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「納得感」なき入管行政 SNS時代の外国人レジスタンス

木下洋一 未来入管フォーラム代表

 入管行政の基礎となる法律、それはもちろん「出入国管理及び難民認定法(入管法)」である。この入管法の前身である「出入国管理令」は、まだ日本がGHQの統治下にあった1951年、ポツダム政令として産声を上げた。

 当時、日本にいる「外国人」の大半は、戦前は日本人だった朝鮮半島の出身者であり、そもそも入管法はその朝鮮半島出身者をいかにスムーズに半島に送還し、いかに管理するかを主眼においた法令であった。その後、出入国管理令は出入国管理及び難民認定法にその名を変え、これまで幾多の改正を重ねてきたものの、その基本的骨格は戦後70年間、ほとんど変わっていない。

 本稿では、入管行政の問題点を指摘しつつ、SNSの普及が入管行政や外国人、市民、報道機関にもたらした変化、今後の課題などについて考えたい。

入管法制の広範な裁量権

 入管法の最大の特徴は、行政庁(出入国在留管理庁)に与えられた「広範な裁量権」である。もっとも、裁量それ自体は悪でも何でもない。どの行政分野においても多かれ少なかれ裁量は存在し、それによってフレキシブルな行政が可能となる。相手方の利益を最大限尊重することにもつながる。しかし、入管領域における裁量は、外国人の利益や人権を守るためというよりは、恣意的で不公平な判断を正当化するためのエクスキューズとして機能している側面ばかりが目立つ。

 例えば、入管法21条3項は次のように定める。法務大臣は「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる」。あるいは入管法50条1項は、法務大臣が「その者の在留を特別に許可することができる」場合として、「法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」と定めている。

 何をもって「適当と認める」のか、何をもって「相当の理由」なのか、あるいは何が「特別の事情」なのか、それらはすべて法務大臣の裁量判断に任されている。

 さらにその法務大臣の強大な権限の大半は、地方出入国在留管理局の長に委任されている。つまり、全国に八つある地方出先機関の長にすぎない一官僚が、国家主権の名のもとで最終判断権者となり、巨大な裁量権の采配をふるう。まるで藩主8人による幕政のように。

 加えて、行政手続法は外国人の出入国に関する処分の大半を適用除外としている。そのため、審査基準・処分基準の設定、公表の義務や努力義務も課せられていなければ、不利益処分に対する理由の提示義務も課せられていない。明確な基準もなく、在留特別許可や仮放免等の不許可処分に対して、満足のいく理由の説明すらされない。難民認定手続以外は行政不服審査法からも除外されているため、不服の申し立てすらできない。

 これでは、外国人が入管に不信感と不満を持つのも当然であろう。果たして自分に対する処分はフェアに行われているのか、と。

 半世紀以上前、ある法務官僚の「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」という発言が国会で問題にされたことがある。その発言の真意はさておき、この「道しるべなき入管法制」は、それから半世紀がたった今でも、「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」にできる巨大な裁量権を、白紙委任的に入管という行政庁に与え続けているのである。

マクリーン事件判決の呪縛

 この入管が持つ巨大な裁量権を、さらに後押ししているのが、1978年のマクリーン事件最高裁判決である。この事件は、英語教師として在留していたアメリカ人男性が、ベトナム反戦運動等の政治活動を行ったことから、在留期間更新の不許可処分がなされたことの是非が争われたものである。判決から40年以上が経過した今でも入管訴訟のメルクマール的存在となっている。

 最高裁は、外国人の人権は基本的に保障されるとしながらも、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は「外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない」とし、入管の裁量判断が違法となるのは「その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合」に限るとした。

 これは入管にとっては願ったり叶ったりの判決である。なにしろ、よほどのことがない限り、入管の裁量判断は違法にならないというのであるから。

 最高裁はさらに次のように述べ、入管を喜ばせている。

 「行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない」

 つまり、行政庁自らが定めた内部的基準に反するような判断が行われたとしても、それはあくまでも内輪のルールであるから、単に「当不当の問題」にとどまり、違法性の問題とはならないということである。まさに、何にも縛られることもない、「なんでもあり」の裁量権行使のお墨付きを、入管は最高裁から得たのである。

 また、入管は「永住許可に関するガイドライン」や「在留特別許可に係るガイドライン」等、いくつかのガイドラインを自ら設定し、ホームページ等で公表している。しかし、入管当局も裁判所も、一貫してガイドラインは単なる目安であり、裁量基準ではないとして、これもまったく形骸化している。

 例えば、「在留特別許可に係るガイドライン」においては、長期にわたる日本人等との婚姻等を「積極要素」、重大な犯罪等を「消極要素」とし、積極要素が消極要素を上回る場合は在留特別許可を検討する、とされている。ところが、いざ在留特別許可の判断の場面になると、入管は積極要素であるはずの長期にわたる超過滞在者と日本人との婚姻等は「違法状態の上に築かれた婚姻関係については、保護すべき必要性が特に低い」と平然と言い放ち、裁判所もそれを追認する。

 オーバーステイ中の婚姻が長ければ長いで違法性が高いと言い、短ければ短いで安定性がないと言う。どちらに転んでも、入管はそれをいとも簡単に正当化できるのである。

 そもそもガイドラインが策定された主目的のひとつは、それを公開することにより、在留特別許可を受けられる可能性のある者の一層の出頭を促すためである。しかし、ガイドラインという餌で非正規滞在者を入管に出頭させ、その後は、ガイドラインは目安にすぎないと言い放ち、入管が恣意的な判断を行う。これでは誰もガイドラインも入管も信じない。そして、SNSが普及した今の時代、それは噂として外国人の間にあっという間に広まる。

