メディアがなんとなく同じような報道に流れてしまう時に民主主義が危機に
2014年12月25日
テレビニュースで「自衛隊」の映像や隊員の登場頻度が増えている。あくまで実感だが、統計的にもおそらく間違いない。
10月17日、御嶽山の噴火による行方不明者の捜索が打ち切りになった。地元の王滝村の小中学校で児童生徒が捜索に当たった「隊員」の労をねぎらう「感謝式」があったというニュース。NHKニュースを見ると、この催しは長野県知事や地元自治体関係者が出席し、「隊員」とは警察、消防、自衛隊の三つの組織だったことが分かる。
ところがフジテレビのニュースでは、感謝式に知事も警察も消防も登場させず、自衛隊に対して感謝の歌が贈られたと伝えていた。傷ついた人を支えるという歌詞の「Believe」を聞いて自衛隊員の一人が号泣し、その隊員の表情や「今までの苦労を忘れさせてくれる」というインタビューに時間をさいて報道していた。
見出しの字幕だけ見ても「隊員の目に涙」(日テレ・夕方)「隊員〝男泣き〟」(フジ・夕方。夜ニュースでも報道)と「隊員の涙」を強調して報道したのが日本テレビとフジテレビ。
他方、NHK、TBS、テレ朝は隊員の涙にはふれていない。
「子どもの歌声に感涙した隊員」を伝えるかどうか。そんなところにもテレビジャーナリズムとしての〝見識〟が見え隠れする。
御嶽山噴火での捜索をめぐっては、「隊員の首まで火山灰が」(10月8日、テレ朝)「膝まで火山灰にうまる」(10月8日、日テレ)などの見出しも目立った。各社は連日の捜索を
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