メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

検察側証人の医師 「窒息」から心停止まで1分半は「ちょっと短い」

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(10)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第10回では、検察側の依頼で鑑定意見書を作成した救急医の法廷証言を紹介する。

長野地裁松本支部
 前回は、おやつの最中に突然意識不明となった利用者の女性(以下、Kさんと言う)が救急搬送された松本協立病院で治療に当たり、Kさんの死亡診断書を作成した上島邦彦医師が、海外の研究グループの医学論文などを根拠に、Kさんは脳梗塞の可能性が高いと証言したことを紹介した。その上島医師の証言から5カ月後に開かれた第15回公判(2018年3月12日)で、検察側の依頼でKさんの死因などに関する鑑定意見書を作成した根本学医師が検察側証人として証言した。

 根本医師は埼玉医科大学教授で、埼玉県日高市にある同大国際医療センターの救命救急センター長である。救急医療が専門で、一般社団法人日本救急医学会のホームページに掲載されている救急科専門医名簿(2022年1月14日現在、全国に5602人)と指導医名簿(同じく全国に822人)に名前がある。また、一般社団法人日本外傷学会のホームページに掲載されている外傷専門医名簿(2022年4月1日現在、全国に268人)にも名前が載っている。

 長野地検松本支部が根本医師に鑑定を依頼したのは、Kさんの死亡をめぐり、あずみの里の職員である准看護師(以下、Yさんと言う)を業務上過失致死罪で起訴してから1年5カ月後、初公判から1年1カ月後の2016年5月だった。

 法廷での検察官による尋問と根本医師の証言によると、検察官は、Kさんに関するあずみの里の看介護記録類、救急搬送された松本協立病院のカルテ、救急搬送を行った松本消防局の心電図記録票、救急活動記録票、Kさんがあずみの里入所前に受診したことがある複数の病院のカルテ、救急隊員や松本協立病院の上島医師の供述調書、弁護側請求の医師の鑑定書などを根本医師に提供し、Kさんに対する救急事案の経過の検討、Kさんの死因、その他参考事項に関する鑑定を依頼した。

 さらに、検察官は根本医師の証言に当たって、救急隊員がドーナツの残渣をKさんの声門付近に発見した状況を再現した報告書や、救急隊員、上島医師、あずみの里の介護職員らの法廷での証言を記録した尋問調書なども根本医師に提供した。

 証言によると、根本医師は鑑定意見書において、Kさんが心肺停止に陥った原因は窒息であり、窒息の部位や原因については「気管から喉頭のいずれかにおける部分で、おやつで配布されたドーナツを詰まらせたものと判断」した。証言に当たって読んだ追加の資料によってもその結論に変更はない、と述べた。

 根本医師はなぜKさんの心肺停止の原因を窒息と判断したのだろうか。Kさんが窒息したことを周囲に知らせるサインを出すこともなく意識を失ったことの解釈も含め、根本医師が語っているので、検察官とのやり取りを以下に引用する(死亡した女性利用者の実名はKさんとした。以下、同様)。

 検察官 救急隊のかたもKさんの声門付近にドーナツの残渣を発見してるんですが、これは、Kさんの口腔から気管内までのいずれかの箇所でドーナツによる窒息が生じたことを裏付ける事実とは言えますか。

 根本医師 事実になると思います。

 検察官 それと、Kさんのあずみの里の看介護記録によると、Kさんの口からドーナツをかき出したところ、呼吸が再開した。そういうエピソードが書かれていましたね。

 根本医師 はい、書かれていました。

 検察官 このエピソードは、Kさんの心肺停止の原因が口腔から気管内までのいずれかの箇所によるドーナツによる窒息なんだということを裏付ける事実にはなりますか。

 根本医師 窒息というのは、基本的には空気の通り道が何らかの原因で障害を受けて生じることになりますから、ドーナツが口の中から取られた。すなわち、空気の通り道の障害物が取り除かれたことによって呼吸が再開したというふうに考えるのが妥当だと感じております。

