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若者の政治参加から気候変動まで U30の声が届く社会を目指して

能條桃子 一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事

 東日本大震災が起きた2011年3月11日、12歳だった私は、もうすぐ24歳になる。現在、大学院で財政を勉強するかたわら、若い世代の政治参加を促進する団体NO YOUTH NO JAPANを創設し、代表を務める「若者」となった。

 政治やジェンダー、気候変動などの問題に関心を持ち、アクティビストをしながら、テレビでコメンテーターをしたり取材を受けたりもしている。昨年秋からはウェブメディア・ハフポスト日本版のU30社外編集委員として、メディアの中からの取り組みも進めている。

 3.11を子どもの頃に体験している人と、大人になってから経験している人とでは、脱原発と脱炭素について違う視点があるのかもしれない。また、気候危機をどれだけ自分の人生を変えるものとして捉えているかによっても違うだろう。本稿では、今の私の目線から見た「脱原発・脱炭素」について考えてみたい。

デンマーク留学の衝撃

 19年にデンマークに留学した私は、気候変動が現地の人々の間でも政治の場でも、大きな話題になっていることに衝撃を受けた。例えば、国政選挙の重要争点は気候変動と移民についてであり、当時の日本の政治的な議論ではあまり話題になっていなかったテーマが真ん中にあった。

 デンマークや留学中に訪れたドイツ、ベルギーなどで目にした国際的な抗議集会「グローバル気候マーチ」では、子どもから若者、家族連れ、お年寄りまで数万、数十万という人が参加していた。同年代のデンマーク人の友人たちが政治活動をしている場も訪れたが、自分が動けば社会は変わると心の底から思っている態度と、気候変動や資本主義の弊害についての問題意識が根底にある活動に、感化された。

 そして「日本やばいね」と言いながら何もしていない自分が恥ずかしく感じられた。そこで同じ時期にデンマークに留学中だった友人たちに声をかけ、ノリと勢いで同年夏の参院選でインフォグラフィックを交えた解説をSNSに投稿することを通じて同世代に投票を呼びかける「NO YOUTH NO JAPAN」というキャンペーンをデンマークから始めた。

 キャンペーンの背景にある問題意識は二つあった。一つは投票率の低さだ。よく知られていることだが、国政選挙での20代の投票率が30%台になることも多く、行かない人が多数派という状況が30年ほど続いている。

 二つ目は、メディアと若い世代の距離だ。投票に行かない人ほど、普段自分たちが使っているSNSなどでは政治や選挙の話題を目にしない。調べてみたとしても、新聞は毎日読む前提で書かれていて、なかなか理解しづらい。日本の友人は「政治のとっつきにくさは、100巻以上ある人気マンガを第1巻ではなく途中の34巻ぐらいから渡された感覚」と言っていた。

 一回も選挙に行ったことがない人に寄り添う分かりやすい情報を発信し、社会との接点が感じづらい若い世代が関心を持ちやすいテーマを解説するなど、政局よりも政策に焦点を当てた何かが必要であると考え、インスタグラムにアカウントを開設した。

 そのアカウントは2週間でフォロワーが1.5万人を超えた。問題意識を持っている人は私以外にもたくさんいると自信が湧き、キャンペーンで終わらせるのではなく続けようと考えて団体を創設した。創設から4年目を迎え、フォロワーは8.4万人に増えたが、どのように政治や社会について「知って、スタンスを持って、行動する」人を増やせるのか、日々試行錯誤している最中である。

問題意識を行動に移す

 留学中にNO YOUTH NO JAPANを創設した当初、私は気候アクティビストではなかった。ただ、留学中に気候変動が夢に出るほど頭から離れられない問題として認識するようになった私は、帰国後もその衝撃が忘れられず、勉強会に参加したり本を読み漁ったりした。

 そして気づいたら、イベントを企画したりデモに参加したり抗議を行ったりするアクティビストになっていた。NO YOUTH NO JAPANのやろうとしている民主主義の土壌づくりは時間がかかるものであるが、それを待っていたら気候変動の問題は間に合わないのではないか、ということが念頭にあった。

 ヨーロッパやアメリカでは、気候変動問題の活動に多くの若い世代が参加しているのに、なぜ日本ではそこまで広がっていないのか。なぜ私は留学によってここまで気候変動に大きな問題意識を持ったのか。文化や教育の違いもあるが、情報を知ったかどうかによるところも大きい。実際、メディアの報道姿勢の違いも留学中に驚いたポイントであった。

