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徴用工問題で隘路の日韓

「未来志向」紡ぎ直せるか

箱田哲也 朝日新聞論説委員(国際社説担当)兼編集委員

 あまたの困難を克服してきた日本と韓国だが、今回ばかりは勝手が違う。

 国交正常化から半世紀以上を経たいま、政治的に封じこめてきた歴史問題がむきだしのまま、感情高ぶる両国民の前にさらされようとしている。

 韓国の大法院(最高裁)が出した徴用工裁判の判決が問うのは、隣国を植民地として支配するということ、そのものと言える。

 出方を誤れば、決定的な対立につながりかねないが、現状を見渡す限り、隘路(あいろ)をうまく抜けられそうにはない。何より深刻なのは、日韓の両政権とも、懸案に対処する知恵も能力も、そして意思をも十分に持ち合わせていないことである。

 2018年10月8日は、日本と韓国にとって特別な意味のある日だった。こんにちの発展した両国関係のスタート地点となったと言ってもいい日韓共同宣言(21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ)が出て、ちょうど20年という節目だったからだ。

 厳しい冷戦下にあった1965年。ともに同盟関係を結ぶ米国の強い後押しを受けて日韓は国交を正常化した。その後、確実に経済の結びつきは強まったが、植民地支配をめぐる加害国と被害国の交わりの前には、常に「過去」の問題が立ちふさがった。

 そんな関係を脱却し、過去を正面から見据えつつ未来志向の関係を築いていこうと、日韓首脳が誓いを立てたのが、20年前の共同宣言だった。

 宣言後、日韓関係は多くの面で交流が活発化した。1年間に両国を往来した人の数は、2018年、初めて1千万人を超える見込みだ。

植民地支配を問うた判決

 宣言20周年という節目を迎えた昨年は、日韓双方でシンポジウムなど多彩な行事が開かれ、その意味や重要性を再確認した。だが、そんな良好なムードもさめやらぬ10月30日、韓国の大法院が出した判決が、両国関係の根幹を揺るがすようなショックを与えた。

 韓国が1980年代後半に民主化し、それが広がるにつれ、労務動員や慰安婦問題での訴訟が日本各地で起きるようになった。これらの問題に対する日本政府の主張は必ずしも一貫してきたわけではない。だが、個人の請求権の存在を認めつつも、「完全かつ最終的に解決」とした日韓請求権協定により、たとえ裁判に打って出てもそれらは「救済されない権利」であるとの立場を崩していない。

 韓国政府も、現在の文在寅(ムンジェイン)大統領の盟友であった盧武鉉(ノムヒョン)大統領が政権をもっていた2005年8月、請求権問題を協議していた官民合同委員会の結論として、元徴用工の補償問題は、請求権協定を通じて日本から受け取った無償3億ドルに含まれているとの結論をまとめていた。

 しかし、今回の判決が衝撃的だったのは、未払い賃金などが請求権協定に含まれていたかどうかではなく、それより半世紀以上さかのぼる日本による植民地支配自体が不法な強制占領だったとの判断を確定させたことだ。判決は「不法な植民地支配に直結した日本企業の反人道的不法行為に対する慰謝料請求権は、請求権協定の対象にならない」と結論づけた。

 韓国併合が合法だったか不法だったかをめぐっては日韓が国交を正常化する過程でも大きな議論になった。だが、曲折の末、「もはや無効」、つまり、あえて日韓どちらも都合よく解釈できるという曖昧な形にすることでなんとか折り合った。

 日韓が新しい一歩を踏み出すにあたって取り決めた大きな土台であり、実際にそこから多くの協力が生みだされた。両国関係が「65年体制」などと呼ばれる所以でもある。

 判決を受け、日本政府は激しく反発した。もとより請求権問題はすでに、すべて解決しており、今回の判決の趣旨である植民地支配に基づく慰謝料も含めて、当然、請求権協定によって主張できなくなっていると指摘した。

 条約や法律の優位性をめぐる見解はさまざまだが、「憲法>条約>国内法」とみるのが一般的だという。韓国の大法院は2012年、日本の裁判所で出された原告敗訴の判決は「植民地時代の強制動員そのものを違法とみなしている韓国の憲法の核心的価値と衝突する」との判断を示しており、今回もその考え方は踏襲された。これに対し、日本政府は、仮にたとえそうであっても国際条約に従い、韓国自身が自国内で解決すべき問題であるとの立場だ。

懸案の核心「個人の尊厳」

日韓が抱える課題日韓が抱える課題
 日韓の司法判決がそれぞれ異なる判断をしたのは、単に法律論の話だけではなく、実際には植民地支配、さらにはその支配のもとで繰り広げられた個人の尊厳についてどう考えるかの違いがある。

 日本から、今ごろ何をまた言い出すのか、という声が出るのは当然だろうが、そうやってはねつけてしまえば終わるという問題でもない。今回の判決は、植民地支配からの解放以来、日本と韓国の間でくすぶりつづけている懸案の核心的な部分を含んでいるためだ。