 検察官 ドーナツによる窒息以外の原因で心肺停止に至った場合、ドーナツを除去しただけで呼吸が再開するということがあるんでしょうか。

 根本医師 基本的にはないと思います。

 検察官 それでは、Kさんがドーナツで窒息した原因、なぜドーナツで窒息をしたのか、そこは説明が付くんでしょうか。

 根本医師 いただいた資料の中にですね、Kさんがアルツハイマー型の痴呆症をお持ちになっていたとか、あるいは食べ物をかき込んでしまうような癖があるので食事には注意してほしいとか、そのような記載が幾つか散見されましたので、今回、ドーナツを口に入れてそしゃく中の事故というふうに判断をいたしました。

 検察官 それでは、次に、あずみの里での異変時の状況を資料から検討していただいて、口腔から気管内までのいずれかの箇所でドーナツによる窒息が生じたことを否定する根拠となるような事実、これは資料の中に見当たりましたか。

 根本医師 資料を拝読させていただいた限りにおいては、窒息以外に心肺停止に至るようなものを見いだすことはできませんでした。

 検察官 ところで、Kさんに異変が発生したときに被告人がKさんの横にいたんですが、Kさんの異変には気付いていなかったようです。窒息の場合にいわゆる窒息サインというものが明確になかったとしても、窒息だということは否定されないんでしょうか。

 根本医師 窒息サインが確認されれば、もうもちろんそれは窒息だというふうな判断には至りますけれども、全ての窒息症例において窒息サインが確認されるということはありません。

 ここで根本医師は、鑑定意見書を作成するに当たって、自身が所属する埼玉医科大学国際医療センターの救命救急センターに搬送され、「窒息」と診断された86症例について、後から振り返る形で検討した、と証言した。それに関する検察官とのやり取りは以下のとおりである。

 検察官 その86症例の内容なんですけども、その86症例の内訳、どんなものだったんでしょうか。

 根本医師 86症例中ですね、54例に周辺に人がいたということが判明しました。その54症例の中で窒息サインというものが明らかになったものは2症例でした。残り54例中のですね、18症例は情報がありませんでした。

 検察官 その情報がなかった18症例なんですけども、情報がないというのは、どういうことを意味するんでしょうか。

 根本医師 いわゆるその窒息サイン等がなかった。あるいは、あったとしてもそれに気が付かなかったというふうに解釈をしております。

 根本医師が窒息サインのないケースが少なくないと証言する根拠として用いた、埼玉医科大学国際医療センターの救急搬送症例のデータについては、弁護側の証人として後日出廷した医師がその信用性に疑問を投げかける証言をすることになるが、それについては稿を改めて紹介する。

 根本医師がおやつに出されたドーナツがKさんの窒息の原因と判断した理由は何だったのか。それに関する検察官とのやり取りを以下に紹介する。

 検察官 次に、一般論をお尋ねしますけども、一般論として、気道内のですね、つまり口腔から気管まで至る空気の通り道のいずれかの箇所で窒息を起こすには、どれぐらいの大きさの異物であれば窒息を引き起こす可能性があるんでしょうか。

 根本医師 空気の通り道のところにある声門という場所がございますが、大体声門の太さがですね、成人で7ミリから10ミリ径となっておりますので、7ミリから10ミリ径を塞ぐだけの太さ、大きさがあれば、これは窒息を起こす可能性があると考えています。

 検察官 実際、証人が救急医療に当たられてる臨床の現場に運ばれてきた患者さんの窒息の原因として、成人の場合、小さいものですとどんなもので窒息したというような例があるでしょうか。

 根本医師 小さいものですと、ピーナツ大の肉片とか、あるいはしいたけなんかのそしゃくしたかけらとか、そういうようなものを経験しております。

 検察官 それでは、また本件にちょっと戻ります。Kさんの口から出てきたドーナツの量なんですけども、鑑定書では、あずみの里の看介護記録や協立病院のカルテの聞き取り内容を基に指1本分と特定された上で結論を導かれていますけども、まず、指1本分の量のドーナツで窒息は起こり得るんでしょうか。

 根本医師 先ほど申しましたように、声門部分であれば径が7ミリから10ミリ程度でございますので、指1本分の太さがあって、それが声門に引っ掛かった、あるいは声門をふせいで(原文ママ)しまったというようなことがあれば、窒息が起こっても矛盾しないと考えています。

 ここで検察官はYさんや、Kさんの急変時にあずみの里の看護師長だった細川陽子さんが救命措置の際にKさんの口から取り出したドーナツの量を再現した写真(弁護側が証拠として提出した弁217号証添付)を示しながら根本医師に質問した。

