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つかこうへいからの「ひとり立ち」

結婚披露宴はつか夫妻の「仲人お披露目会」に

長谷川康夫 演出家・脚本家

つかの中で生まれた区切り

 1986年1月。僕は〝三婆〟と呼ぶ、松金よね子、岡本麗、田岡美也子たちに頼まれ、初めて自分の作った芝居を上演する。しかしそれを、事前につかに伝えることはなかった。

(左から)松金よね子、田岡美也子、岡本麗=2006年撮影
 菅野重郎からすべて報告が行っているのはわかっていたが、11月にソウルから戻ったあとも、つかと何度か顔を合わせる中で、そのことが話題になったりはしなかった。もちろん本番をつかが観に来るはずもない。

 ただ菅野がおせっかいにも舞台を撮ったビデオを渡し、つかは一応それに目を通したようだ。客も入り、それなりに評判もよかったことを、素直に喜んでくれたらしい。

 とはいえ菅野によれば、いつも通り、すべて自分がやらせてやったような口ぶりだったというのだから、恐れ入る。

 しかし想像するに、この時つかの中で、僕との関係にひとつの区切りをつけようとの思いが生まれたのではないか。

 それがわかるのは、夏になってからだ。

 前回【つかこうへいとの関係が一区切りした年】こちら

「『寝盗られ宗介』を演出しろ」

 「Cカンパニープロデュース」として始まった僕の芝居は、この年の8月、新宿に出来たばかりの「シアタートップス」で、『改訂版』と称して再演されることになるのだが、それを知ったつかが突然、次は自分の『寝盗られ宗介』を僕の演出で上演しろと言ってくるのだ。

 メインの三人は、石丸謙二郎、岡本麗、酒井敏也という4年前のオリジナルキャストのまま。つか自身が彼らに声をかけ、すべてを決めた。

『寝盗られ宗介』に出演した(左から)石丸謙二郎、岡本麗、酒井敏也

 当然ながら引き受けるしかなく、10月に「シアタートップス」、翌年の4月には「紀伊國屋ホール」での再演と、立て続けに公演は打たれた。

 しかし「演出」とのクレジットがつくからには、さすがにつかが上演したままの舞台を、忠実に再現するだけというわけにもいかない。

 つかが作り上げた世界を、4年半ぶりに世に送り出す責任を感じながら、稽古は始まった。

 そんな中、僕はもとの芝居にあれこれ手を加えた。台詞の部分では、繰り返しやダメ押しの多い、つかこうへい的な〝くどさ〟を整理してすっきりさせ、劇中のショー的な場面も僕なりに新しいものにした。

 メインの三人と、出演者が替わった他の役との関係も、あれこれ変えることになったが、つか流の〝口立て〟を踏襲しようとすれば、それは当たり前のことだった。

 ただ音としての「つか台詞」に関しては、僕も石丸たちも叩きこまれたものがある。そこだけは絶対にはずさず、4年半の空白でそれを知らない観客たちに見せつけてやるのだとの、気負いのようなものはあった。

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