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デジタル環境で変わる「読書のかたち」~日韓中「出版シンポジウム」に参加して

植村八潮

 電子書籍専用端末の新製品ラッシュにより低価格化が進んでいる。口火を切ったのは7月に発売された楽天の「コボタッチ(Kobo Touch)」だ。電子ペーパー搭載の端末として先行するソニーリーダーが1万円台後半だったのに対し、7980円という戦略的価格である。

kobo Touch。楽天市場のサイトより

 これがきっかけとなって、あとに続く新製品は軒並み1万円を切るようになった。従来機種の値下げもあり、液晶型の汎用端末も含め価格帯が下がってきた。端末が健全な市場を形成しないうちに安値競争に陥るのは避けてほしいが、購入を検討している人にとっては朗報である。

 では、これまでアイパッド(iPad)などのタブレットPCやスマートフォン中心だったデジタル読書が、専用端末の低価格化で一気に普及するだろうか。電子出版市場が拡大しつつあるといっても、私たちの読書環境の中心はいまだ印刷書籍であり、出版産業の根幹を支えるのは出版物流と書店での販売である。

 電子書籍が新たな表現や利便性を私たちにもたらすことは疑いもない。いつでもどこでも手に入ることも、品切れがなくなることも、書籍の低価格化も、ありがたい。でもね、と電子出版関係者の間にも躊躇がある。

 電子書籍時代の本格到来ということは、一方において産業構造に変革をもたらすことだ。実際に、アマゾンやアップルなど米国のIT系グローバル企業による電子出版ビジネスが、急速に世界のスタンダードになりつつある。良いサービスがデファクトスタンダードになることを認めた上で、私企業による流通チャンネルの独占には、強い懸念を感じている。

 また、端末の普及は出版概念の拡大、あるいは変容も促すことになる。同じ印刷メディアでありながら書籍と雑誌、新聞の違いは刊行や流通の違いによっている。これらの文章中心メディアがIT企業によるプラットフォームの上で統合されると、流通によって便宜的に分けられていたメディア間の違いが曖昧になる。今後、一つの端末の上で読むことが習慣化されていけば、デジタル読書という枠組みで統合に向かっていくことになりはしないだろうか。

 読書は各国の言語に依存した出版の独自性と、互いの文化交流の歴史によって育まれてきた。グローバルスタンダード化した電子書籍が「読む」という行為にも変革をもたらすことは間違いない。同時に読書の変容に対して、期待と不安が入り乱れていることも事実だ。

■デジタル世代の読書に韓国では副作用の指摘も

 そんな電子書籍端末の喧噪の中で、日本出版学会は創立45周年を迎えた。10月20日と21日には、記念事業として、日本・中国・韓国の出版研究者らが発表や討論を行う「国際出版研究フォーラム」を東京経済大学で開催した。同フォーラムは1984年に韓国ソウルで開かれて以来、日本、韓国、中国の持ち回りで行われ、日本開催は6年ぶりで、通算で15回を数える。今回は「転換期におけるメディアとしての出版」をテーマに韓国から4人、中国からは13人が参加した。

 話題の中心はやはり電子書籍である。基調となる初日パネルディスカッションも「デジタル時代における出版及び出版文化の将来」をテーマとし、僕も日本側パネリストとして登壇した。

 興味深かったのは韓国の尹世珉・敬仁女子大学教授の「韓国でもデジタル世代の読書は既存の文字中心から視覚中心に変わったが、副作用もある。この世代はテキストを論理的に認識せず、単に印象とイメージで感覚的に理解するにとどまっている」という指摘だった。また、中国の任火・河北総合大学教授は「デジタル出版の瞬時性、随意性、断片性は読むことを浅い読みにさせた」とコメントした。まさに若者の読書スタイルの変容に対する危機感の表明である。

 午後のセッションでは、出版を含むメディアの再編が話題となった。デジタル化は文章中心のメディアだけでなく、音楽や映像、さらには放送メディアまでを融合し、一つの端末の上で再現することになる。インターネットのブロードバンド化や放送インフラのデジタル化に伴い、通信と放送の融合が起こったことは記憶に新しい。技術的進展によるメディアの相互参入が統合をもたらし、制度的境界を壊し、法改正や行政管轄の見直しが引き起こされたのである。そこで新たな懸念が提示された。

 印刷メディアである出版・新聞が一切の許認可届出が不要なのに対して、電波メディアである放送は免許制であり、電気通信事業は登録制である。出版から放送まで統合されるということは、言論表現メディアとしての出版や新聞が放送事業に隣接していくことになる。

■携帯やネットで変わる中国の出稼ぎ労働者たち

 質問者からは、新聞出版総署によってすべての表現メディアが管理されている中国の見解が求められた。過去のフォーラムにおいて毎回、日本や韓国から質問が出るのが、中国における言論表現活動についてである。

 また、中国の田勝立・新聞出版総署教育訓練センター第一副主任が、これまで識字率が低く紙媒体に接していなかった農村部出身の出稼ぎ労働者らが「ケータイ」を通じて近年急激に文字情報にふれ、さらに積極的にネットで発言している現状について、13億の民のいる中国では、まだ言論統制が必要だとした上で、デジタル革命により、中国言論表現と統制が変革期にあると述べた。

 前回までは日本以外の出席者は、自国の成果を強調して述べることが多く、こうした戸惑いや危機感を口にすることがなかっただけに新鮮だった。

 デジタル革命によってメディアや読書のかたちが大きく変容しつつある今、アジアの研究者が共通のテーマを見つめ合って議論できた意味は大きいし、今後もそうであってほしい。

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植村八潮(うえむら・やしお)

専修大学文学部教授。(株)出版デジタル機構取締役会長。1956年千葉県生まれ。東京電機大学工学部卒業。東京経済大学大学院コミュニケーション研究科博士後期課程修了。著書に『電子出版の構図』(印刷学会出版部)。

本稿は朝日新聞社が発行する専門雑誌『Journalism』12月より収録しています。