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推進と反原発、二つに分かれ先鋭化する情報

テレビは視聴者の深い関心に応えられるか

萩原豊 TBSテレビ報道局「NEWS23」番組プロデューサー・編集長

 事故から6年目、去年6月になって、ようやく東京電力の広瀬直己社長は、その事実を認め、謝罪した。

 「いかなる状況があったにせよ、口止めに当たるような指示をしたことは痛恨の極み」

 「指示」とは、東京電力福島第一原発の事故直後、当時の清水正孝社長が社内に出していたものだ。

 「炉心溶融、メルトダウンという言葉を使うな」―。社長自らによる〝メルトダウン隠し〟。この指示によって、核燃料が溶け出すという、最悪の事態が伝えられなくなった。しかも、東電は、この指示を知りながら、公表していなかった。極めて重い事実だ。

 実は、この〝メルトダウン隠し〟について、TBSの取材チームは、その3カ月前、原発事故5年で放送した「NEWS23スペシャル 東日本壊滅の危機があった」(2016年3月10日放送)で指摘していた。

 この特別番組は、原発事故直後から取材にあたっていた記者、ディレクターが再集合し、新たなメンバーも加えて制作を始めた。

 「何が起きていたのか、忘れられつつあるのではないか」

 戦後70年の特番でもないのに、会議で出された、スタッフに共通した危機感は、日本社会における〝事故の忘却〟にあった。福島原発の事故がまるでなかったかのように、あるいは、甚大な事故ではなかったかのように、原発再稼動が進められ、日常生活が戻っている……。

 制作方針として、まずは、地震発生からの時系列の事象を追いながら、事故の全体像を、当事者の証言、再現映像を交えて展開することで、視聴者に、あの事故の深刻さを第一に伝えようと考えた。

 さらに、取材上、焦点となったテーマに基づいて、〝五つのなぜ〟を設定した。

 ① なぜ吉田所長は命令に反したのか?
 ② なぜメルトダウンと言えなかった?
 ③ なぜ4日目に最大の危機が?
 ④ なぜ住民は北西へ逃げた?
 ⑤ なぜ津波の被害を防げなかった?

 冒頭で触れた〝メルトダウン隠し〟。②の「なぜ」について、取材を進めた結果、初めて明らかになった新事実だった。

 TBSのライブラリーに保存されていた、事故直後、11年3月14日の東京電力の会見映像。記者会見に臨んでいた武藤栄副社長(当時)に、男性社員が小さなメモを見せながら、囁ささやくような声で耳打ちをした。その音声レベルは、ごく小さいのだが、ボリュームを最大限に上げると、こう聞こえた。

 「官邸から、これと、この言葉は、絶対に使うなと」

 「これ」と「この言葉」。この二つは、いったい何なのか。使われなかった言葉が重要な情報を意味していれば、重大な「口止め」になる。だが、特定は難航した。取材途中で、意図的とも思える、攪乱(かくらん)するような情報すら入った。

 しかし、チーム内の記者の粘り強い取材で、二つの言葉が「炉心溶融」「メルトダウン」であることを突き止めた。

 このメモを機に、会見などで「炉心溶融」に代わって、「炉心損傷」という言葉が多用されていく。口止めのあった会見の前、武藤氏は、社内のテレビ会議で「メルト」という言葉を使って核燃料が溶け落ちた可能性があると発言している。つまり、「口止め」によって、炉心溶融という事故の深刻さを矮小化したのだ。そればかりではなく、情報を伝えられなかった住民の避難にも影響を与えた可能性が高い。炉心溶融が起きていることを住民が認識していれば、さらに遠方への避難や屋内退避の徹底によって、被曝量を減らすことができた可能性がある。事故から5年が経過して、ようやく明らかになった新事実は極めて重大な意味があった。

 さらに、これには前段がある。去年2月、「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融」と判断基準が明記された社内マニュアルがあったことを、東電が明らかにしていた。事故後から一貫して、判断する根拠がなかったために、メルトダウンの公表が遅れたと説明してきたにもかかわらず、判断基準が存在していたのである。これも、新潟県が要請した調査によって、事故から5年を経て、初めて明かしたものだ。

 震災発生直後に福島に向かい、現場で取材をしていた私には、強く印象に残っているやりとりがある。福島県庁近くで開かれていた東電福島事務所の会見。最大の焦点は、事故がどの程度深刻なのか、メルトダウンが起きているのか、だった。そこで発表されたのが、

