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皆既月食や日食に盛りあがる日本人の心に潜んでいるもの

442年ぶりの皆既月食と惑星食を愛でながら

野菜さらだ コラムニスト/言語聴覚士

撮影:日高利明2022年11月8日の月=撮影・日髙利昭氏
 あの日、日本中あちらこちらで一体どれくらいの人が空を見上げたのだろう。11月8日の皆既月食+惑星食の日だ。その数日前から、「惑星の天王星に月が重なっていく。太陽、地球、月、天王星がちょうど一直線に並ぶ(中略)皆既月食と惑星食をダブルで楽しめるのは織田信長が活躍した安土・桃山時代以来、実に442年ぶり」(「“442年ぶり”皆既月食&惑星食『太陽、地球、月、天王星が一直線に』」テレ朝news)とそのレア感が強調されていた。

 皆既月食自体は1年半ぶりぐらいであり、また見られるだろうが、この皆既月食+惑星食が次に見られるのは、322年後とのこと。今この世に生きている人は100%見ることのできない遠い先のことだ。

 「そんなに珍しいもの、せっかく見られるのなら……」と私も近くのスーパーマーケットの屋上駐車場から空を見上げた。同じように考えているだろう家族連れが何組か、そして本格的に写真を撮ろうと三脚を立てて構えている人がいた。

皆既月食を観察したり、撮影したりする人が川沿いに多く並んだ=2022年11月8日午後8時15分皆既月食を観察したり、撮影したりする人が川沿いに多く並んだ=2022年11月8日午後8時15分、福岡市西区

 帰宅後、ちょうど天王星が月の影から出てくるところはテレビの映像で「鑑賞」した。相変わらずメディアは「織田信長も見たかもしれません!」を連呼していたが、「こんな豆粒のような惑星、望遠鏡もなにもない信長の時代には見られないよ!」と突っ込みながらも、ひと時空で繰り広げられる美しい天体ショーにみな目も心も奪われたことだろう。

=筆者提供フジテレビ「めざまし8」より=撮影・筆者
 翌朝になっても、渋谷のビルの上から眺める人々ほか全国各地で空を見上げる人のニュース映像が映し出され、SNSにはみなが撮影した月の写真が溢れた。

 このような天体ショーに全国で盛り上がるのは今や日本ではごく「当たり前」の風景だが、「これって世界どこでも当たり前ではなかったなぁ」と思い出した出来事がある。

現地の誰も知らなかった!?「金環日食」

 数年前、「金環日食」が見られるとグアムに行ったときのことだ。太陽が全て覆い隠されてしまう皆既日食よりは、太陽の外側だけが輝く「金環」を一目この目で見たいと、勇んで出かけた。グアムの中でも「ここならよく見られるだろう!」という場所にあるホテルに宿を定めて、フロントに到着。「さぞや金環日食ツアーとかで盛り上がっているんだろう」と日本では当たり前の光景を想像していたのだが、ホテルのロビーも昼間だからか他の客の人影もなく、賑わっている気配は全くない。

 フロントの人に「いやー、日本から、わざわざ日食を見に来たんですよね」と告げても「え? そんなのがあるの?」と全く知らなかったという反応で、逆にこちらが拍子抜けするほど。こちらが「そうなんですよ、後1時間くらいで、金環日食が始まるんですよ!」と告げても「それで?」と特段感動したり、驚いたりする様子もなし。

 「そっか、日本だったら、金環日食が見られるとなったら、朝からメディアは大騒ぎだよなぁ。でもこちらは、そもそもそういうこと自体にあんまり興味がないのかなぁ」などと思いながら、ホテルの海岸沿いの一番太陽がよく見えそうなカウンターデッキのようなところに移動する。こういう抜群の鑑賞スポットは日本であったら、何時間も前から巨大望遠レンズをつけたバズーカ砲のようなカメラを三脚にガシッと設置した、セミプロ風のカメラマンが陣取っているのでは……とその場に行ってみても、ベストスポットはまだガラガラ(写真)、思いっきりよい席が取れた(!?)ことにもまた拍子抜け。

撮影・筆者撮影・筆者

 「日食ではこちらはそんなに盛り上がらないんだな……」とホテルのときと同じことを感じつつ、日本を出るときには人ごみの中で揉まれながら見ることも覚悟していた身としては、内心「ラッキー」と思ってオレンジジュースを飲みながらその時を待つ。いよいよ肝心の日食が始まりそうな時間になってパラパラと人がやってきた。そして、ホテルのバーで太陽を見るための観察プレートが配られ始めて「なんだ、なんだ」とやっとその場にいた人々が気づくという感じ。

 余談だが、私は金環日食を見に出かけたはずなのに、その日食観察プレートを持ってくることをケロッと忘れて日本を出発、日食開始直前までそのことに気づかなかったポカをしていた。この配布された観察プレートがなかったら、単に光る太陽(金環日食であっても太陽の周りに光が放たれているため、サングラスをかけても単なる普通の太陽にしか見えないのだ)をじーっと見て終わってしまう羽目になっていた。

 観察プレート越しではあっても、今、まさに「太陽が欠け、金環に輝くその瞬間」を目の前で、そしてこの目で見られたことは一生忘れられない思い出になった。

 このグアムでのエピソードに加えて、思い起こしてみれば、私がかつて6年間住んでいたアメリカでも、天体ショーで盛り上がるという場面には遭遇したことがない。日本のように全国で盛り上がるのが全世界共通ではなさそうだというのも不思議と言えば不思議だ。

 そもそもアメリカでは、日本のように全国一斉に同じニュースで毎日のように盛り上がることすらそんなにない(唯一、私がそれを体験したのは、あの9・11のときだった。あのときはアメリカ全土があの事件で一色になった)。先日の月食は、タイではメディアが報じていたとのことだが、日本のような盛り上がりではなかったと現地の友人が教えてくれた。また、以前ドイツに住んでいた友人も「あちらではそういうことはなかった」と言っていた(どなたか読者の皆さんで「いや、○○国では盛り上がっていたよ!」という状況をご存じでしたら、ぜひ教えてください!)。

ヒントは「天気」と「Weather」という語に隠れていた!?

 今回の皆既月食+惑星食の盛り上がりといい、グアムでの盛り上がらなさといい、何がこの違いをもたらしているのか、そもそもなぜ日本人は月であれ太陽であれ、空を眺めるのがこんなに好きなのか。改めてその理由を考えてみた。

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