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若手記者体験記《認知症事件》

終わりでない逮捕 どう向き合うか

加藤あず佐 朝日新聞新潟総局記者

 身近な事件や事故とどう向き合い、何を伝えたらいいのか。そんな悩みを抱きながら、思いがけず死を迎えた認知症の人たちを追った。きっかけは、ある事件の当事者である姉妹との文通だった。

 記者2年目だった2016年4月、新潟県中越地方の民家で母親(当時86)を殺害した疑いで長女(59)が逮捕された。逮捕直後の県警や近所への取材で、母親は認知症を患い、姉妹が介護していたことが分かった。なぜ悲しい事件につながったのか。ひとごとに思えず、妹(49)に取材を申し込んだが「今は答えられない」と断られた。

 数カ月後に再び手紙を書き、県外に引っ越した妹に渡してもらうよう弁護士に頼んだ。事件から1年が過ぎたころ、妹から返事が来た。刑務所にいる姉とも手紙のやりとりができるよう、妹が手続きを取ってくれた。

姉妹との文通から始まった

紙面 2017年8月22日付、朝日新聞朝刊新潟版紙面 2017年8月22日付、朝日新聞朝刊新潟版
《致命的だったのは、サポートしてくれる人がいたのに独りよがりの思い込みで行動してしまったことだと思います》

 横書きの便箋(びんせん)にぎっしり書かれた姉の言葉は重かった。数往復の文通を重ねると、当時の状況が浮かんできた。

 母親の認知症が父親の死後に急速に進み、県外で別々に住んでいた姉妹は実家に戻った。

 母親は朝5時前に起きて料理を始め、火をつけたまま台所を離れて鍋を焦がす。注意すると怒鳴り返し、施設に入ることも嫌がった。長女の責任感から、「一日中つきっきりじゃないとだめだ」という思いが頭から離れず、日々自分を追い込んだ。

《妹か私のどちらかが倒れたら、母を含めてみんなの生活が共倒れになってしまう。想像すると生きる意欲もなくなりました》

 あの日、姉は母親の顔を浴槽の水につけて水死させ、殺人容疑で逮捕された。姉は手首から血を流した状態で、浴室に倒れていた。

《父の存在に甘んじて、介護の勉強を始めるのが遅すぎた》

 妹は悔いた。

 変わりゆく母親と向き合う中で、何をすればいいか分からない混乱が姉に降りかかったこと。回りの人に迷惑をかけたくないという遠慮で自分を追い込んだこと。殺害は決して許されないが、殺意につながった苦しみに胸が痛んだ。背景にあったのは、どの家庭にもありうる状況だった。ありのままを伝えることで、認知症と介護家族のことを考えるきっかけがつくれるだろうか。姉妹の了承を得て、そのままの言葉を記事にした(紙面)。

ようやく分かった事件報道の意義

 掲載後、読者から手紙が寄せられた。

《姉妹の苦しさが他人事とは思えなかった。介護の労力や知恵を共有できないのだろうか》

 近所の女性からだった。同居の認知症の義父母を10年間介護し、みとった経験が便箋11枚にわたって書かれていた。別の女性の手紙には、事件の再発防止を願う追悼会を開くことが書かれていた。元教員だった母親の教え子からだった。女性らに会いに行くと、「介護の悩みを共有できれば」「みんなでやっていきましょう、と伝えていきたい」と語った。

 取材の中で、この事件を機に介護家族の支援を考える勉強会を開く介護福祉関係者らにも出会った。記事の掲載後に勉強会に招かれ、取材で感じたことを話した。講演後、ある参加者は私に「介護家族への接し方を見直そうと思った」と話してくれた。

 事件報道の意義を、ようやく自分なりにのみ込めた気がした。事件直後から、当事者や近所の取材に走るマスコミへの目は厳しい。それでも「話を聞かせてほしい」と頭を下げるのは、事件を報じる意義の一つに再発防止があるからだと言い聞かせてきた。妹に取材を申し込んだときも、「悲しい事件が再び起きないよう、考えるきっかけをつくるために何があったか教えてほしい」と伝えた。だが、遺族であり加害者の家族でもある妹が苦しみの中にいるときに、私の思いはきれいごとではないかという不安もあった。

 意義を感じることができたのは、姉妹の言葉に突き動かされた人たちを見たときだ。当事者の言葉は重い。なぜ起きたのか、これからどうすれば防げるのかを訴えかける。重みを受け止め、自分に何ができるのかを考えて動く、私が出会ったような人たちの存在は、事件の再発防止の一歩になるはずだと思った。再発防止の小さな芽を大切にしたいと、介護家族に必要な地域の支えを問い続ける人たちがいることは、改めて記事にした。この経験は、今の自分の支えになっている。

 読者からの手紙は姉妹にも送った。

 姉は何度も読み返したという。

《(介護で)大変な経験をされ、圧力に潰されずに頑張っていた方の体験談は、私に何が足りなかったのかを考えさせてくれます。時間をかけてゆっくり考えていきます》

《姉にとって、いろいろ気付きがあると思います。我が家のようなことが、今後起こらないように願います》

 妹からも返事があった。

事件から問題点を投げかける

 姉妹との文通の記事は、認知症をめぐるいくつかの事件事故とともに連載にまとめた。この事件以外にも、認知症の人が被害者や加害者になる事件事故が多いと感じたからだ。

 一つは、400万円の貯金がありながら万引きを繰り返し、刑務所内でようやく認知症だと診断された男性(当時69)のことだ。独り暮らしだった男性は、数年前に認知症を発症し、通帳をなくして作り直すことを繰り返すうちにお金がないと思い込み、万引きを繰り返したとみられる。男性は出所直前に刑務所内で亡くなった。「もっと早く手をさしのべられなかっただろうか」と悔やむ地域生活定着支援センターの男性がいた。認知症の高齢者が犯罪に走ることもある中で、出所直前の出口支援で十分なのか。弁護士、検察、社会福祉士が連携し、刑務所に入る前の支援が必要ではないかという問いにつながった。

 もう一つは、列車にはねられて死亡した認知症の女性(当時82)についてだ。身の回りの世話をし、帽子に名前を縫い付けるなど、一生懸命介護していた嫁(49)がいた。「お話を聞いていると、やれることは全てやっていたように感じる」と私が言うと、嫁は涙を流し「見守っていても、目をすり抜けてしまうことがある」と話した。その言葉は、家族だけでは担いきれない、地域の見守りの重要性を問いかけるものだった。

 どれも県版のベタ記事やニュース短信、また記事にもしなかった事件や事故だ。「万引き容疑で逮捕」「列車事故の発生」など、毎日のように目にする県警広報文1枚をきっかけに、署回りの雑談などでヒントを得て、家族や近所の人らを訪ね歩いた。思いがけない死を迎えた認知症の人たちの「姿」と共に、重要な問いが浮かび上がった。世間を揺るがす事件事故の凄惨(せいさん)さを伝えることの影響は大きいが、どこでも起こりうる事件から身近な問題を投げかけることも大切だと思った。

 同時に、「逮捕」や「判決」はニュースだが、区切りであっても「終わり」ではないと思った。遺族の苦しみが癒えることはない。一方で、事件後に動き出す地域の人たちもいる。事件を改めて振り返れば、背景にある問題が見えてくることもあったからだ。現在は県政キャップをしている。認知症は今も一つの取材テーマだ。若年性認知症の人たちを支える取り組みなど、行政の視点からも取材を続けている。これからも、身近な問題の当事者に寄り添って取材したい。 

                                  ◇

※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』10月号から収録しています。同号の特集は「ジャーナリズムへの誘い」です。