 検察官 じゃあ、まず、217号証添付の写真4を示します。次に、217号証添付の写真7を示します。今見ていただいた写真に写っていたドーナツ、この写真に写っていた量のドーナツで窒息を生じるということはあるんでしょうか。

 根本医師 ドーナツの再現された破片の横に親指が写っておりましたので、あの親指の太さと再現されたドーナツの塊を比較しますと、これらが声門に引っ掛かった場合、完全に窒息を引き起こす可能性はあると考えます。

 検察官 弁護側の方からは、この量のドーナツでは、口腔、咽頭、喉頭、気管のいずれの部位においてもこれを塞栓するに足りないという主張がされているんですけども、このような主張は成り立つんでしょうか。

 根本医師 口腔内全てを食べ物あるいはその他のものでふせぐとなれば、量的にはこれは少ないと考えますけれども、先ほど来申し上げている声門部分ですね、これは径が7ミリから10ミリ程度ですから、この部分をふせぐということは、再現されたドーナツ片でも十分可能だと判断をします。

 Yさんや細川さんはドーナツ片をKさんの口の中から取り出した。声門を塞いだのであれば窒息の可能性はあるとする根本医師の証言のとおりだとすると、何らかの理由でドーナツ片が声門から口に戻ったことになる。検察官は、Kさんの異変に気づいたYさんが窒息を疑ってとっさにKさんの背中をたたいて異物を出そうとしたことに触れながら、「口腔から気管内までのいずれかの箇所を塞栓していたドーナツが口腔内に戻るということはあるんでしょうか」と質問した。これに対し根本医師は「はい」と答えた。検察官が重ねて、「Kさんが意識の消失によって舌根沈下していた場合も同様でしょうか」と尋ねたのに対し、根本医師は次のように答えた。

 「舌根沈下をしていてもですね、ある程度口腔内、要するに声門を閉塞していた異物が声門から外れて口腔内に落ちるということは、可能だと判断してます」

 この後、検察官は、根本医師が窒息以外に心肺停止の原因となりえるとして発症の可能性を検討したさまざまな病気について順番に尋ねていった。根本医師は、心筋梗塞や致死性不整脈といった心臓の病気については、Kさんが病院に運ばれた後の心電図の波形などを根拠に否定的な見解を示した。肺動脈血栓塞栓症については急変後に心拍を再開したKさんの血圧や心拍数などを根拠に否定し、大動脈解離や大動脈瘤破裂については救急搬送後に撮られた胸部X線写真を根拠に「疑う所見は見られない」と証言した。では、根本医師に先立って証人として出廷した上島医師が「心停止の原因の可能性が高い」と証言した脳梗塞について、根本医師はどのように証言したのだろうか。

 Kさんの死因はこの裁判の大きな争点である。一審の長野地裁松本支部が「窒息が心肺停止の原因」とする根本医師の証言を「信用できる」と判断して有罪判決を出した後、弁護側は国内の著名な救急医学、脳神経外科学、死亡時画像診断の専門家らに意見を求めた。それらの専門家はKさんの死後に撮影されたCT画像などを根拠に「脳梗塞の可能性が高い」と、Kさんの主治医であった上島医師と同様の判断を示した。弁護側はそれら専門家の意見書を多数、東京高裁に証拠請求することになる。それら専門家の意見については稿を改めて紹介することにして、まずは根本医師が何を根拠に、脳梗塞の可能性を否定したのか、詳しく見ていくことにする。以下は尋問調書に残る、法廷での検察官と根本医師のやり取りである。

 検察官 それでは、次に、くも膜下出血、脳出血、脳梗塞の点についてお伺いします。まず、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血といった脳血管の障害によって心肺停止状態に陥る場合には、一般的にどんな機序が考えられますか。

 根本医師 一般的に考えられますのは、頭蓋内の圧が非常に高くなって脳ヘルニアを起こして、それによって脳幹(※筆者注=大脳の下方に位置する「中脳」「橋(きょう)」「延髄」からなる部分で、血液循環や呼吸など生命維持に関わる中枢)が障害を受けるタイプと、もう一つは脳幹そのものに出血あるいは梗塞が生じて、そして、脳幹の機能が障害される。この二つを考えます。