 法解釈はそれとして、日韓間の歴史認識問題において、なおも重要なのは植民地支配の実態のファクトレベルでの見極めであることは言うまでもない。

 ところが歴史認識問題では、事実を矮小化または否定する動きや、その反対に実態以上に被害を誇張するような言説がせめぎあう。

 たとえば10月末に出た徴用工判決に関し、安倍晋三首相は国会で、「政府としては徴用工という表現ではなく、旧朝鮮半島出身労働者」と呼んでいると述べ、その理由として、当時の労務動員の方法には「募集」「官あっせん」「徴用」があったが、原告4人は「いずれも募集に応じた」ためだと説明した。強制ではなく、自分の意思で応じたと強調したかったようだ。しかし、この発言には韓国側で反発が起きただけでなく、日本の専門家からも、「徴用」以前もかなり強引なケースがあり、「人質的略奪、拉致」などとした記録が残っているとの指摘が出た。

 強制労働に神経をとがらせ、動員の実態を打ち消そうという日本政府の動きは15年の「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録の際にも表れた。いわゆる強制労働をどう表現するかをめぐり、日本は「その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」と説明しながらも、国際法に言う強制労働にはあたらないと主張した。当時は首相官邸サイドや外務省の一部幹部から、こんな説明すらも不要だとの強硬論が出た末に落ち着いた表現だった。

 この世界遺産登録の際の日韓の対立から、当時かなり双方の意見が近づいていた慰安婦問題での水面下協議を、日本政府は中断してしまった。結局はその年の年末、日本で仕事納めがあった日に日韓両外相によって合意が発表されたが、この慰安婦問題もまた、事実と記憶のはざまで揺れ動いてきた懸案だ。

対話・熟議なき政治、外交

 慰安婦とはどういう存在で、どんな日々を送っていたのか。全体の規模や実態に関しては、まだわからないことが多い。一方で、日韓を中心とした研究によって、かなりの部分が明らかになってきた。真摯な研究成果は、日韓で重なる部分が非常に多い。そして、その成果が示しているのは、日韓の双方で出ている両極端な慰安婦イメージが、ともに認めがたい不都合な真実でもある。それはたとえば、慰安婦の大半が厚遇を受けていた売春婦であったかの言説であったり、朝鮮半島出身の慰安婦のほとんどが幼い少女で、物理的暴力的に連れて行かれたかのような「記憶」であったりする。

 相手が何を重く見て、何を訴えているのか。たとえ結論は異なるとしても、相手の主張を理解する必要は欠かせない。その土台となるのは、自国にとって有利不利を超えた、冷徹なまでの事実の認定である。

 声の大きな一部の世論と不正確な過去の事実認識は課題の解決を遠ざけるばかりだが、現在の日韓関係が抱える問題はそれだけにとどまらない。

 今回の徴用工判決や慰安婦問題の政治合意に対する冷ややかな対応など、いわゆる左派を支持基盤とする文在寅大統領の意向が強く反映されているのではないかとの指摘が日本で出ている。

 だが、2012年に大法院が原告敗訴とした2審判決を差し戻したのは、保守の李明博(イミョンバク)政権下だった。時の政権の政治理念というよりも、韓国の流れ自体がそういう方向に進んでいるとみるべきだろう。

 一方で、慰安婦合意に対する動きは、世論の流れに加え、文政権ならではの政治的判断が多分に影響している。文政権が最も重視するのは、朝鮮半島の安定、恒久的な平和定着であり、そのための北朝鮮との共同繁栄である。と同時に、朴槿恵(パククネ)・前大統領を弾劾・罷免に追い込んだ市民パワーによって生み出された政権との自負があるだけに、対北朝鮮政策も含め、前政権をことごとく否定する政策をとる格好になっている。前政権の数少ない実績の一つとも言える慰安婦合意は、それゆえに厳しい評価につながっている側面がある。

 だが、いざ文政権がかじ取りを担うことになると、慰安婦合意否定の代償は小さくなかった。外交は妥協の産物だが、その前線に立つ外交官自身が、日本を避けるようになった。過去の問題で難しい交渉を何とかまとめあげても、後に責任を問われかねないようなリスクの大きい仕事が敬遠されるのは必然だった。

 ただでさえ、最近の韓国の歴代政権では、国際社会における日本の地位の低下に伴い、対日外交への関心が薄らいでいたが、慰安婦合意を否定する動きはその流れを決定的に後押しする形となった。

 だが、これは決して韓国に限ったこととは言えない。

 かつて懸案が噴き出せば、日韓の大物政治家同士が額を合わせて事態を落ち着かせることもあったが、そんなパイプが途絶えて久しい。アジア外交で懐の深さをみせた日本の保守政治はすっかり鳴りを潜め、誰かと競うかのように近隣国への勇ましい言葉が飛び交う現状。韓国でも、90年代は珍しくなかった日本語が流暢な国会議員はいま、数えるほどしかおらず、代わりに英語圏で大学や大学院を出た政治家が目立つようになった。政治に対話や熟議の形跡は見当たらず、靖国神社や竹島(独島)に足を運んでは相手を刺激するという悪循環が続く。

 官僚の世界でも、

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