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「見果てぬ夢」追い続け、白鸚『ラ・マンチャの男』終幕

2023・4・24 ファイナル公演「大千穐楽」を観て

山口宏子 朝日新聞記者

54年、1324回の主演

 松本白鸚の『ラ・マンチャの男』の幕が降りた。

 初演から54年間、ただ一人で主人公を演じ続けてきたミュージカルが、2023年4月24日、神奈川県の横須賀芸術劇場で「大千穐楽」を迎えた。

 通算公演回数1324。昨年傘寿を迎えた白鸚が、俳優人生の大半の時間をともに過ごしてきた当たり役「セルバンテス/ドン・キホーテ」は、演じ納めとなったこの日も、「あるべき姿のために闘う」精神を力強く体現し、観る者をゆさぶり、勇気づけ、深い感動を残した。

 終幕。セルバンテスは牢獄から宗教裁判の法廷へ引き立てられる。教会に課税した罪で火あぶりの刑に処せられるかもしれない。だが、「法のもとでは誰もが平等である」という揺るがぬ信念を抱く彼は、胸を張って歩んでゆく。その背中を囚人たちが「見果てぬ夢」を歌って見送る――。

 観客は総立ちで拍手をおくった。

 作品が語る気高い精神への敬意、渾身の演技でそれを表現する白鸚と共演者への感謝とねぎらい、〈白鸚=ラ・マンチャの男〉と別れる寂しさ、最後の舞台を見届けた満ち足りた思い……。様々な感情が混じり合った熱い拍手が長く続いた。

 カーテンコールで白鸚は「足を運んでくださったお客様のおかげです」と54年間の感謝を述べ、「これからも命ある限り芝居を続けてまいります」と決意を語った。そしてもう一度全員で「見果てぬ夢」を歌い、長い長い旅は締めくくられた。

『ラ・マンチャの男』カーテンコール=2023年4月24日、横須賀芸術劇場、東宝提供

『ラ・マンチャの男』2023年公演
脚本:デール・ワッサーマン
作詞:ジョオ・ダリオン
音楽:ミッチ・リー
訳:森岩雄・高田蓉子
訳詞:福井峻
振付・演出:エディ・ロール(日本初演)
演出:松本白鸚

【出演】
松本白鸚、松たか子
駒田 一、実咲凜音、石鍋多加史
荒井洸子、伊原剛志、上條恒彦ら

異色の傑作、ついにファイナル

 白鸚による『ラ・マンチャの男』ファイナル公演は本来、2022年2月6~28日に東京・日生劇場で行われる予定だった。だが、コロナ感染によって、25回の予定がわずか7回しか上演できず、「千穐楽」を迎えられないまま中止になってしまった。そこで《幻のファイナル公演、奇跡の復活》と銘打ったアンコール上演が企画された。2023年4月14日から24日まで、横須賀芸術劇場での10回公演だった。

『ラ・マンチャの男』を演じる松本白鸚=2023年4月、東宝提供
 日本のミュージカル黎明期に誕生した異色の傑作であり、歌舞伎俳優にしてミュージカルスターというジャンルを超えた活躍をしてきた松本白鸚の代表作が、確かな形でピリオドを打つことができたのは喜ばしい。

 『ラ・マンチャの男』がニューヨーク・ブロードウェイで初演されたのが1965年。日本では東宝が69年に、当時市川染五郎を名乗っていた26歳の白鸚の主演で初演した。

 劇の舞台は16世紀末のスペインの牢獄。そこに、詩人セルバンテスが連れてこられる。宗教裁判を待つ間、セルバンテスは囚人たちを相手に、自分自身の生き方を投影した即興劇を上演する。それは、本を読み過ぎて自分が「遍歴の騎士ドン・キホーテ」であると思い込んだ老郷士アロンソ・キハーナの物語。ドン・キホーテになりきったキハーナは、従者サンチョを連れて旅に出る。風車と戦い、安宿を「城」と言い、そこで働く粗野な娘アルドンザを「ドルシネア姫」と呼んで崇拝する。だが、この冒険の旅は、それを「狂気」と断ずる姪の婚約者である医学博士カラスコに阻まれ、キハーナは家に連れ戻されてしまう。

