メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

少子高齢化、孤立化が進む日本で

みなが恩恵受ける社会は可能か?

山崎史郎 宮本太郎

 2012年夏、民主(現・民進)と自民、公明の3党が「社会保障と税の一体改革」で合意して4年余。消費税増税によって、社会保障の充実・安定化とそのための財源確保、財政健全化の同時達成を目指してきたが、参院選の前に安倍晋三首相が増税を先送りすることで、その雲行きが怪しくなっている。少子高齢化が進み、格差の拡大も深刻化するなか、日本の社会保障は大丈夫なのか? 政権の中枢で「一体改革」に深く関わった山崎史郎・前内閣官房地方創生総括官、研究者としてそれを支えた宮本太郎・中央大学教授に徹底討論してもらいました。(対談は8月4日に実施しました)

 参院選前の6月、安倍首相が来年4月に予定していた消費税の10%への引き上げを再延期しました。民進党も再延期を主張しており、3党合意に基づく「社会保障と税の一体改革」が棚上げにされたのではないかと懸念する声があります。山崎さん、宮本さんは現状をどうご覧になっているか。そのあたりから、話を進めていただきたいと思います。

宮本太郎さん
宮本 まず、「一体改革」が実現するまでの経緯を振り返ってみます。元をたどれば、福田康夫政権で設置された「社会保障国民会議」(2008年)、そして麻生太郎政権での「安心社会実現会議」(09年)で一体改革に関する議論が始まったときから、山崎さんは行政のキーマン、私は有識者の一人として、一体改革を進める大きな流れにかかわってきました。

 その後、自民党から民主党に政権交代し、流れはいったん途切れたかに見えました。民主党政権は当初、最低保障年金や子ども手当、求職者支援制度など、現金給付に重点を置いた制度を進めようとしていたからです。だが、これらの制度は、いずれも財源問題などで行き詰まった。菅直人政権で経済財政担当相に就いた与謝野馨さんを軸に、首相秘書官だった山崎さん、私を含めた「安心社会実現会議」を支えたチームが集まってこの流れが息を吹き返し、野田佳彦政権下の12年8月、民主、自民、公明による「三党合意」という形で実現しました。その後、安倍政権のもとで「社会保障制度改革国民会議」がまとめた報告書に基づき、改革が進みつつありました。

税金は還元されないもの 強い忌避感を持つ日本人

宮本 では、この一体改革は従来の社会保障政策とどこが違うのでしょうか。

 日本では税は還元されるべきという意識は弱かった。国民所得に占める税負担は23%程度と先進国では低いのですが、還元されない税にしては高いと思われてきた。一方、高齢化は世界で例のない段階に至り、社会保障費の増加などで国と地方の借金は1千兆円を超える。極めて異常な事態です。これではダメだ。税金を確保したうえで社会保障として還元し、将来世代へのつけ回しも減らそうというのがこの改革の本質です。

 しかし、今回、自民党だけでなく民進党も含めて政治家が増税の政治的なダメージを過剰に懸念し、かつ税の国民への還元に注力しないまま、10%への再増税が2年半延期された。一体改革は頓挫したのではと、非常に懸念しています。

山崎史郎さん
山崎 私の見方は少し違います。一体改革は頓挫してはならないし、頓挫しているとも思っていません。

 そもそも社会保障改革には、10年近くかけて政策を練りあげ、実行し、国民の合意を形成するという、腰を据えた対応が必要です。例えば「介護保険」ですが、厚生省(現・厚生労働省)が介護新システムの検討に本腰を入れたのは1994年。当初、97年の施行を考えましたが、90年代の政治の激動を受け、2000年にずれ込んだうえ、施行直前に徴収が凍結され、全額徴収できたのは01年10月から。国民の負担構造を変えるのは簡単ではないのです。粘り強く地道な取り組みがないと、国民の合意形成はできません。今回も、消費増税の再延期で一体改革は終わったわけではないと思っています。

宮本 介護保険はそれなりに時間がかかったけれど、国民の社会保障観を変えるのには成功しました。介護は誰もが避けられない問題なので、最終的に「社会保険」を受け入れたのです。これに対し一体改革は、例えば柱の一つである子育て支援をとっても、「子どもを産むのは選択の問題、5年も我慢すれば山を越える」という受け止め方すらあり、「増税」でなんとしても財源をという空気になっていません。かといって子育て支援は「社会保険」化も難しい。

山崎 「社会保険」であれ「税」であれ、負担を国民に受け入れてもらうためには、当然ながら、十分な納得を得る必要があります。納得にもいろいろなレベルがあり、一つは「やむを得ない」というレベルの消極的了解です。介護保険の消極的了解は、「高齢化で国民誰もが介護の問題を避けられなくなるのだから、みんなでお金を出し合って支えるしかない」でした。一体改革におけるそれは財政再建。「国にお金がないから、税負担をするしかない」ということです。

 でも、消極的了解だけだと、国民はやはり納得しきれない。より重要なのは、国民の積極的な支持を得ることです。そのためには、負担を受け入れると、今後どんな社会ができるかを具体的に示し、国民に新たな社会像をイメージしてもらうことが必要不可欠となります。

 介護保険では、「高齢者も保険料を支払うことで、受け身ではなく権利義務を行使する自立した存在に位置づけられる。高齢者が社会の担い手となって活躍する21世紀型の社会づくりを目指す」という改革の具体像、例えばケアマネジメントの考え方などを示し、国民の多くに納得してもらえたと思います。

 それでは一体改革のほうはどうか。国民の積極的な支持を得るには、消極的了解から一歩踏み込み、政府が今の日本社会をどう認識し、今後どういう社会システムをつくろうとしているかを、具体的に示すことが重要だと思います。それは、簡単に言うと、次のようなことです。

