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特ダネの記憶 松本サリン事件

オウムとの「対決」覚悟 元旦紙面で特報、完成目前「サリン工場」止める

三沢明彦 元読売新聞記者

 「新聞は調査報道に徹するべきだ。警察がいずれ発表するものを少し早く記事にすることが特ダネならば、自己満足にすぎない。何の意味があるのか」

 「サリン残留物 検出」を1995年元旦付紙面で報じた直後だったと記憶している。マスコミセミナーの質疑応答で、学生からストレートパンチを食らったことがある。「そう来たか」。戸惑いながらも、抜いた抜かれたの熾烈な競争に日々さらされている者としては、やはりムッとする。大学で何を教わったか知らないが、ひるんだところを見せるわけにはいかない。ここは一発、ビシッと決めなくては……。「いい質問ですね」と体勢を立て直し、相手の目を見据えながら、まくし立てた。

 「確かに自己満足かもしれない。でも、ヒットが打てない選手にホームランは打てない。私たちは情報の第一発信者であり続けたい、と取材現場で日々もがいています。朝駆け夜回りでネタ元をつくり、誰よりも早く情報をつかもうとしている。ニュースを発掘し、裏を取り、取材を深める。自分の足で特ダネを追い続けることで、記者は成長する。常に第一発信者であろうという強い気持ちがなければ、ポテンヒットさえ打てない。調査報道は自己満足の延長線上にしかない。日々の特ダネ競争こそが、ジャーナリズムに活力を与えていると信じています」

 調査報道という魔法のような言葉が、学生たちを魅了していることはわかっていた。それに比べて、「重要参考人浮かぶ」「逮捕状を取った」といった検察や警察などの捜査を追った特ダネは、「リークに過ぎない」「当局に操られている」とみられているのだろう。

むき出しの競争意識が生む特ダネ

 確かに権力の不正を暴き出す報道は華々しい。権力監視はメディアの使命だ。しかし、端緒が警察にしろ、タレ込みにしろ、あるいは自らの疑問からスタートしたものであるにせよ、記者が裏を取り、足を使って取材を深めなければ記事にならないことは変わらない。さらに言えば、もたもたしていて他社に抜かれてしまえば、すべては水泡に帰す。ネタに対する執着心、むき出しの競争意識がなければ、時の政権を揺るがす調査報道であろうと、自己満足の警察ネタであろうと、特ダネが生まれることはない。現場でしのぎを削るサツ回りは、学生にそう言いたかったのである。

 だが、彼らの指摘がまったくの的外れと言うわけでもない。少なくとも、自己満足にすぎないという指摘は、その通りかもしれない。正直に言えば、今回、「元旦報道の裏話を」と依頼された時、躊躇する気持ちがあったのは確かだ。記事にするまで、オウム真理教をずっと追い続けてきたわけでも、危険なカルト集団と戦ってきたわけでもない。神奈川県警の坂本堤弁護士一家「行方不明」事件はもちろん関心はあったが、掘り下げて取材したことはなかった。綿密な調査報道で困難を乗り越えて、隠されていた事実を白日の下に引きずり出した―という迫真の物語が書けないのだ。

 警察担当、サツ回りの記者が、いつものようにあちこち網を張っていたら、ある日、大きな当たりがあった、というだけの話だ。劇的なドラマを期待されても、応えることはできない。「やはり断ろうか」と迷っていた時、学生たちに偉そうに話したことを思い出し、逃げるわけにもいくまい、と考え直したのである。

 言い訳はこのぐらいにして、まずは発端となった松本サリン事件から話を始めてみよう。

 長野県松本市で異変が起きたのは、1994年6月27日深夜だった。死者8人、重軽傷者660人。有毒ガスが発生した模様だが、事件なのか、事故なのか、はっきりしない。翌日になっても、現場の混乱は収まらず、警察庁担当だった私は東京・霞が関の庁舎内を回って、何が起きているのか探ろうとしていた。刑事局捜査1課の幹部と話していると、どうやら長野県警は農薬の調合に失敗したとみているようだ。発生源の池に隣接する男性宅の物置にはいくつもの薬品が置かれていた。男性は第一通報者で、県警は重要参考人とみて家宅捜索に踏み切るという。そのことをデスクに伝えると、翌日の朝刊には「被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索」「除草剤の調剤ミスか」の見出しが躍った。そして、この時、その後の捜査の流れが決まってしまった。

「農薬調合ミス」、第一通報者に照準

 大混乱の現場情報は虚実入り交じり、混沌としている。真実もあれば、思い違いも、フェイクニュースも飛び交う。だが、情報は上に報告されるたびに次第に整理され、見立てに沿わないもの、否定的な要素、矛盾する項目がそぎ落とされる。マイナス情報はノイズ・雑音として削除されるのである。そうした報告に基づいて、いったん捜査方針が固まると、なかなか抜け出せなくなる。

 有毒ガスがサリンと発表されたのは、7月3日のことだ。ナチス・ドイツが開発した有機リン系神経毒物質の毒性は青酸カリの数百倍。イラン・イラク戦争で史上初めて使用された化学兵器が国内の住宅街に散布された衝撃は大きかった。農薬程度の知識しかない一般人にサリンが製造できるはずがないことは、今では常識であり、それが街中に散布されたとすれば、真っ先にテロを思い浮かべるだろう。だが、当時は農薬の調合ミスからでもサリンは生成できる、と解説する自称専門家もいた。有毒ガスの正体が判明した後も、第一通報者が怪しいという見通しが覆されることはなかった。私自身も含めてだが、想定外の事態に頭が追いつかず、思考停止状態になっていたとしか言いようがない。警察も、マスコミも、従来の発想から抜け出せなかったのだ。

 事件からしばらく経っても、警察幹部と「(男性は)まだ落ちないのか」と話していたことを今も覚えている。現場からも、第一通報者クロ説を支えるような話が上がって

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