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21世紀家父長制の悪夢

新天皇家の発する家族メッセージ

牟田和恵 大阪大学大学院人間科学研究科教授

 「代替わり」が迫っている。2016年夏に始まった現天皇の生前退位の報道から足掛け4年、この国はずいぶんとこのことに振り回されてきた。その最たるものが元号で、コンピュータのシステム担当者からカレンダー業者まで(前者はまさに現在進行形で、だろう)苦労している。こうした面以外にも、「平成最後の」のイベントや表現があちこちで花盛り、新元号になったらなったで、「〇〇初の」が喧伝されるのだろう。2019年4月30日と5月1日は、ほかのどの日にちとも変わらずつながっていくのだが、この国ではあたかも截然(せつぜん)と時代が画されるかのような幻想を与える。今回は生前退位により4年にもわたってそれをしているわけだ。暦を新たにする元号とはまさに、権力が時間を支配することの象徴だが、民主主義国家となって70余年経過した21世紀の現在、それをこうして目の当たりにさせられることに忸怩たる思いがする。

「家」制度の維持と継続

 もう一つ、皇室が民主主義に違背しつつ称揚までされているのは、家父長制、言い換えれば女性差別だ。男系の継承しか認められていないこと自体、女性差別が歴然だが、女性天皇を認める法改正も議論されていたのが、2006年に秋篠宮家に男子が生まれたとたんにその論議がストップしたのはあまりにあからさまだった。現在も、女性宮家創設に関する議論があるが、それもこのままでは天皇を支える皇族が先細りだから、という「家」第一の発想でしかない。

 敗戦によってもたらされた憲法改正で男女平等や個人の自由に反するとして民法の「家」制度が廃止されたなか、天皇家についてだけは男子継承が維持された。もともと、歴史上では古代から江戸時代まで女性天皇は存在したのに、明治になって皇室典範によって男子のみの継承が制度化された。国民全体のレベルでみても、そもそも「家」制度は武士階級のもので、近代以前は地域や階層によって女性による家継承は珍しくなかったのが、明治民法により男子継承が定められて女性差別が制度化されていった。新憲法でそれが廃止されたにもかかわらず、天皇家にのみ残り続けているのだ。

 度重なる国連女性差別撤廃委員会からの是正勧告や世論の変化にもかかわらず夫婦同姓を強制する民法改正の勧告を日本政府は放置し続けているが、保守派の夫婦別姓への強力な反対も、かつての「家」制度から続く男性家長中心の家族秩序を壊すわけにはいかないという意志の表れだ。国民統合の象徴とされている天皇家が、近代に創造された男性至上主義を堂々と実践している限り、保守派は主張を変えることはないだろう。女性天皇の反対者たちは、「万世一系の伝統が崩れる」とかDNAがどうとか、さまざまな理屈を論拠とするが、それは実はロジックが逆なのではないか。

 つまり彼らは、女性天皇が実現すれば、彼らが振りまき続けたい「男」が尊く女の上に立つものであるというイデオロギーの根幹が揺らぎかねないことを恐れているのではないだろうか。

皇室と家族イメージ

 そうした制度面だけでなく、「インフォーマル」に見える家族の在り方についても、天皇一家の影響は測り知れない。

 現在われわれはメディアの発達により、天皇や皇族の「家族」の姿をTVや雑誌、さらにはネット上でもよく目にするが、「家族の姿」を見せることは、近代ヨーロッパの王室や皇帝に始まる、国民統治戦略の一つだ。

図1 アニメ「原始家族フリントストーン」 THE FLINTSTONES and all related characters and elements are trademarks of and © Hanna-Barbera.
 家族史や社会史の分野に「近代家族」という概念がある。夫・妻とその子が情愛で結ばれ外部からは独立したあたたかな「ホーム」を営む家族の在り方は、多くの人々が「自然」なものと思い込んでいるが、実は近代に至る社会経済構造の変化の中で生まれてきたものだ。人類史をはるかに遡る狩猟採集時代でも「男が狩りに出かけている間、女は洞窟で子を抱いて待つ」というイメージが疑いもなく信じられていたり、石器時代を舞台にした映画やアニメから「家族のために働くサラリーマンの父親、家で家事や育児をする妻、家にはペットがいる」といったストーリーが提供されていたりする(図1「原始家族フリントストーン」)が、これらは幻想にすぎない。後者はあくまでフィクション、とも思われようが、人類発祥から男女は前者のような役割分業をしていたという信念があるからこそこうしたフィクションが受け入れ可能なお話になるのだろう。しかしながら夫・妻・子の極小の単位で人類が生存しえたはずはなく、人はより広い共同体の中でこそ生きることが可能だった。それが、近代に至る産業化の中ではじめて「夫・妻・子」よりなる独立した単位としての「家族」を形成するようになったのだ。つまり私たちの自明とする家族は没歴史的なものでも「自然」なものでもないという認識から、「近代家族」と呼んでいる。

