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「迷彩服」と「背番号96」に テレビはどう対処したか

金平茂紀(TBSテレビ執行役員=報道局担当)

 安倍晋三現首相のテレビへの露出頻度が増してきている。メディアへの過度な露出という点で同様に想起されるのは、かつての小泉純一郎首相だが、現首相の場合は、「小泉劇場」と言われたかつての単純な図式に比べて、報じているメディア側に「共犯感覚」がほとんど欠如しているという点で一層根が深い。メディアの健全な批判精神の発露やら、ウオッチドッグとしての機能に深刻な劣化がもたらされているように思われる。政治記者たちのなかには、この過度な露出そのものを歓迎している向きさえみられるが、僕はそのような立場とは一線を画したいと思う。なぜならばメディアは腐っても単なる宣伝屋ではないと思っているからだ。

 安倍首相が迷彩服をまとって戦車の上にのぼって手を振った(写真1)。「ニコ動超会議2」と銘打って4月27、28日の両日、幕張メッセで開催されたイベントでのことだ。このイベント、2日間で10万人を超える人々が訪れ、興業的には大成功を収めた。

 会場には多くの企業や団体がブースを出展し盛んに宣伝=プロモーションを展開していたが、今年目を引いたのは、インターネットでの選挙運動解禁を受けて、自民、民主、維新、共産の4政党がブースを出展したことだ。さらに、在日米陸軍が初参加し、去年から出展している自衛隊ブースのすぐ隣に陣取った。隣接出展には日米同盟的にも大いに意味があるのだと解説していた新聞もあった。自衛隊・在日米陸軍ブース特別記念ステッカー(写真2)が合計1万セット無料配布されたという。

 主催者によれば、このイベントに参加した在日米陸軍と自衛隊、それに来場者を「超2525中隊」と呼んでいたのだそうだ。はあ、そうですかと言うしかない。すでに本誌においても「脱ジャーナリズム」を宣言しているニコニコ動画だ。この路線でガンガン突き進むのだろう。だが、首相の動静を報じるメディアは、ニコ動の姿勢とはおのずと一線を画するのが当たり前だろう。

 首相がそこで展示されていた国産戦車「10式」に安易に乗り込んで、迷彩服を身にまとい観衆に手を振るパフォーマンスの意味するところをきちんと報じることが、ジャーナリズムの役割というものだ。日本の首相が自衛隊の迷彩服を公衆の面前で身にまとうというのは近年例がない。日本国憲法第66条第2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定している。文民であることを示すために歴代の首相は、背広姿で防衛省のセレモニーに参加するのが通例だ。

 当日は土曜日の夕方であったため、各テレビ局はその「絵になる」映像を急いで本社に素材送りした。その間に、その映像の意味するところをきちんと考察する余裕がなかったのだろうか。せめて翌日の毎日新聞記事のわずか「首相は自衛隊最高指揮官だが、戦車に乗るのは異例」程度のことがなぜ報じられないのかが不思議でならない。

 独誌「シュピーゲル」オンライン版がこの写真を「国家主義の主張でよく知られる安倍首相」としてさっそく掲載していた。この迷彩服姿の首相の写真は、後日、歴史認識の問題をめぐって外国メディアが記事を掲載した際にも登場することになった。

 むしろ僕は、幕張メッセの会場を訪れていたネット世代の若者たちの姿をみて憂鬱な気分になったことを記しておきたい。コスプレ姿で「10式戦車」の前でVサインをしながらスマホのカメラにおさまる彼ら彼女らの未来に対してだ。

首相の「政治ショー」につきあうだけのメディア

 僕らの世代では「巨人・大鵬・たまご焼き」と言えば不動の定番人気ものを意味した。長嶋茂雄さんは真の意味で国民のヒーローだった。その長嶋さんが松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受けることが決まった。受賞自体は結構なことだと僕も思っていた。5月5日のあのような受賞式をみる前までは。