 留学中、英語圏のテレビやラジオ、新聞のニュースに触れる機会が増えた。ほぼ毎週、世界のどこかで数十年に一度の台風や熱波、洪水などの自然災害が起きていると知ったし、これは気候変動による影響であり、この傾向は気候変動対策が取られない限り深刻化していくものであるとニュースははっきり伝えていた。

 一方、日本は元来、自然災害大国である。ドイツのジャーマンウォッチというシンクタンクが発表した『世界気候リスク指数2020』という報告書では、日本は18年に世界で気候変動による影響を最も受けた国とされていた。しかし、ここに住む私たちの多くは、その状況をどのくらい真剣に考えているだろうか。

 メディアには人々の意識を形づくる役割があり、伝えるべきことを伝える責任がある。気候変動問題についてもっと報道するようメディアに求める市民の活動も始まっている。日本のメディアにできることはまだ多いのではないか。

「システムを変える」を軸に

 気候変動の問題が夢に出るまで忘れられなくなったのは、この問題の持つ深刻さもあるが、日本人としての責任感や、知らずに生きてきたことへの罪悪感みたいなものもあったように思う。

 デンマーク人の友人たちから日本の気候変動対策について質問され、全く知らなかった私はそのたびにインターネットで調べて答えていた。だが、当時の日本はゼロエミッション宣言をしておらず、30年の温室効果ガス削減目標が26%(2013年比)だったため、日本の対策を知れば知るほど、日本人であることがすごく恥ずかしく感じられた。留学中、私は日本人というだけで歓迎され、親切にされた経験をたくさんした。10年後、20年後に留学する日本人は、同じようにしてもらえるだろうかと考えるようになっていった。

 私は大学の授業やニュース番組を入り口に、気候変動の深刻さと、日本をはじめほとんどの先進国の対策に問題があることを理解していった。しかし、自分ができることとして、自宅の電気を再生エネルギーからつくられるものに変えたり、肉の消費を減らしたり、使い捨てを極力なくしたり、古着を取り入れてみたりということはしていたが、「システムを変える」というところまでは理解が至っていなかった。

 私が気候変動について初めて他の人を巻き込む活動を主催したのは、20年2月に東京・渋谷で開いた「学生気候危機サミット」というイベントだった。新型コロナの影響で集まることが難しくなる直前に、全国各地で活動している学生100人ほどを集め、情報交換をしたり今後の活動の方針を話し合ったりした。

 ゲスト講師として登壇した気候学者の江守正多さんはレクチャーで「自分のCO2排出量を減らせる人になって満足しないでほしい。他の人のCO2排出量までをも減らすことが必要で、それはシステムを変えるということである」という話をされた。それによって‟system change not climate change”という気候変動の運動でよく叫ばれているフレーズの本質をようやく理解した。例えば、学校の電気が再エネであれば、誰も意識していなくてもそこではCO2を排出していないように、「他の人のCO2排出をその人の努力を強いることなく減らせること」が私自身の活動の軸となった。

被害者ではなく加害者

 考えるだけじゃなく行動せずにいられなくなったのは、「上の世代」への怒りとともに、私もそんな「上の世代」になりたくないという思いが、活動を通じて芽生えてきたからである。

 気候変動に問題意識を持った時、「なぜこれまで十分に取り組んでこなかったのか。もし10年前からやっていれば」と思うことがあった。だが、このままでは私が年を取った時、自分の子どもや孫の世代に「なぜあの時やらなかったのか」と言われる立場になることが想像できた。

 日本政府は09年、「温室効果ガスを2020年までに1990年比で25%削減する」という目標を立てたが、コロナ禍で経済が低迷する状況になっても20年の排出量は1990年比で10%程度しか削減されていない。これから経済が回復すれば、さらなる削減は難しい。3.11があって原発停止が社会の優先順位の上位にあったことも理解するし、気候変動の問題がニュースで大きく取り上げられるようになったのはここ数年だったことも理解する。私も目を向けたのはここ数年だからこそ、自分も同罪に思えて恥ずかしいと感じるのである。

 私は自分が被害者だと認識して問題意識を持ったが、子どもや孫の世代のことを想像してから、自分は未来に対しては加害者であるという認識に変わった。また、気候変動の影響を受けやすい発展途上の国や地域に対しても加害者の立場である。気候変動という大きすぎる問題を考えずに過ごせたら楽だとは思うけれど、次の世代にツケを残さないためにできるだけの活動を続けていきたい。