 〈セルバンテスの現実〉〈劇中劇が描くキハーナの現実〉〈キハーナの内面にあるドン・キホーテが見ている世界〉という三重構造の中で、白鸚は三人の人物を行き来しながら演じてゆく。

この作品の2022年までの歩み

『ラ・マンチャの男』最終章【上】 異色のミュージカル53年の歩み

『ラ・マンチャの男』最終章【中】 ブロードウェイ主演の試練と成功

『ラ・マンチャの男』最終章【下】 あるべき姿のために戦い続けて

白鸚、80歳の境地は

『ラ・マンチャの男』を演じる松本白鸚と駒田一=2023年4月、東宝提供
 

 白鸚も80歳を迎え、今回の公演は、かつてのようにスピード感あふれる躍動的な演技ではなかった。登場と退場に使う牢獄と外の世界をつなぐ急傾斜の長い階段の舞台装置は、舞台奥に伸びるスロープに変更されていた。休憩なしで一気に上演されていたのも、途中にインターミッションが設けられた。

 だが、そうした変化が舞台の魅力を減らしたかというと、決してそうではない。

 脚を傷めているようで俊敏に動くのは難しそうだったが、常にしゃんとした姿に風格があり、「老騎士」の気骨がにじむ。そして、ある時は朗々と、またある時は軽妙にせりふを語り、張りのある豊かな歌声で、セルバンテスの、そしてドン・キホーテの精神を力強く、明晰に伝える。その演技は圧巻だ。

 演じる身体の限界を自覚しながら、その限界を超えようと挑み続ける姿には崇高な輝きがああった。そこにあるのは、役と俳優が重なり、渾然と溶け合い脈打つ「何か」――「魂」という言葉が思い浮かぶ。それを目の当たりにする感動は深い。

 2009年からサンチョ役を受け持つ駒田一が、終始、白鸚の体を気遣いながら、朗らかに歌い、演じ続ける姿も役と俳優がぴったりと重なっているようで微笑ましく、温かな気持ちになる。

 アルドンザ役の松たか子は、前半では怒りと悲しみに満ちた人間の荒んだ様を鋭く見せる。そこから、ドン・キホーテと触れあうことによって、次第に人としての尊厳を獲得してゆく変化が鮮やかで、理想を追い続ける精神が受け継がれてゆく希望を強く印象付けた。

『ラ・マンチャの男』を演じる松本白鸚と松たか子=2023年4月、東宝提供

戦い続ける「言葉」の力

 『ラ・マンチャの男』の劇中のせりふや歌詞には、心に強く残るフレーズが数多い。これほど、人が生きる意味を考えさせる言葉の深さを持つミュージカルは、あまり例がないのではないだろうか。

 例えば、タイトルと同じ「ラ・マンチャの男」の〈聞けや 汚れ果てし世界よ 忌まわしき巷よ 風に旗を翻して 戦いを挑まん〉の格調高く、わくわくするような勇ましさ。代表曲「見果てぬ夢」が歌う〈夢は稔り難く 敵は数多なりとも 胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん……〉の覚悟。

 それらの言葉が、流麗で、耳に残る旋律で歌われると、聴く者の中にしみ入り、広がってくる。ミュージカルという表現が持つ特別な力を改めて感じる。

 せりふも胸を突く。

 ドン・キホーテは言う。

 「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿の為に戦わないことだ」

 白鸚は1324回、このせりふで人々を励まし、奮い立たせてきた。その声は、聞いた人たちの記憶の中で、これからも響き続けることだろう。

拍手の中、退場する松本白鸚と駒田一=2023年4月24日、東宝提供