 そもそもスポーツの人気に政治家たちがあやかろうとする心根はいかがなものか。国民栄誉賞は国民の賞という意味合いが強く、大相撲の内閣総理大臣杯とは異なる。それゆえ首相個人の考えで決まるものではなく有識者の意見を聞くことになっている。
なのに、なぜ首相がユニフォームをまとって、敢えて背番号「96」などという意味深な数字をアピールしながら登場してきたのか(写真3)。長嶋さんの野球人生の重要なセレモニーが、美しくない政治ショーに一部とはいえ堕してしまった。こういう演出を考えたのはどこの誰か、ぜひとも知りたいと思う。

 これを報じたテレビはどうだったか。「スポーツのイベントなんだか、政治のイベントなんだか、よくわかんなかったですよ。何だかちょっと後味が悪くてね。背広姿の政治部の記者が球場に大勢来て取材して原稿送ってたじゃないですか。僕らの出番は何だったんですかね」。知り合いのスポーツ担当ディレクターが苦笑しながらそう話してくれた。唯一、テレビで某司会者が「審判は選手のユニフォームを着ないもんですよね」と言っていたのが記憶に残っている程度で、新聞メディアも背番号96に関する薄味の皮肉ともつかない囲み記事で報じていただけだった。スポーツの場の政治利用という点にまで踏み込んでいない。

 だが、さすがに天皇の政治利用に関する論議となると、メディアのなかには看過できないと報じたところもあった。4月28日、首相の強い意向により政府主催で開催された「主権回復の日」記念式典のことである。

 式典開催については強い疑義が特に沖縄の地から出ていたことは周知の事実である。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日は、連合国軍の占領下から日本が独立して、国際社会において独立国家として主権を回復した日であることを祝うのだという。だが61年もたった今なぜそれを祝うのか。この条約発効とともに、沖縄、小笠原諸島、奄美群島は日本から切り離され米国の施政下におかれた。いわば独立と引き換えに米国に差し出されたのだ。

 以来、沖縄の人々は4月28日を「屈辱の日」として代々語り継いできた。仲井眞弘ひろかず多沖縄県知事は式典への参加を見送り、副知事が代理出席した。「祝福」と「屈辱」の認識の落差はあまりにも大きい。そのことに思いが至らない政治家は何と美しくないことか。ましてやその席に天皇陛下の「ご臨席をたまわる」としたことは、天皇の政治利用ではないかとの議論が憲法学者たちの間から多く聞かれた。

 式典の当日、沖縄では同時刻に抗議集会を開き、多くの人々が集まった。沖縄の言葉で「がってぃんならん」、つまり「納得がいかない」という抗議の声が相次いだ。片や政府主催の式典は粛々と進行した。テレビ各局は、首相の式辞のなかから沖縄に言及した部分の音声を生かしながら、政府の沖縄への配慮を強調した内容の原稿を流していた。政府式典と沖縄での抗議式典を並列的に報じていたテレビ局もあった。

「ハプニング」をめぐるテレビ報道と沖縄の反発

 だが式典の末尾、実に「テレビ的な」出来事が起きていたのだった。政府の式典が終了して天皇皇后両陛下が退席されようとするときに、会場から「天皇陛下万歳!」の声があがったのだ。これは全く予定外の出来事だったとされている。つられたのか、壇上の現首相をはじめ、最高裁長官も含む参加者たちが万歳を三唱した。両陛下は一瞬立ち止まり、映像で見る限り最初は少し当惑されたようにもみえたが、わずかな微笑を残して退席して行かれた。

 このいわばハプニングをその場にいたメディアはどのように報じたのか。僕がみたのはNHKテレビのニュースだったが、不思議なことにこの場面を全く報じていなかった。ある民放テレビが「政府関係者は『万歳三唱は全く予定になかったものだ』として困惑しているが、出席した沖縄の関係者からは『お祝いの式典ではないと聞いていたのに、あれはいただけない』と反発の声があがっている」などと報じたが、他の民放のニュースは全く触れていなかった。

 共同通信は、午後7時30分45秒になって「出席されていた天皇、皇后両陛下が式典終了後に退場する際『万歳』が唱和された。沖縄県民が強く反発する中で開かれたこともあり、戸惑う出席者もいた」と配信した。翌日の新聞各紙の扱いもバラバラで、毎日新聞が「突然の『万歳』に苦慮」と報じていた程度。一方で沖縄の2紙はこの「天皇陛下万歳三唱」が持つ意味をかなりの字数で報じた。