原発vs.石炭のその先へ

 化石燃料からのフェードアウトを訴えると、「じゃあ原発を許容するということ?」とよく聞かれる。まるで将来にわたって、どちらかを選ばなければいけないという枠が決まっているような反応だ。

 これまで政府の政策は常に火力・原子力優先だったが、世界的な再エネの低コスト化と拡大傾向は日本にも及んでいる。自然エネルギー財団が2021年3月に発表した「Renewable Pathways:脱炭素の日本への自然エネルギー100%戦略」によれば、30年には石炭・原発に、50年には化石燃料に頼らない電源構成が可能という。

 しかし、岸田政権が描く50年までのロードマップでは、原発も石炭火力もフェードアウトは表明されていない。石炭火力に関しては、確立した技術ではなく多額のコストがかかる「ゼロエミッション火力」という幻想のような概念を持ち出し、気候変動対策の名の下に業界を存続させる補助金が出されている。

 石炭火力も原発も、どちらも将来世代や途上国へのツケを生む。石炭火力は高効率と言われるものであっても、他の発電方法の2倍ほどCO2を排出する。産業界では、サプライチェーンを含め再エネ100%でないと国際的に取引しないという方針が広がっている今、石炭火力に投資し続けることは、将来世代への負債をつくることにならないだろうか。また、日本は発展途上国に石炭火力発電を輸出し続けている。これはそれらの国のカーボンニュートラルの実現を妨げるものでもある。原発は、使用済み核燃料の処理方法が決まっておらず、ウラン採掘の現場では、放射線による被曝といった倫理的な問題も存在する。

 地球も資源も自分たちだけのものではない。未来から借りているものという意識を持ち、今やっていることは正しいのだろうかと、いったん立ち止まって考えられる日本になってほしい、と願わずにはいられない。

 福島第一原発の事故のあと国内の原発を全停止した時、石炭火力に大きな比重をかけるのではなく、段階的にでも再エネ拡大へと政策を展開していたら……と思うことがある。10年間を無駄遣いしたのではないかと思ってしまうが、過去に文句を言っていてもしょうがない。

 これから10年後、20年後、将来に向けてどのように投資し、実行するかは今から決めることができる。このままいけば、「あの時もっと再エネ転換しておけば……」と悔やむ未来が待っていそうだ。今決定権を持つ人たちは20年後、責任を取ってくれるのだろうか。

 完璧で害のないエネルギーは存在せず、今の正しさは時間が経てば変わるものでもある。産業革命以降、化石燃料が産業や暮らしを支えてきたが、今やその消費が地球にとって大きな問題になっている。だから今、大きな転換が必要なのであり、過去のデータや実績に基づくフォアキャスト的思考ではなく、未来志向の投資、方向転換を求めたいのである。

 今年2月、欧州委員会が、環境に配慮した持続可能な経済活動を列挙する「EUタクソノミー(分類)」に、原発や天然ガスを含める方針を発表して話題になった。結局、日本だけでなくヨーロッパでも、身の程に合ったエネルギー消費ではなく、これまでの経済発展の延長線でしか物事が進まない難しさを感じた出来事だった。

 もちろん再エネにも問題はある。太陽光パネルや風力発電装置などを大量に導入するために自然を破壊していては、本末転倒だ。だから、総エネルギー量を減らす議論も不可欠である。それには建築物の断熱、省エネといった技術的な対策に加え、衣類や食料品などの大量生産・大量消費・大量廃棄のサイクルを止める産業構造の改革も必要だ。公共交通機関の整備や自転車通勤がしやすい街づくりも進めたい。

 そして、コンビニの24時間営業が絶対に必要なのか、すぐに届けてくれるネット通販や料理の配達サービスの輸送負荷は無視でいいのか、牛肉を中心とした肉食を減らすべきではないか、といった個人の生活に根差す生活文化の見直しも必要なのではないか。

 物質的な豊かさを追求するあまり失ってきたものは豊かな自然環境だけではない。例えばコンビニを24時間営業することが選択制になれば、深夜の長時間労働が減るし、宅配サービスの価値が高まれば、配達員の労働環境に目が向けられるし、肉食を減らし野菜を多く摂れば健康的にもなる。

 必要以上のものを作らなくて済む社会は労働時間が減るかもしれないし、そうすれば自分で選択できる余裕のある時間が増える。私は、3.11後から問われてきた「これからの新しい豊かな社会」の姿をこのようにイメージしている。

「若者」に期待しすぎ?

 メディアも読者も「若者」に期待しすぎだ、と思う時がある。

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