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アシモフの銀河帝国の興亡から

私は政治外交史の方法論を学んだ

坂野潤治 東京大学名誉教授(日本近代政治史)

自宅の書庫には歴史書が時代ごとに仕分けられ、ずらりと並ぶ。古本屋で見つけた思い出深い稀覯本も少なくない自宅の書庫には歴史書が時代ごとに仕分けられ、ずらりと並ぶ。古本屋で見つけた思い出深い稀覯本も少なくない
 65歳で千葉大学法経学部を定年退職して以来13年間、現役時代に購入してあった伝記や日記、著作集、全集、古典的名著などを読み漁る日々を送っている。

 読書法は、いわゆる「スピードラーニング」の正反対である。英会話の習熟のため、「スピード……」は自分なりに実践もし、効果も抜群であったが、研究者としての読書は、千ページの本でも2千ページのものでも、先を急がず1ページ目から順に読んでいく。

 体力や視力の退化を差し引いても、時間は十二分にある。じっくりと精読すれば、忍耐は必ず報いられるもので、どこかで必ず宝物に出会える。幕末の書物でも、明治時代の本でも、大正・昭和のものでも、同じ方法で読んできた。

事象繰り返す近代史 歴史書はタイムマシン

 日本近代史という分野は不思議な分野で、数十年ごとに似たような政治、経済、外交の事象が繰り返される。まったく同じことは起こらないが、構造的に同じような時代が必ず来るのである。そんな類似性を片目で見ながら、たとえば勝海舟の日記や大久保利通の伝記、吉野作造の著作集などを丹念に読んでいくと、過去が過去でなくなる。私にとって読書は、一種のタイムマシンなのである。

 現役時代を含め、これまでに読んだたくさんの本の中から10冊だけを選ぶというのは、他の書物にまことに申し訳ない気がする。しかし、一事が万事である。ここには紹介できなかった書物も、同じような読み方をしてきたことは、確言できる。筆者の変わらぬ読書法を例示したものとして本稿をお読みいただければ、幸いである。

 10冊の嚆矢(こうし)として挙げたいのは、アイザック・アシモフのSF大作『銀河帝国の興亡1』である。この大作から、私は政治外交史の方法論のようなものを学んだ。

 これまで刊行した15冊の単著のすべての根底にあるのは、ここでアシモフが「心理歴史学」と呼んでいる架空の学問である。それは弁証法的発展段階論とでも言うべきもので、対外的な危機と国内的な危機が時を同じくして生じた際、その国はひとつの「支配体制」から次のそれへと段階的に発展する、というものである。

 1971年に最初の著作である『明治憲法体制の確立―富国強兵と民力休養』を書いたときには、この本をすでに読んでいたと思う。大学院生だった頃に友人の影響を受け、SFの代表的な作品を次々と読んでいたからである。

 拙著で分析したのは、政権を独占する薩長藩閥政府の「富国強兵」政策が、1890年の議会開設によって衆議院の「政費節減・民力休養」論の挑戦を受け、行政府と立法府とが非和解的な対立を繰り返す過程であった。アシモフのいう、「国内的な危機」の発生である。

 同じ頃、85年以来鎮静化していた日清対立が再燃し、日清戦争(94年勃発)が近づいてくる。「対外危機」の到来である。国内と対外の危機がほぼ同時に生じたために、行政府と立法府は調和を求めて1900年の伊藤博文による立憲政友会の結成へと到達する、というのが拙著の概要であった。まさにアシモフのいう「心理歴史学」の応用編といっていいであろう。

若き研究者を魅了した華麗な修辞の「脱亜論」

 次に挙げたいのは、1952年に刊行された旧版『福沢諭吉選集 第4巻・解題』である。

 『選集』の解題は正確には著作にはあたらないが、私の世代の研究者は、丸山真男氏の「解題」が読みたくて第4巻を買おうとし、『選集』をすべて買ってもいいと思ったものである。

 私が大学院に入った63年当時、この第4巻は入手不能であった。やむなく、図書館にこもってメモしたのを記憶している。

 私が福沢の「脱亜論」に興味を持ったのは、この「解題」によってであった。丸山氏は「脱亜論」について、次のように記している。

 「彼の対朝鮮および中国政策論が、それらの国の近代国家への推転を促進して共に独立を確保し、ヨーロッパ帝国主義の怒濤から日本を含めた東洋を防衛するという構想から出発しながら、両国の自主的な近代化の可能性に対する絶望と、西力東漸の急ピッチに対する恐怖からして、日本の武力による『近代化』の押売りへ、更には列強の中国分割への割り込みの要求へと変貌して行く思想的過程は、もはや紙数も尽きたので立ち入らない」(423~424ページ)

 丸山氏が「立ち入らない」と断っているにもかかわらず、この短文はそれ以後の「脱亜論」をめぐる解釈を強く拘束してきた。福沢諭吉は無類のレトリック好きであるが、丸山氏も同様である。この二人の名文に、後につづく歴史研究者、福沢研究者は、すっかりひき込まれてしまったのである。

 このような福沢の「脱亜論」の評価が間違っていることは、今日では明らかである。しかし、近年のなんとも無味乾燥な歴史書に接すると、たとえ間違っていようとも、丸山氏によるこの「解題」に、一度はひき込まれたほうがいいような気がする。

今日もなお通用する99年前の「分析視角」

 3冊目は、大正5(1916)年に刊行された『大正政局史論』(徳富蘇峰著)である。

 同時代のすぐれた政治評論は、歴史学者にとっては手強いライバルである。この本は今日では文庫版でも手に入るが、私の手元にあるのは、大正5年の第2刷である。その中にある次の一文は、「閥族打破・憲政擁護」を掲げた第1次憲政擁護運動が倒した政治体制を、簡潔に描写している。

 「明治三十六年より明治四十五年に亘る約十年間は、桂、西園寺の天下と云うも、溢言にあらざりし也。桂、内閣に立てば西園寺は政友会を率いて之を衆議院に援護し、西園寺、内閣に立てば、桂は、其の党与とも云う可き貴族院の多数と与に、之を幇助したり。……此の如くして十年間の内政的泰平を維持したりし也」(6ページ)

 今から99年も前の筆である。

 さらに本書は、

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