 検察官 そうすると、まず、この二つとも、まずは脳血管障害によって脳幹機能が障害されることで呼吸が停止する。そういうことですか。

 根本医師 そうですね。脳ヘルニアの場合は、間接的に圧迫されることによって生じますし、脳梗塞や脳出血、これが脳幹部に起こった場合には、もう直接的に呼吸中枢が障害されるということになりますので、いずれにせよ脳幹機能の障害というのが呼吸停止の原因というふうに一つ考えられます。

 検察官 脳血管障害により呼吸が停止するその機序として、脳幹機能の障害を得ないで(原文ママ)呼吸が停止するという機序はありますか。

 根本医師 脳幹機能障害以外を考えますと、やはりその意識レベルが非常に悪くなった際に舌根沈下という状況が起きますので、沈下した舌根によって気道が狭窄あるいは閉塞して呼吸停止に至るということは考えられます。

 検察官 それでは、まず、脳幹機能が障害されて、その結果として呼吸が停止したあるいは心臓が停止した場合なんですけども、呼吸が自発呼吸が後に再開するということはあるんでしょうか。

 根本医師 呼吸中枢をつかさどっている脳幹が障害されて、その結果、呼吸が止まるわけですから、その後、呼吸が再開するということは、これ、ありません。もしそれが起こるということが多々あるのであれば、現在行われている脳死判定にも大きな問題を生じるというふうに考えます。

 検察官 Kさんは、救急搬送中あるいは病院搬送後に自発呼吸が再開してるんですけども、脳血管障害を原因とする脳幹機能の障害により呼吸が停止した場合、このような臨床経過をたどるんでしょうか。

 根本医師 極めてまれなケースだと思います。通常は、このような臨床経過はたどりません。

 検察官 それから、次に、もう一つのパターン、脳血管障害によって意識障害を起こして舌根沈下が起こった場合、そのような脳血管障害が起こった痕跡というのは、頭部のCT検査で痕跡が残るんでしょうか。

 根本医師 はい。出血の場合だとCTでは高吸収域(※筆者注=骨、出血など、X線を通さず吸収する部分で、画像上白く映る)に残りますし、脳梗塞の場合ですと、CTでは低吸収域(※筆者注=梗塞など、X線を通す部分で、画像上黒く映る)として画像評価が可能です。

 検察官 証人には、Kさんの協立病院のカルテに添付されたKさんの死亡確認後に撮影された頭部CT画像や、CT検査報告書も見ていただきましたね。

 根本医師 はい。確認しました。

 検察官 このKさんの死亡確認後のCTの画像上、Kさんが急に意識障害を起こすような脳血管障害と見られる所見は見当たりましたか。

 根本医師 これは、確認できませんでした。

 検察官 Kさんの協立病院のCT検査報告書では、原因よりも結果と思われますが、一応、脳底動脈の梗塞であればこのような梗塞もあり得ますとの記載があるんですけども、Kさんが急に心肺停止に陥るような脳梗塞の所見がKさんのCTの画像上否定できないんでしょうか。

 根本医師 これは、書いてあるとおり、原因というよりは結果というふうに記載されています。呼吸停止を起こされてからお亡くなりになるまで36日間という経過がございますし、当初、しっかりしていた自発呼吸がだんだんだんだん弱くなってきて、その後、人工呼吸に完全に依存するというような状況になってるところを考えますと、この読影をされた先生の原因よりは結果ということで脳底動脈に小さな梗塞像が見られるというような記載があっても、これはおかしくないと思います。

 検察官 その脳底動脈にある小さな梗塞像によって、Kさんが意識障害を起こして亡くなるような原因になるんでしょうか。

 根本医師 いや、基本的に脳底動脈詰まってしまいますと、もうこれは致命的ですし、その後、自発呼吸が再開して長らく生存されるというようなこともないと考えます。

 検察官 Kさんが脳血管障害によって意識障害を起こし、舌根沈下により気道閉塞が生じた結果、呼吸状態が悪化して心肺停止状態に陥ったということは否定されるんでしょうか。

 根本医師 今回の流れを見ますと、脳血管障害がKさんの呼吸停止につながったとは考えにくいです。

 Kさんが心肺停止になったのは窒息ではなく、心臓か脳の病気による可能性が高いと主張する弁護側は、検察官の尋問が終わった後の反対尋問で

・・・ログインして読む
(残り:約6453文字/本文:約13761文字)