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地方紙は進化する、 「日本の中心でニュースを叫ぶ」メディアに

寺島英弥(河北新報社編集委員)

 参院選公示後、7月6日の河北新報朝刊はこう伝えた。

 「東日本大震災や福島第一原発事故をめぐる各政党の訴えが首都圏でかすんでいる。争点は経済政策が中心で、震災復興はさながら『被災地限定』の様相を呈する。原発問題も被災者視点に立った主張は乏しく、震災の風化を際立たせている」。安倍晋三首相の発言も、「福島市での全国第一声で『福島の復興なくして日本の再生はない』と声を張り上げたが、その後都内2カ所で行った演説では、『衆参のねじれを解消しないと経済再生も復興も加速しない』と語った程度だった」。

 「アベノミクス」の評価が最大の争点に掲げられた参院選で、福島第一原発事故を含めた東日本大震災の被災地の現状と復興が、全国的な主題として論議されることはなかった。

 自民党が大勝した21日夜の「安定的な政治の中で、経済政策を前に進めていけという大きな声をいただいた」という安倍首相のコメントに始まって、政治の関心は経済加速と憲法改正の是非に移り、大震災は過去のもの、別世界のものとされた。

 被災地の地元紙に、ここから何ができるのか、という問いを突きつける現実でもある。
「地方紙は今の東北の現状を変えられるでしょうか」。7月初めに早稲田大学の大学院ジャーナリズムコースで講義をさせてもらった後、学生が感想に書き込んだ質問だ。筆者と同じ福島県出身の学生は、言葉に焦燥をにじませて続けた。

 「在京紙がどんどん東北に注目しなくなっていく傾向の中、地方紙が被災地を報じ続けるのは極めて重要です。ですが、いくら地元紙が〝フクシマ〟の現状をスクープしたとしても、その報道で東北への関心がクレッシェンドしていく、そんな状況をつくるのは極めて困難な現状ではないでしょうか?」

 その時に思い出したのは、昨年夏、原発事故を巡る報道を、現地のメディアと専門の研究者を集めて検証しよう、と福島市内であった会合だ。そこで地元側の関係者から何度も聞かれたのは「県民に向けて」「県民のため」という言葉だった。しかし、それだけでは足りなくなった。古里を離れて全国各地に避難を強いられた原発事故被災者をつなぎ、風評に苦しみ克服に努める県民の思いや訴え、事実を被災地の外の人々に伝え、現状を変えようとするなら、もはや「地元」意識だけでは足りない。地方紙が「全国に向けて」発信するメディアに進化し、そのためにあらゆる手段を試みる努力をしなければならなくなった。

 別の学生からは「全国メディアと地方メディアの役割分担とは何か?」との問いもあった。地方紙は長年、昔の「藩」のような、創刊以来の販売・取材エリアをおのが領分とし、全国紙との伝統的なすみ分けもあった。

 しかし、そうしたメディア事情は震災を機に一変した。大震災は、東北という「一地方」を、それまでの歴史にないほど長期にわたる全国規模、世界規模の「ニュースの発信源」に変えた。

 被災地の地方紙は「日本の中心で、世界の中心でニュースを叫ぶ」役割を負い、河北新報の場合は、それらのニュースが日々各地の友好紙に配信され、自社ニュースサイト(KOLNET)から共同通信の47ニュース、Yahoo!ニュースなどを経て限りなく転載され、震災の渦中で地方紙の枠を超えて発信するメディアになっていた。

 新聞社の「紙とネットの間の壁」も渦中で乗り越えられた。

 記者たちはそれぞれに「自分たちに何ができるか」を模索し、夕刊編集部は街を歩いての生活情報ツイッターや記者ブログを始め、メディア局(現デジタル編集部)も自前のSNS(ふらっと)をフル活用して、被災地の住民ブロガーらの発信や支援情報・写真提供サイト、フェイスブックの被災地情報発信サイト「つむぐ」などを展開した。

 小さな実験群が、新しい読者とじかにつながる多角的メディアを当たり前のものにした。

 「紙かネットか」「ネットをどうする」ではなく、被災地の声を、震災の風化や風評という壁を越えて遠くに伝え、支援を呼び掛け、双方をつなぐためにも両方が必要になったのだ。

 参院選投開票の翌22日、破顔一笑の安倍首相が載った朝刊1面に、「復興へ『再生の経済』を」と題する120行の論評を書いた。こんな書き出しだ。「『復旧・復興は相当に進んでいる。復興需要に支えられて、日本で一番経済活動が前進している地域だ』。参院選公示前の6月17日、宮城、福島両県内を視察した黒田東彦日銀総裁が河北新報の取材に語った。違和感はそこから始まった。そう実感する人は東北の被災地にいるのか、と」。

 ぶつけたのは、それまで通った石巻市で聴いた生の声だ。

 「被災地の人々が訴えたいことは山ほどある。『工場を再建しても、市場原理の荒波にどう生き残れるか』『働き手も時給の高い復旧工事に奪われる』『復興加速といいながら、必要な物資の高騰に被災地が苦しむのは異常。政府は無策だ』『田んぼが復旧しても、誰が担えるのか。耕作者が戻れて初めて復興。それを国は支援してほしい』。

 膨大な復興予算も、コンクリートの器や盛り土だけでなく、人に生かし、自助の生活再建につながり、被災地の自立に役立たねば意味はない」

 記事は、KOLNETや「つむぐ」を経て転載され、275件のツイート、1300件の〝Recommend〟を得た(7月末現在)。どんな新たな現実の壁が生まれても、新聞記者の剣は常に現場の事実だ。現状を変えられるかどうか、地元紙も声を発し続けねばならない。

 論評はまっすぐ安倍さんに届けたかった。「『復興が進んでいるんでしょう』と東京で聞かれることがある。それは被災地と別の日常にいる人の思い込みだ。

 時間はただ問題の山積と複雑化、忘却を進める。当事者の声を聴くことから始まるのは記者も政治家も変わらない。何度でも通い、そこから『再生の経済』を考えてほしい。『寄り添う』の真の意味だ」。

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寺島英弥(てらしま・ひでや)

河北新報社編集委員。1957年生まれ。早稲田大学法学部卒。79年河北新報社入社。論説委員、編集局次長兼生活文化部長などを経て現職。著書に『シビック・ジャーナリズムの挑戦』(日本評論社)、『東日本大震災 希望の種をまく人びと』(明石書店)など。ブログ「余震の中で新聞を作る」。

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本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』9月号より収録しています。同号の特集は「フォトジャーナリズムの現在」です