 「1号機の燃料棒の損傷は70%、2号機は33%……」

 燃料棒が、それほど損傷しているということは、メルトダウンではないのか?東電職員に問いただしても、「例えば燃料棒の広い表面にクラック(傷)があれば、そうなります」などという説明にとどまっていた。

 その時、存在が明らかになった東電の社内マニュアルに従えば、明確に「メルトダウンが起きている」と判断できていた。福島の人々、全国の視聴者への伝え方が大きく変わったはずだ。しかも、実際、既に燃料棒は溶け落ちていたのだ。

不十分な「情報公開と透明性」 メディアの役割は

 ⑤の「なぜ津波の被害は防げなかった?」という設定は、事故直後から繰り返された「事故は想定外」という説明に対する、私たちの根本的な疑問だった。

 取材の過程で、チーム内の記者が、何人もの関係者をあたった末に、これまで表に出ていない、東電社内で作成された、ある重要な内部資料を独自に入手してきた。当該資料の表題には、こうあった。

 「福島第一発電所・想定津波の検討」。

 日付は「平成20年」。2008年、つまり事故の3年前だ。そこには巨大津波の試算が明確に記されていた。

 「敷地南側の津波高さ、15・7メートル」

 政府の指摘を基に、様々な条件から試算された末の数字だという。この時、東電で津波対策の責任者だった人物は、事故当時所長だった、あの故吉田昌郎氏だった。吉田氏は「15・7メートル」という試算報告を直接受けていた。さらに、当事の会長や社長にも「今の設計よりも大きい津波がくる可能性が否定できない」「そういう学説が出ている」とまで説明されていた。また、福島第一原発で働く職員にも説明されていたこともわかった。「会議後回収」と記された、別の内部資料には、こうあった。

 「現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」

 震災3年前の段階で、こうした試算がありながら、さらに「不可避」とまで記されながら、なぜ有効な対策がとられなかったのか。その責任は、どこにあるのか。

 こうした事実を特別番組で指摘したが、東電は放送の3カ月後にようやく、第三者委員会の検証報告が出たことで、事実を認め謝罪したのだった。

 この一例を取ってみても、原発事故の核心につながる情報の公開は、6年目になっても不十分と言わざるを得ない。

 政府の事故調査・検証委員会は、政府の第三者機関として、菅直人元首相や所長だった故吉田昌郎氏ら772人を1500時間以上にわたって、非公開で聴取し、12年に最終報告書をまとめているが、個々の「調書」の公開は同意が得られたものに限られている。元東電役員ら幹部の調書には、津波対策や事故対応などについて重要な情報が含まれているはずだが、公開に至っていない。

 チェルノブイリ原発事故、東海村臨界事故、もんじゅナトリウム漏洩などの例を挙げるまでもなく、日本の原発には、事故のたびに、情報公開のあり方が問われてきた歴史がある。

 特に記憶しているのは、02年に発覚した、東電の原子力発電所トラブル隠し。福島第一、第二原発、柏崎刈羽原発の3発電所において、1980年代後半から90年代に実施された自主点検作業で、点検結果に関して記録の不正記載などが行われた疑いがある事案が多数見つかった。原子力安全・保安院などに内部告発がありながら、2年もの間、事実を公表しなかった。

 内部告発をした、米GE=ゼネラル・エレクトリック社の元技術者、ケイ・スガオカ氏に、日本のメディアで初めてインタビューした時のことだ。スガオカ氏は、内部告発が長く放置されたことなど、行政や企業の情報公開の在り方や不誠実な対応に強く憤っていた。

 この〝トラブル隠し〟を契機に、再発防止対策として、東京電力は「4つの約束」を公表している。その第一に掲げられたのが「情報公開と透明性の確保」だった。ここから、原子力には、何より「透明性」が必要という認識が広がったはずだった。

 だが、福島原発事故後はどうなのか。透明性が進むどころか、後退している印象さえある。だからこそテレビは、いまだ表に出ていない、隠された重要な事実を掘り起こす取材を続けなければならない。

「報道の使命」と「記者の安全」 取材態勢をどう構築するか

 アメリカ大統領選で、トランプ氏によって増幅されたのは、いわゆる伝統メディアへの不信感だ。

 複数のメディア研究者から、日本でも新聞・テレビへの不信が高まった要因の一つが、福島第一原発事故の取材・報道にあると指摘された。

 「その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」(16年3月放送)と題する番組で、テレビ朝日は、原発事故取材を検証している。そのなかで、

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