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中小企業は制度どう見る

「選ばれる国」になり得るか

中島隆 朝日新聞編集委員

 発展途上の国々から来日した方たちに働きながら技術などを身につけていただき、母国で生かしていただく。

 建前ではそう位置づけられている「外国人技能実習制度」ですが、実習生の失踪が後を絶ちません。不当な扱いを受けている実習生の方々も多く、きわめて深刻な問題になっています。

 悪いのは、誰だ?

 実習生のみなさんに過酷な長時間労働を強いている中小企業経営者だ。

 実習生のみなさんを超低賃金で働かせている中小企業経営者だ。

 実習生のみなさんを使い捨ての労働力と見ている中小企業経営者だ。

 そう思っている方も多いと思います。もちろん、経営者に非はあります。

 でも、ひどい経営者は大企業にだってごまんといます。

 リーマン・ショックのとき、派遣社員のみなさんを切り捨てた大企業の経営者たち。無理な要求で下請けの町工場を追い詰めた大メーカーの経営者たち。貸し渋り・貸しはがしで中小企業を破滅させた銀行の経営者たち。

 そんな経営者たちの行いで多くの人が自ら死を選び、夜逃げをした人たちも後を絶ちませんでした。

 でも、経済合理性という「錦の御旗」を掲げた大企業の経営者たちは、なんとなーく許されてしまいました。

 脱落した人や企業は生産性が低かったんだから、仕方ないさ。

 経済に新陳代謝はつきものだから、仕方ないのさ。

 大リストラで多くの人を不幸にして業績を上げた経営者が称賛されてきたなんて、世も末です。

 そんな問題意識から中小企業に向き合ってきた私は、考えこんでいます。

 たしかに実習生にむごいことをしてしまった中小企業の経営者は、悪い。行いを改めなければなりません。

 でも、中小企業だけを批判はできないはずです。

 政府は有効求人倍率が高いことを誇ってきました。アベノミクスの成果なのです、と。人手不足に苦しむ中小企業は、自力で何とかしなくてはなりませんでした。でも、従業員を募集したって日本人はなかなか来ません。危険、汚い、きついの3Kの業種では、絶望的です。

 外国から実習生が来てくれました。アベノミクスの果実とやらは落ちてこず、経営が苦しくなる一方です。そこで、日本人のアジアの方を下に見てしまう悪習から無理難題をおしつけてしまったのだろうか。経営者は平気だったのだろうか、いや、苦しんだに違いない。

 だから、私は考えこんでしまった次第です。

 実習生、留学生、正社員。いろいろな立場で、外国の方たちは日本で働いています。外国の方たちと経営者の双方がハッピーになるには、どうしたらいいのでしょう。

 そのヒントを求めて中小企業を巡りました。いました、いました、外国の方たちに寄り添っている経営者が。言葉や文化、慣習の違いに悩みつつ、変わる日本の仕組みに戸惑いつつ、道を切り開こうとしていました。

実習生の将来見据え

「クリタエイムデリカ」で働くミャンマーからの実習生のみなさん。ミャンマーの「愛してる」という意味のポーズをしていただいた=埼玉県越谷市.

 埼玉県の越谷市。そこに「クリタエイムデリカ」という会社がある。創業して70年あまり。スーパーやコンビニなど向けに、ざるそば、パスタなどの中食を24時間体制で、1日8万食つくる。

 従業員は、およそ400人。日本人と外国の方が半々ぐらい。技能実習生はミャンマーから45人、留学生もいるし、中国などからの正社員もいる。

 社長の栗田美和子さん(64)は、こう言う。

 「うちが外国人を雇い始めたのは30年ほど前、コンビニとの取引を始めたのがきっかけでした」

 24時間365日体制で生産しなくてはならなくなった。人が集まらなくて困っていたら、知り合いからペルーの人を紹介された。雇ったものの、パスポートが偽造されていたので雇いつづけることができなくなった。

 1988年、イラン・イラク戦争が休戦。そのあおりで日本にあふれたイランの方たちを、栗田さんは雇った。「不法就労なのは承知していましたが、イラン人も生きなくてはなりません」。中国の方も1年の研修生として雇った。