「善き家族」の模範

 近代家族の登場の担い手となったのは、産業革命にいたる前後から勃興成長したブルジョワジー(有産市民階級)だ。ブルジョワは、日本語では(すでに死語に近い言葉になっているが)「金持ち階級」のようなニュアンスで使われるが、本来の意味は、出自は平民でありながら経済的に成功し立派な社会的地位を有する人々のことだ。ブルジョワジーは、生まれながらに「尊い」身分で(「ブルー・ブラッド」と言われるとおり「血」が異なる)莫大な土地や財産を有する王や貴族と違い、商工業に携わり、あるいは専門的な職業によって財を成し豊かな生活を築き上げた人々だ。したがって彼らにとって、自らの階層を再生産しその地位を維持するには、日々の勤勉努力、将来を見据えた計画的な生活態度、そして安定的な家族生活を維持し子供の教育を行っていくことが必須である。とりわけ女性は、そのために、子の教育に熱意を持ち健康にも配慮する、善き母でなければならないのだ。

 「勉強しなくては将来いい会社に入れない」と子供の成績や進学に腐心する現代の人々はまさにその末裔なのだが、近代に生まれたこうしたブルジョワ的価値観と家族の在り方は、その後、上下の階級に波及していく。

図2 「サンスーシ公園の皇帝一家」 1891年、ベルリン・ドイツ歴史博物館 © William Friedrich Georg Pape (1859–1920) [Public domain]
 王たちは、本来そうした「ブルジョワ」的価値観とは無縁で、贅沢や奢侈、性的放縦が許されていたのだが、絶対王政の時代が終わり、市民社会の時代がやってきたとき、次第にブルジョワの「道徳的に正しい」家族の在り方に倣う必要が出てくる。そしてやがて王室や皇帝一家が「善き家族」の模範を積極的に示して国民統治を図ろうとするのだ。彼らは、子供たちと妻を愛する善き夫(図2のドイツ皇帝)として、愛する夫との間に9人の子をなし続け愛情豊かな女王(イギリス・ビクトリア女王)として君臨した。とくにビクトリア女王は、イギリスが大英帝国として世界の覇権を握った時代の君主だが、善き妻・善き母として表象され、その「帝国の母」「慈愛」のイメージが大英帝国の維持・拡大の礎となったといわれている。

 こうした王家の家族の肖像は、数多く描かれ、国民に家族のモデルイメージを提供し続けた。そしてこうした家族像には、頑健で勇ましい男性(図2のように男は軍服や水兵服を身に着け)と優美でたおやかな女性(女は華やかではあるが清楚な白いドレスやワンピースをまとっている)という男女のありようを対称的・補完的に描くジェンダーステレオタイプが刻印されているのである(三成美保『ジェンダーの法史学―近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房、2005年)。

明治天皇の家族の表象

図3 「皇室御団欒御真影」 明治32年、岡道孝コレクション、川崎市市民ミュージアム蔵
 欧米の先進国に並ぶ文明国となることを至上命題とした日本で、時を同じくして位についた明治天皇家も、こうしたヨーロッパの王室に見倣う必要からか、明治32(1899)年に「皇室御団欒御真影」(岡道孝コレクション・川崎市市民ミュージアム蔵)が描かれている(図3)。明治天皇・皇后(美子)と、皇太子(のちの大正天皇)および妃(節子)の若夫婦と子供たちが居並ぶ家族肖像図なのだが、男は軍服、女は華やかなドレス(さすがに女児にワンピースは着せていないが)というところは共通しているものの、実はこれらの人物の親子関係は複雑だ。子供たち7人のうち節子妃に抱かれている赤ん坊含め3人の男児(前列中央がのちの昭和天皇)は皇太子と妃の実子だが、同じくらいの年齢の少女4人は、明治天皇の子であり皇太子のきょうだいなのだ。つまりこれら幼い4人の女児たちは男児たちの叔母なのだ。

 このように年の離れたきょうだいはかつての多産の時代には珍しくはなかったが(サザエさんの母フネは多産ではないが、ワカメちゃんはフネさんの子で、サザエさんの子であるタラちゃんの叔母である)、皇太子と内親王たちの実母は異なる。明治天皇には5人の側室がいたが、図の女児たちの実母は明治天皇の最後(5番目)の権典侍(ごんのてんじ)(側室)であった園祥子(さちこ)であり、皇太子の実母は3番目の側室であった柳原愛子(なるこ)である。つまりこの「皇室御団欒御真影」で「母」として存在している美子皇后の実子は誰一人いないのだ。

 現在の感覚から言えば、「ドロドロ」とでも形容できそうな家族関係だが、

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