メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

データ化した自分に心酔する 「データセクシュアル」な人々

小林啓倫(日立コンサルティング 経営コンサルタント)

 いまやスマートフォンや小型センサー、デジタル家電などを通じて、個人の行動を簡単にデジタルデータ化することが可能になった。

 便利になるのはいいが、個人情報が流出して「プライバシー侵害につながるのではないか」という懸念がメディアで論議される一方で、逆に自らのデータを積極的に公開したいという「データセクシュアル」な人々が増えてきているという。

 データセクシュアルとは何かを論じる前に、この言葉の元となった「メトロセクシュアル」という言葉を解説しておこう。

 メトロセクシュアルとは、都会的な洗練されたライフスタイルを好み、おしゃれな自分を演出するためにファッションやメーク、エステなどにお金をかける男性のことを指す。具体例として挙げられるのは、デービッド・ベッカムやブラッド・ピット、アシュトン・カッチャーといったセレブたちだ。ナルシスト、と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、自分の見せ方に深くこだわるような人々である。

 つまりメトロセクシュアルは、「メトロ(都会的)な自分」を愛する人々と言えるだろう。となると、データセクシュアルとは「データな自分」を愛する人々ということになる。

個人データに執着する新しいタイプの人々

 この言葉を最初に使ったのは、ニューヨーク在住の作家ドミニク・バスルト。彼によれば、データセクシュアルとは「個人データに執着し、自分の生活のあらゆる側面をデータ化して、データが増えれば増えるほどセクシーだと感じるような人々」だそうだ。

「データセクシャル」な人をイメージした図「データセクシャル」な人をイメージした図

 そしてメトロセクシュアルが鏡に映る自分の身だしなみを整えるように、データセクシュアルはデータで表される自分の姿を整えようとする。さながら「ビッグデータ時代のナルシスト」といったところだろう。

 例えばデータセクシュアルな人々は、ジョウボーンの「UP」やナイキの「フューエルバンド」などといったデジタル機器をつけて生活し、一日の運動量(歩いた歩数や消費したカロリー数、睡眠状況など)を記録する。そして単なる記録で終わることなく、データをオンライン上で公開して誇示する。走ったジョギングのコースを共有したり、行っているトレッキングのデータをリアルタイムで公開したりといった行動を取る人も珍しくない。いまや性行為中の振動や騒音を数値化するアプリまで登場しているほどだ。

 そこまで公開するという人はさすがに少数派だろうが、もっとカジュアルなデータであれば、多くの人々が喜んで自らの情報をネット上で公開している。

 そしてデータ上の「身だしなみ」を整えるために、「今日はもう少し歩いておかないと、今の数字を見られたら笑われてしまう」といった心理に陥る人も多い。あるいはオシャレな施設に来たらチェックインする(ネット上で自分の現在地を共有する)、ダイエットに成功して下がりつつある体重を共有するなどといった行為も、データセクシュアルの一種と言えるだろう。

 しかしこういったデータ化の仕組みは、何も自己満足を提供するためだけに行われるのではない。身体の状態を記録するシステムは、そもそも健康の維持や、医療行為の支援を行うために構築されたものが多い。あるいは純粋に自分の生活の記録や想い出を残すために、データを記録してオフラインで残すという人も多いだろう。そういった観点からすれば、データという「鏡の中の姿」を良くするために現実の行動を変えようとするなど、本末転倒な話だ。

データを共有してなりたい自分に近づく

 ただデータが自分の姿を映す鏡として、あるいはオンライン上に現れる自分自身の姿として機能するようになった瞬間に、それを良く見せたいという心理が働くようになるというのは、ある意味で非常に人間らしい現象と言えるのではないだろうか。ふとした瞬間にガラス窓に映った自分の姿を見て、思わず髪形や表情を気にしてしまったという体験は誰にでもあるはずだ。

 またデータセクシュアルな心理は、具体的なメリットをもたらすことがある。先ほどの「恥ずかしいからもっと歩かなくちゃ」のように、理想的な生活を促す一因として利用できる場合があるのだ。実際にデジタル歩数計を持たせ、一日に歩いた歩数を他人と共有できるようにしただけで、運動量が上昇したという調査結果も出ている。最近のダイエット系アプリでは、体重データや目標値を皆に向けて公開するというのが当たり前の機能になっている。

 たとえ見栄から生じた行動だとしても、データ共有を通じて「なりたい自分」に近づくモチベーションを高めるというのは、決して悪い話ではない。

 さらに彼らが公開するデータを通じて、社会の動きを.むことも可能になるのではないだろうか。

 もちろん彼らは社会の一部でしかないことに注意する必要はあるが、どんな生活をしているのか(あるいはどんな生活を理想としているのか)、何に関心があるのかといった情報をデータから割り出すことができるだろう。

 現実の人々だけでなく、彼らのデータ像にも意識を向けてみて損はないはずだ。

     ◇

小林啓倫(こばやし・あきひと)
日立コンサルティング 経営コンサルタント。
1973年東京都生まれ。筑波大学大学院地域研究研究科修士課程修了。国内SI企業、外資系コンサルティング会社等を経て、2005年より現職。著書に『リアルタイムウェブ―「なう」の時代』『災害とソーシャルメディア―混乱、そして再生へと導く人々の「つながり」』(共にマイコミ新書)など。

※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』10月号から収録しています。同号の特集は「国による情報統制が復活しようとしている 国家・報道・自由」です