 我が国では、家族の形が急速に変わり、個人化が進むなか、バブル経済の崩壊で企業から受け入れられず、地域のコミュニティーにも入れない若者や単身の高齢者が非常に増えています。いわゆる「社会的孤立」の問題です。そういう人たちを現在の社会保障では受け止めきれていない。子育ての難しさも、若い夫婦が家族や地域から孤立しているゆえの問題です。そうした社会の「谷間」に陥った人々を社会全体が受け止める仕組みをしっかりと作る。そのための税(消費税)負担です。国民全体が連帯して支え合う社会を目指し、改革を進めましょう―。

 こうした「共生連帯社会」の考え方を政治家も官僚も学界もマスコミも、十分に語ってきていないのではないか。そこをきちんと国民に示し、改革の具体像をもっと明確にするべきでしょうね。

財政・ビジョンの両面で危機的な状況の一体改革

宮本 私も希望としては一体改革はまだ終わっていないと考えたいのですが、現実は相当、危機的です。

 第一に財政面です。消費税が10%になれば2・8兆円になったはずの社会保障の充実分と、現段階の1・35兆円の差額をどうするのか。低年金者への給付金、基礎年金の拠出期間の短縮などにかかる資金の手当てが不足するという議論をメディアはしていますが、事態はさらに深刻です。というのも、本来なら後代へのツケ回しという形でくくられていた3・9兆円分ぐらいが吹っ飛んだわけで、そのダメージはかなり大きい。これをどこから持ってくるのか。

 第二にビジョンの面です。一体改革では、会社や地域の公共事業で男性が稼ぎ、一家を支えるという従来モデルをバージョンアップし、老若男女、みなが働ける社会にしようというビジョンを示してきました。しかし、このビジョンが最近、1億総活躍や地方創生、困窮者自立支援など様々なパートに分散し、鮮明でなくなっています。これら各種の施策を貫く新しいビジョンを、官邸や政権が語っていないのは問題です。

山崎 第二の点について少し申し上げたいと思います。確かに01年に経済財政諮問会議が発足して以来、毎年「骨太の方針」をつくるなど、短期の政策実現に力点が置かれるようになった流れの影響はあります。毎年度の予算や税制改革を念頭に置いた政策を、次々と打ち出してきた。1億総活躍や地方創生もそうした見方で捉えられがちです。

 このやり方は機動的で効率的ですが、社会保障のような分野ではしっくりこない面があります。社会保障は射程が長く利害関係者も多いので、1年間はもとより、一内閣でも完結できないテーマもあるからです。目先にとらわれず、大きな流れに着目して議論する必要がある。

 メディアも、毎年、概算要求で出てくる新規の政策にばかり注目せず、継続的・中長期的なテーマにももっと目を向けてほしい。たとえて言えば、政策はテーマによって、100メートル走、400メートル走、マラソンなど距離が違う競技があるようなもの。社会保障は20キロのハーフマラソンでしょうか。メディアには、20キロを走り切るまで長い目で根気強く報じるという姿勢が大切でしょうね。

宮本 メディアは、新しく始めたり変えたりしたことを、ニュースとして報道しがちです。ただ、メディアを意識するあまり、政治が新しい制度を次々と打ち出した揚げ句、何でもあるけれど、どれも中途半端にしか機能していない体系になっていないでしょうか。

山崎 社会問題は、政治がどうあれ、変わらずに存在する。じっくり向き合い、解決に向けて一歩ずつ前進させるしかありません。そういう姿勢こそが、政治や行政への国民の信頼を育むと思います。

宮本 次に、社会保障と税の一体改革の前提となる社会問題とは何だったのか、「そもそも論」から考えたいと思います。

 もともと日本の社会保障―私は雇用の保障も含めて「生活保障」と言っていますが―は、世界的にユニークでした。最近でこそ、社会保障・福祉にかけるお金が結構な額になっていますが、かつてはあまりお金をかけず、困窮や格差がそれなりに抑制される社会を形成していた。ベースにあったのは、大企業の長期的雇用慣行、地方の公共事業、業界保護などを背景にした、男性稼ぎ主の雇用や収入の安定でした。

日本の社会保障支えた企業と地域の二元構造

宮本 他方、日本は1961年に国民皆保険、皆年金を世界で4番目に実現するなど、早い時期から社会保険を整備しました。逆進性の高い保険料を抑えて社会保険を維持する工夫が施され、例えば国民健康保険や国民年金、基礎年金、介護保険などに財政調整という形で多額の税金が投入されました。その結果、社会保障にかかるお金の回り方が複雑化し、社会保険の連帯感が育たず、税金へのある種の不信感を増長させた面があります。

山崎 日本では、企業を中心とする社会保険の流れが大正時代からありました。そこに戦後、国民皆保険、皆年金を接ぎ木したのですが、その際、社会保険をベースにしつつ、保険ではまかなえない分を国保などの地域保険でカバーしました。

 この企業単位の保障と、地域単位の保障の「二元的構造」が、日本の社会保障制度の核心です。この「二元的構造」を維持するために、労使からなる企業と地域との間で対立や摩擦が生じないよう、常に配慮がなされてきました。そのため、国は保険料だけでなく、税財源、すなわち国庫補助も投入してきたのです。

 こうした構造が機能したのは、経済成長が続き、企業の求人意欲も高く、雇用が安定してきたからです。もちろん高齢化に伴い退職者も増えました。しかし、企業は終身雇用をしっかり守り、退職後の高齢者は地域が引き受けるという形で、両者は調和を保ってきました。

 ところが、90年代に高齢者の増加に拍車がかかり、

・・・ログインして読む
(残り:約9028文字/本文:約13797文字)