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歓迎一色の陰に隠れた出来事

メディアは責任を果たせたか

金平茂紀 TBS「報道特集」キャスター、早稲田大学大学院客員教授

原爆死没者慰霊碑への献花を終え、演説するオバマ米大統領(手前右)の言葉を聞く被爆者ら=5月27日午後5時43分、広島市中区の平和記念公園、代表撮影原爆死没者慰霊碑への献花を終え、演説するオバマ米大統領(手前右)の言葉を聞く被爆者ら=5月27日午後5時43分、広島市中区の平和記念公園、代表撮影

 その日の広島は、朝からお天気に恵まれ、オバマ米大統領が市内に到着する2時間前(午後3時前)までには、気温がじりじりと上昇して30・8℃の最高気温を記録していた。まるであの日の広島のように。僕らは朝から広島市の中心部にある平和記念公園にいて取材を続けていた。原爆投下から71年にして初めて実現した現職の米大統領による被爆地訪問。歴史的出来事であることは間違いない。多くの日本人は、テレビやスマートフォンなどを通じて、この推移をみていたことだろう。伊勢志摩G7サミットの会場から米海兵隊岩国基地に飛んだオバマ大統領は、そこで兵士らを前に激励演説を行い、同基地に配属されている輸送機オスプレイを引き連れて専用ヘリで広島市内へと飛んできた。そして市内のヘリポートに着陸後、長い車列を組んで平和記念公園内の原爆資料館前に到着、わずか10分間館内を視察した。のちに発表されたところによれば、館内でオバマ大統領は自らが折った折り鶴を寄贈した。平和公園での52分間の滞在が彼の歴史的訪問の内実である。

「謝罪」は避けて黙とう スピーチは予定上回る

 安倍首相に導かれるようにオバマ大統領は資料館から慰霊碑へと歩いて移動、まず献花を行った。慰霊碑前でオバマ大統領は数秒間目を閉じて沈黙した。軽く頭を傾けたが、深々と頭を下げるお辞儀とは明らかに異なる。「謝罪」など論外だとするアメリカ国内の「原爆投下正当化論」を考慮してのギリギリの所作であったのかもしれない。そしてオバマ大統領はスピーチを読み上げた。事前に僕らマスメディアに伝えられていた「5分程度」という予想時間を大幅に上回る17分間のスピーチだった。オバマ大統領はこのなかで核なき世界の実現を求めるとの理念を滔々と語った。

 演説後(ああ、そういえば安倍首相の日米同盟の深化を讃える演説もそれに続いたのだが人々の記憶にはあまり残らなかったのではないか)、オバマ大統領は、参列者の最前列にいた被爆者らのもとに歩み寄り言葉を交わした。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の坪井直(すなお)さん(91)と握手と言葉を交わし、さらに原爆の犠牲になった米兵捕虜の存在を調べてきた民間の歴史研究家でみずからも被爆者である森重昭(しげあき)さん(79)が涙を浮かべると抱き寄せて肩をさすっていた。とても感情に訴えかけるシーンだった。その後、オバマ大統領らは原爆ドームが見渡せる元安川西岸付近まで徒歩で移動して、ドームを「視察」したあと、車に乗り込み去っていった。

規制で公園は「真空状態」 誰のためのセレモニーか

2016年5月28日付朝日新聞1面(東京本社版)2016年5月28日付朝日新聞1面(東京本社版)
 テレビは今回のオバマ大統領広島訪問にあたっては、NHKと民放全キー局が特番体制を組んで生中継でこの模様を報じた。だが、結果的にこの中継放送はきわめて制約の多い中で行われた。この歴史的な出来事を報じるのに、なぜこれほどまでの取材制限、規制が行われなければならなかったのか。素朴な疑問だ。テレビ局側の対応もそれに唯々諾々と従っていなかったかどうか検証が行われて然るべきだろう。記者の数、カメラの台数、代表カメラの台数、カメラの設置位置等々。すべては警備・警護上の要請とされるのだろうが、それにしても警備が過剰ではなかったか。オバマ大統領が平和公園に到着したのは午後5時24分。それに先立つこと何と4時間半以上前、正午の時報前に、平和公園からは警察官や市の職員らによって一般市民が一斉に退去を命じられた。公園は「真空状態」になった。僕らメディアの人間も例外なく公園から追い出された(後刻、記者登録をして待機させられ、時間がくると所定の場所に誘導された)。

 せめてオバマ大統領を見るだけでもと公園内に駆けつけた市民らは諦めきれずに公園前の歩道にとどまっていた。歩道には市民らが溢れるように集まっていた。それを見ていて、このセレモニーは一体誰のために開かれているのだろうという素朴な疑問がわいてきた。2009年4月、核なき世界の理想を高々と宣言した「プラハ演説」の際は、市民2万人が広場に押し寄せ、歓呼に取り囲まれながらオバマ大統領は歴史的な「プラハ演説」を行った。何と今回はそれと対照なありようだったろうか。本来ならば多くの広島市民がそこに立ち会っていて然るべきではなかったか。

横たわる未解決の核問題 市民の参加避けた理由か

 それを阻んだものは何か。好意的に解釈すれば、原爆を投下した当該国のトップが、原爆を落とされた当該地に立ち会うことの重み、そして今もなお「核なき世界」の理念に反する未解決の問題が横たわっていることを認識すれば、大々的な集会を開催しえないという判断があったのかもしれない。けれども僕は思った。少なくともなぜもっと多くの、さまざまな立場の被爆者たちを広島からも長崎からも招待しないのか、と。日本政府のこれまでの態度を精査すると、もともとオバマ大統領の広島訪問に日本は乗り気ではなかった。実際、かつて外務省の事務次官が2009年11月当時、米国大使館に「広島訪問は時期尚早」と進言していた事実がウィキリークスですっぱ抜かれた公文書からわかっている。

 このあたり、後述する「謝罪は無用」世論の下地作りとも関係してくるのだが、任期切れ間近のオバマ大統領のきわめて強い意向によって訪問実現に協力せざるを得なくなったがゆえの、今回の「形式」選択となったのではないか。このあたりはさらに検証をすすめる必要がある。用意された参列者のパイプ椅子はわずか112席。参列被爆者は4人。オバマ大統領と被爆者との直接会話はその音声をメディアが収録することはできなかった。一体何をあそこまで制限する必要があっただろうか。疑問である。代表カメラも対面シーンには近づくことができないとされた。原爆資料館訪問の様子はカメラ撮影が不可とされた。なぜだろうか。全く理由がわからない。オバマ大統領が資料館の中で実際に見た資料は何だったのかが今もってわからないという不条理。

事実を覆い隠す生中継 視聴者の想像力誘えたか

 テレビの生中継というのは、イベントの進行を映像に映っているとおりに視聴者にわかりやすく手際よく伝えることを本領としている。プロ野球の中継、サッカーの中継、テニスの中継然り。だが、「歴史的」と形容詞のつく今回のオバマ広島訪問のような出来事の場合、生中継が逆に覆い隠してしまう部分があるのではないか。それは言葉を変えて言えば、

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