SNSを外国人が活用

 近年におけるSNSの急速な普及は、外国人に、他の事例との「比較」を可能なものとした。これは入管にとっては残酷な出来事である。

 入管は、ガイドラインの他に、在留特別許可の「透明性を高める」ためとして、「在留特別許可された事例及び在留特別許可されなかった事例」を毎年公表している。ちなみに、2020年は在留特別許可された事例とされなかった事例それぞれ19件ずつが公表されている(毎年同程度を公表)。だが、在留特別許可の件数は近年減少したとはいえ、年間1200~2000件程度が許可され、800~1200件程度が不許可となっている。

 つまり公表事例よりはるかに多い事案が非公表ということだが、外国人側は入管当局によって都合よく取捨選択された「公表事例」よりも、SNSで得た「非公開事例」の情報を信じる。自分たちのケースと同じような事例を探し出し、それがいかなる扱いを受けたのかを調べ上げる。もはや、彼らは入管が公表する事例などといったものは、ガイドラインと同様、在留特別許可をちらつかせて外国人をおびき寄せ、あとは入管の胸三寸で都合よく料理しようとする「罠」であることを知っている。裁判所も決して自分たちの味方でないことも知っている。

 SNSの普及によって情報弱者から脱した彼らは、手に入れた情報を武器に、入管に真っ当な説明を求めるようになったのである。これまでのような個別的、総合的な判断などという具体性のかけらもない漠とした説明で、もはや入管は彼ら彼女らを納得させることはできなくなった。

 入管が生殺与奪権を握る「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」の時代は終焉し、「入管は公平に判断を行っているのか」という素朴な疑問に入管から真っ当な回答がなければ、彼ら彼女らはもう納得しない。そして、ある者は入管への「不服従」という形でその不満を表現するようになる。いわゆる「送還忌避者」はその象徴的存在である。

緊急避難としての難民申請

 「送還忌避者」について、入管は次のように述べている。

 「入管法の定める慎重な手続による審査を経て、退去強制事由に該当すると判断され、かつ、特別に在留を許可すべき事情がないため在留特別許可が付与されずに退去強制処分を受けた者であり、(中略)法律上又は事実上の作為・不作為により日本からの退去を拒んでいる被収容者である」(2020年3月27日付「送還忌避者の実態について」)

 まさに公平・公正な審査を行っている入管と、それに従わない不届き者の被収容者と言わんばかりのこの文章は、事実に反するとまでは言わないが、あたかも在留特別判断さえも慎重に見極められているが如くの印象を与える点において、極めて狡猾である。「慎重な手続による審査」は、実際は「退去強制事由に該当するか否かの判断」のみにかかり、「在留特別許可」にはかからない。

 再三述べているとおり、在留特別許可はあくまでも地方入管局長の胸三寸で決められてゆく。にもかかわらず、送還忌避者をこのようなまやかしの中で位置づける限り、入管がいくら彼ら彼女らの説得を試みようとも、自主的に帰国へと翻意することはないだろう。とはいえ、入管の裁量判断により在留特別許可が付与されず、「退去強制令書」が発付された以上、何もしなければ彼ら彼女らはただ送還される運命にある。

 入管法上、難民認定を申請中の者を送還することはできない。「送還停止効」と呼ばれている。この送還停止効により、裁判所による命令以外で、退去強制令書が発付された者が送還を免れる唯一の合法的手段が、難民認定申請となる。

 入管法上における「難民」とは難民条約上の難民をさすが、申請自体は誰でも、しかも何回でもできる。そのため、たとえ難民でないにしても、彼らは送還を回避する自己防衛の手段として、緊急避難的に難民申請を行う。難民不認定となったとしても、送還を逃れるため、繰り返し難民申請を行う。それに対して、入管側は収容を継続することにより、彼ら彼女らが音を上げ、自ら帰ると言い出すのを待つ。まるでチキンレースだ。

 ただ、かつては、在留許可は与えないが、一時的に身柄を解放する仮放免という「手打ち」がかなり柔軟に行われていた。ところが、2020年東京五輪の招致に伴う「安心・安全の社会の実現」というスローガンのもと、入管は送還促進の一環として仮放免許可を厳格化し、収容が長期化するようになった。

 そのような中、19年5月、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)で2人の被収容者が、仮放免を求めてハンガーストライキを行ったことを皮切りに、それに呼応する被収容者が続出、集団ハンストに発展した。公然かつ集団で入管にプロテストするこの事態はこれだけにとどまらず、同年6月に大村入国管理センター(長崎県大村市)でナイジェリア人男性が餓死するというショッキングな出来事にまで発展した。

 これはメディアでも大きく取り上げられた。これをきっかけに政府は「収容・送還に関する専門部会」を設置し、その提言に基づき21年2月、入管法改正案が国会に提出された。同時に、入管に対する社会的関心も大きく引き寄せることとなった。

意見が二分化するSNS時代

 入管法改正案には、送還停止効に例外を設け、3回目以降の難民申請者の送還を可能にする項目が含まれていた。先の通常国会に提出されたものの、法案成立は見送られ、事実上、廃案となった。その背景にもやはりSNSの影響は見逃せない。

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