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『笑っていいとも!』「グランドフィナーレ」を読み解く

[10]なぜ、タモリは「怒らなかった」のか?

太田省一 社会学者

 いまや伝説にもなっているのが、『笑っていいとも!』の「グランドフィナーレ」だ。多くのレギュラー出演者やスタッフが一堂に会したこの番組は、予期せぬハプニングの連続、忘れがたいスピーチなどによって深く記憶に残るものになった。では私たちは、そこになにを読み取ることができるのか? その様子を振り返りつつ、考えてみたい。

吉永小百合の『いいとも!』初出演

 2014年3月31日、『いいとも!』レギュラー放送の最終回があったその日の夜、『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』と題された特番が、東京・お台場のフジテレビスタジオから放送された。放送時間は夜8時から11時14分までの3時間余り。歴代のレギュラー77名、そしてゆかりのスタッフが集まったこの番組は、平均世帯視聴率28.1%、瞬間最高世帯視聴率33.4%と高視聴率を記録した。

 番組は、いつものように「ウキウキWATCHING」からスタート。そしてまず冒頭に用意されていたのが、吉永小百合の『いいとも!』初出演である。

吉永小百合さん=外山俊樹撮影.「グランドフィナーレ」で『笑っていいとも!』に初出演した吉永小百合

 有名な話だが、同じ1945年生まれの吉永小百合は、タモリにとって高校時代からの憧れの存在である。ともに早稲田大学に在籍した時代には偶然学食で遭遇したこともあり、タモリの思い入れは深い。

 当日、吉永小百合は映画の撮影中で新宿アルタに行くことができず、千葉から中継での出演となった。手には、「テレフォンショッキング」でいつもゲストが自分で持って登場する名前入りのプレートを持っている。

 吉永小百合から優しい労(ねぎら)いの言葉をかけられ、さらに旅行バッグのプレゼントをもらったタモリはそれだけでデレデレになってしまい、周りの芸人達から「いつもと違う」という声が飛んだ。いずれにしても、吉永の『いいとも!』出演というタモリの念願が、最後の最後に叶ったわけである。

テレビ史上に残る“芸人大集合”、そのときのタモリは

 「グランドフィナーレ」で最も話題を集めたのは、『いいとも!』ゆかりの大物芸人たちが集結した場面だろう。顔ぶれの豪華さに加えて、インターネットなどで「共演NG」とかねて噂されていたような芸人同士の共演が実現したことで、盛り上がりは最高潮に達した。

1993年タモリと明石家さんまは名コンビとして番組を盛り上げた=1993年

 まずゲストの一番手として登場したのが、明石家さんまである。『いいとも!』での思い出話があった後、かつての名物コーナー「タモリ・さんまの日本一の最低男」をこの場でもう一度やる流れになった。そこでは、かつてさんま宅で開かれた餅つき大会で、招かれたタモリがさんまたちに挨拶もせずにコタツに入っていたとさんまが言えば、タモリがちゃんと挨拶したと言って押し問答に。そこから、大竹しのぶの物真似を機にタモリが誰かよくわからないひとの物真似を気に入って延々とやり始めるといったように、どこへ向かうかわからない、まさに雑談コーナーならではの自由な展開になった。

 会場は大いに盛り上がったが、台本では5分の予定がすでに20分余り。そこに「長いわ!」という浜田雅功の叫びとともに乱入してきたのが、ダウンタウンとウッチャンナンチャンだった。浜田が明石家さんまの口にガムテープを貼って黙らせると、それをネタにさんまが当意即妙のボケを次々と繰り出す。それを見た松本人志が、「このひと、まだまだ売れるわ!」と感嘆交じりにツッコんで、このくだりがしばらく続いた。

 もうひとつキーワードになったのは、「ネットが荒れるから」である。乱入してきた際、松本人志が「我々も、とんねるずが来たらネットが荒れるから」と言っていたのだ。「仲が悪い」という世間の噂を踏まえたフリである。果たして、「長えーよ!」と石橋貴明が言いながらとんねるずも乱入してきた。「ネットが荒れるから」と繰り返す松本。木梨憲武は、それに構わず「みんなもおいで」と客席の芸人やタレントに呼びかける。そこに爆笑問題とナインティナインも登場し、輪に加わった。

 そこからは、おすぎとピーコ、中居正広が壇上に呼ばれ、さらに木梨がなぜかオスマン・サンコンと田中康夫を連れてくる。すると太田光が、いきなり田中の首を絞めるという挙に出て、かつて『いいとも!』でたけしがやった乱入でのハプニングを再現するなど、皆が思い思いに振る舞う文字通りカオスな展開になった。

 この“芸人大集合”が示した熱量の高さは、間違いなくテレビ史上でもまれにみるものだった。だが、ここでもタモリは実にタモリらしかった。

 むろん、この日の主役はタモリである。ところが、この一連の流れのなかでタモリは自ら仕切って進行しようとする素振りなどまったく見せず、ほとんど笑いながらじっとその場にいた。さんまが、カオスになるのは「あんたの責任」とツッコんでも動じない。その場にいる芸人たちが定期的にタモリに「お疲れ様でした」と言ってくるが、それも場つなぎのため。タモリもそのことは百も承知で、その場を締めようとはしない。「仕切らない」司会ぶりは、ここでも終始健在だった。

「怒らなかった」タモリ、そしてバラエティとは?

「同一司会者により最も多く放送された生バラエティー番組」として『笑っていいとも!』はギネスブックに認定された=2002年12月24日
「同一司会者により最も多く放送された生バラエティー番組」として『笑っていいとも!』はギネスブックに認定された=2002年12月24日
 その後、全員で記念撮影からのタモリの胴上げ、片岡鶴太郎ら客席にいる過去のレギュラー出演者へのインタビュー、そしてSMAPの5人がタモリを囲みながら彼らの持ち歌「ありがとう」を歌う場面へと続いた。

 そして、番組最後のパートとして始まったのが、現レギュラーと過去のレギュラーを合わせたおよそ25組によるタモリへの感謝のスピーチである。

 涙ながらの感謝の言葉が続くなかにも笑いの絶えない全員のスピーチだったが、ひとつ印象的だったのは、多くの芸人やタレントが、タモリが絶対に怒らなかったこと、その寛容さを繰り返し強調していたことだ。

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