者だった筆者は選挙事務所に到着した。

 この日は月曜日。週刊プロレスの校了日でもある。もちろん選挙結果は誌面に載せたい。当選と落選、2パターンの表紙をあらかじめ用意した。

 票数はじわじわ伸びていく。だが、爆発的な勢いはない。リング内の猪木であれば、ここで相手の顔面に右の拳を一発叩き込み、停滞していた試合の流れを一変させるのだが、そうもいかない。

 スポーツ平和党が1議席獲得。すなわち猪木当確と、複数の民放テレビ局。しかし、記者会見が行われる気配はない。NHKからの当確を待つ。その旨が徐々に増え始めた取材陣に伝えられた。

 夏の太陽が西の空に傾き始めても吉報は一向に届かなかった。

 午後4時。残る議席は3つ。開票率は97%。すでに選挙の大勢は決したということで、NHKも比例区の開票状況をこまめには伝えなくなった。

 午後4時30分。ただ一点を見つめる猪木。その周りでは50人ほどが規律を保った無言のおしくらまんじゅう状態。事務所のスタッフも支援者も、見覚えのあるワイドショーの女性リポーターもスポーツ紙のプロレス担当も、前の人の後頭部と後頭部の間に自分の顔を突っ込み、首を伸ばし、カカトを上げ、最後列を余儀なくされた者はイスの上に乗っかって、ただ一点を見つめている。

 輪の中にはプロレスラーの姿が複数あった。猪木から新日本の社長の座を引き継いだ坂口征二はじめ、現在は石川県知事を務める馳浩、ベテランの星野勘太郎……。リングでは猪木と敵対関係にある長州力やマサ斎藤も、また1987年に引退していたアニマル浜口も事務所に駆けつけた。橋本真也はハチマキを締め必勝を期した。

 そして。ライバル団体である『全日本プロレス』の創設者も、猪木にエールを送っていた。

 「そりゃ、やっぱり当選してほしいと思ってますよ」

 言葉の主はジャイアント馬場。投票日からさかのぼること約1カ月。週刊プロレスのインタビューに答えたものである。

馬場のエールで、当選を願う気持ちはプロレス界の総意に

 馬場と猪木。昭和の時代からプロレス界を牽引してきた両雄が、長年にわたり対立関係にあることは当時のプロレスファンにとって基礎中の基礎知識だった。

 鎬(しのぎ)を削る関係。そう書けばスマートだが、実際はそんな生易しいものではなかった。挑発、罵倒、揶揄。1981年以降に激化したレスラーの引き抜き合戦は「仁義なき抗争」とも称された。事態の解決が民事裁判に委ねられることもあった。

 仕掛けるのはもっぱら猪木サイド。全日本はショーマンプロレスであり、ストロングスタイルの新日本こそがプロレス界の盟主であると、声高らかにアピールした。

 事実、80年代前半には新日本のテレビ中継、金曜午後8時の『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系列)が20%を超える視聴率をたびたび記録。集客面でも全日本に差をつけ、「これはプロレスブームじゃない。新日本プロレスブームなのだ」と猪木サイドは胸を張った。

 こうした一連の経緯を知る者からすれば、猪木に対する馬場のエールは驚きでもあった。大人の対応だったのかもしれない。いや、猪木が政治の世界に行ってくれれば

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