 そして93年、技能実習制度が創設された。惣菜製造業に適用されたのは2015年。ミャンマーの方たちを受け入れた。

 「うちの外国人雇用は、世の中の流れに沿ってきただけです」

 ここで、「外国人技能実習制度」を簡単におさらいしておこう。

 目的は、技術や技能、知識を開発途上の国々へ移転し、その国の経済発展を担う人づくりに協力すること。つまり、あくまでも国際協力、である。

 だが現実は、経営者にとっては労働力確保の手段であり、外国の方たちにとってはカネ稼ぎの手段である。

 実習生が来日して働くまでは、こんな仕組みになっている。

 母国で日本語を3カ月ほど学び、日本政府が認めた現地の「送り出し機関」が実習生たちを日本へ送り出す。実習生たちを受け入れるのは日本にある、これまた日本政府が認めた「監理団体」。そこで1カ月ほど、仕事や生活に必要なことを学んだうえで企業に派遣されていく。派遣先の多くは中小企業である。

 そんな仕組みの中、栗田さんは2013年、みずから「アジアイノベーション協同組合」という監理団体を設立した。ミャンマーで10カ月から1年、日本語と食品製造を学んだ若者を受け入れ、自分の会社や要望のある企業に送り出している。組合は、心のケアなど実習生を丁寧にフォローし続けている。

 先に書いたように、本来、技能実習生は母国で日本語を3カ月ほど勉強すればいい、とされている。けれど、ミャンマー語の文字と似ても似つかない、ひらがな、カタカナ、漢字を使う日本語を3カ月学んだところで、日本語能力試験のレベルでは「N5」に届かせるのがやっと。そう栗田さんは考えるのだ。

 能力試験のレベルは「N1」まで5段階あり、「N5」は初歩中の初歩。基本的な日本語をある程度理解することができるレベルとされるが、あいさつができる程度である。

 それでは日本で働くのは難しい。そう考え、栗田さんは、ミャンマーでの10カ月から1年をかけた勉強で「N4」レベルに到達してから来日してもらっているのだ。「N4」は、基本的な日本語を理解することができるレベルだ。

 日本語でのコミュニケーションができるようになれば、仕事の現場で、日本人従業員にかわいがってもらえる。だから、栗田さんは、会社でも日本語の勉強に力を入れさせている。

 「N3」への到達は必須だそうだ。日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができるレベル、である。そして、目指せ「N2」、とハッパをかけている。新聞や雑誌の記事が理解でき、自然に近いスピードの会話やニュースを聞いて理解できるレベルだ。

 N3を取ったら、N2を取ったら、それぞれ手当を支給しようかな。ただいま栗田さん、検討中である。

 日本語の勉強に力を入れさせているのは、コミュニケーションをするほかにも、ねらいがある。

 「この子たちがミャンマーに帰ったとき、N2の力があれば現地の企業で活躍できます。日本人がビジネスや観光でミャンマーに行ったときの通訳やガイドができます」

 ミャンマーの平均月収は、日本円に換算すると1万円ほど。「その10倍をミャンマーで稼げます。この子たちが幸せになれます」

 栗田さんの会社では、実習生の時給は1年目は最低賃金プラス少し。1年ごとに10円昇給。なので、生活費をのぞくと手元に毎月10万円以上は残すことができる。

 実習生の失踪。その原因のひとつに、来日前に抱える多額の借金が指摘されている。母国の送り出し機関や日本語学校などに払うカネを、親や知人から借りているのだ。栗田さんによると、その額はベトナムだと100万円を超えるが、ミャンマーの場合だと平均で60万円ほど。なので、手元の10万円を返済に回すと、半年で完済できる計算だ。

 借金を返したあとは貯金ができて、母国への送金もできる。

 栗田さん、送金先は、どこですか?