 沖縄タイムスは「『天皇陛下万歳』の三唱は、県民に強い違和感を残した。出席した高良倉吉副知事は『式典の趣旨がぶち壊しになった』と不快感を隠さない」「(副知事は)最後の万歳は、唱和しなかった。『なぜそうなるのか理解できない。アジアや沖縄への戦争責任に向き合えない、柔軟性を欠く日本社会を表している』」と報じた。

 琉球新報にも「天皇陛下の退席時に、一部の出席者が『天皇陛下、万歳』と叫ぶと、安倍晋三首相ら多くが呼応した」「『天皇の政治利用』との批判がくすぶる中、思慮を欠いた振る舞いが飛び出した」と厳しい言葉が続いていた。

 式典後、政府内部からも、公明党の山口那津男代表が「意義を十分に踏まえた行動だったか問われる」と苦言を呈した。海外の一部メディアからも批判的な記事が出始めると、菅義偉官房長官は翌々日の記者会見で「政府の式典(の予定)にはなかったことで、全く予想していなかった。自然発生したもので政府として論評するべきではない」とかわした。最初に報じた民放ニュースがなければ、全くなかったこととして問題にもなっていなかったかもしれない。

 この出来事には、さらに奇妙な「おまけ」がついて回った。政府が配信しているインターネットテレビの式典の公式動画で、「天皇陛下万歳」三唱の音声のうち「天皇陛下」という部分が含まれている1回目の音声部分だけがなぜか消えているのだ。40分35秒に及ぶ全編動画の39分27秒付近でそれが確認できる。沖縄タイムスの取材に対して内閣府は「式典が終了したので、業者が会場のマイクのスイッチを切り、公式カメラマンが万歳に気づいて内蔵マイクに入れ直した。意図的な編集ではない」と釈明しているという。

 通常僕らテレビ局が使用するVTRカメラでは、会場のPA音声を収録する以外に、カメラマイクなどから音声を拾っている場合もある。音声が一部分だけ完全に消えているということは珍しいのではないか。それにあのような式典の進行の場合、オペレーターの生理として天皇・皇后両陛下が完全に会場から退場される前に音声回線だけを切ってしまうというのは考えにくいのではないか。周辺の雑音が入らないように内蔵マイクを切っていたとの説明もあるが、さらに精査が必要だ。

踊らされるだけでは記者ではない

 現首相は週末ごとにいわばテレジェニックな「絵になる」パフォーマンスを組んでいる。それをテレビニュースが垂れ流すがごとく報じる。首相が田植えをした。首相が被災地の少女と交流した。首相がフォークコンサートに出かけて一緒に歌った。その行為の一体どこにニュース性があるのかを考えようとしない。「出たがり」首相のパフォーマンスにメディアはどう対処すべきなのかが問われている。

 これからインターネット選挙戦が本格化する。ニコ動の巨大ライブハウス、ニコファーレは、かつてバブル全盛期にヴェルファーレとしてお立ち台の上で空疎な踊りが展開されていた場所だ。アベノミクスで好景気が再来したとかいう今、その場所で踊るのは政党の党首だったり政治家だったり、そしてあろうことかメディアの記者たちだったりする光景が目に浮かぶ。

 テレビを生業とする若い記者諸君に言っておきたい。ニュースはあちらから餌のように撒かれるものではなく、こちらから取りに行くものだ、と。そうでなければ、あなたたちは「ニコ動超会議2」の会場にいたあれらの記者モドキとか、司会者モドキとか、キャスターモドキとかに負けてしまうぜ。

    ◇

金平茂紀(かねひら・しげのり)

TBSテレビ執行役員(報道局担当)。1953年北海道生まれ。77年TBS入社。モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、アメリカ総局長などを経て2010年9月から現職。著書に『テレビニュースは終わらない』『報道局長 業務外日誌』など。

本稿は朝日新聞の専門誌「Journalism」6月号より収録しました