 「実習生それぞれが持っているミャンマーの銀行口座です」

 栗田さんは実習生に、日本に来る前にミャンマーの銀行で口座をつくらせているのである。日本にお金を置いていたって超低金利でお金は増えない。でも、ミャンマーだと年10%ほどの利子がつく。自分の銀行口座をつくる、もミソ。家族や恋人に勝手に使わせないためだ。

 「貯金をどう使うか、しっかり考えなさいと指導しています」

 実習生の中には、親に家をプレゼントした人がいる。ミャンマーの田舎では、日本円で100万円あれば家が買える。

 3年働いて帰国するとしたら、銀行口座には200万円はたまる。これだけあれば、首都ヤンゴンでも起業したり店を持ったりが可能になる。

 栗田さんは、実習生に、こうも言っている。「あいさつをして、掃除もしよう。ご近所の人たちに、いい子たちだと思ってもらわなければダメだよ」

 実習生のキンテ・テ・カインさん(21)は来日3年目。N3を取得済み。「私はもっと日本語を勉強し、日本の大学に行きたい」。ゾウ・グムン・パラーさん(22)は、「ぼくはお金をためてミャンマーに帰り、金の仕事をしたい」。ミャンマーは金の産出国だ。ニェ・イ・トウェさん(24)は、「私の村にはお店がありません。お金をためて、将来はお店を開きたい」。

 実習生のみなさんは明るく、日本語や仕事への一生懸命さが分かる。でも、甘い言葉が実習生を誘惑する。栗田さんは実習生を守ろうと必死だ。

 「外国人がたむろしている場所に行ったらダメ。高い給料をあげると誘ってきても、信じちゃダメ」

 栗田さんによると、実習生がSNSで誘われることも多いのだとか。誘いは、もちろん母国語。それを信じて実習先から失踪、不法残留となり、過酷な労働をさせられる。つまり、母国の人が母国の人をだましているのだ。

 「だまされないためにも日本語の能力が必要なのです」と栗田さん。日本語が分からないまま来日すると、母国の人たちとグループをつくりがちになるし、母国語に引き寄せられてしまう。

 甘い言葉に誘われないためには、賃金だけではない魅力がある会社にする必要がある。そう考える栗田さんは埼玉大学の学生にインターンに入ってもらい、会社に足りないものは何かを指摘してもらっている。

 今年、実習生2人が失踪してしまった。だが、栗田さんには立ち止まる暇はない。厳しい現実に向き合い、前に進むしかない。「奮闘しつづけます」

実習制度は「上から目線」

 日本の現実は暗澹(あんたん)たるものだ。

 5966件。

 これは、技能実習生の受け入れ先に対し、2017年に労働基準監督機関が監督指導をした件数である。13年は2318件だったので、5年間に2.5倍に増えたことになる。おそらく18年は6000件を超えただろう。そして、毎年、監督指導をした先の7割程度で、法令違反が見つかっている。

 たとえば、長時間労働を強いたうえで、時間外労働にともなう割増賃金を減額していた。仕事中に重傷を負った実習生に、自宅でケガをしたことにするよう強要、労災隠しをしていた、などの違反が起きていた。

 この現実を見て、つくづく思う。

 実習生は、日本に出稼ぎに来た、ふつうの労働者じゃんか。

 労働政策研究・研修機構(JILPT)の研究員で、日韓の労働事情に詳しい呉学殊(オウハクスウ)さんは、指摘する。

 「国際貢献という名目で始まった技能実習制度には、日本の『上から目線』を感じます」

 日本で外国人技能実習の制度がはじまったのは1993年。バブルが崩壊したものの、日本とアジア諸国とは、経済力や技術力に大きな開きがあった。外国人たちは思った。日本で円を稼げば、母国ではたいそうなカネになる、何としても行きたいと。日本の中小企業も、労働力を外国人に頼ろうと思った。

 けれど、外国人を労働者として大量に雇うことには拒否反応もあった。そこで、政策立案者たちは、日本の技術を外国に伝授し、発展に役立ててもらおうという建前にもとづく制度にした。

 時は流れる。世界における日本の経済力は落ち、アジア諸国は力をつける。何が何でも日本へ、という思いが減っていく。なのに、相変わらず日本政府は、国際貢献だという建前を保った。

 「日本が上、アジア諸国が下。まず、そんな日本の『上から目線』を改めない限り、日本は見捨てられる国になりかねません」と呉さん。

 呉さんは続ける。

 「技能実習制度という仕組みは、実習生と経営者という当事者双方をアンハッピーにしてしまいました」

 実習生は母国で借金をして来日する。少しでも稼ぎたいと思う。受け入れている経営者だって、

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