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「因果関係に関心がない」と弁護側請求証拠を却下した東京高裁

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(17)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第17回では、東京高裁で行われた控訴審の審理について紹介する。

特別養護老人ホーム「あずみの里」
 この事件で起訴された准看護師(以下、Yさんと言う)に対し、長野地裁松本支部(野澤晃一裁判長)は2019年3月25日、検察側の求刑通り罰金20万円の有罪判決を言い渡した。大きな争点であった利用者の女性(以下、Kさんと言う)の死因(心肺停止の原因)について長野地裁松本支部は検察側が主張した「窒息」であると認定し、検察側が主張したYさんの二つの過失のうち、食事中のKさんの動静を注視する義務を怠った過失(主位的訴因)は認めず、おやつがゼリー系に変更されていたことを確認すべき義務を怠った過失(予備的訴因)によって有罪判決を言い渡した。

 前回述べたように、Yさんは有罪判決を不服として東京高裁に控訴し、弁護側はKさんの死亡直後の頭部CT画像に加え、検察側が新たに任意開示した、あずみの里入所前にKさんが受診した複数の病院のカルテを手掛かりに複数の医師(死亡時画像診断の専門医、救急医、脳神経外科医)にKさんの心肺停止の原因などに関して意見を求めた。そして、「脳梗塞の可能性が強く疑われる」などとする意見書を計3通作成してもらった。これらはいずれも、一審以来、「Kさんの心肺停止の原因は脳梗塞の可能性が高い」としてきた弁護側の主張を支えるものだった。前回紹介した「控訴趣意補充書(2)」(2019年12月10日付)で弁護側はこれらの意見書をもとに、Kさんに「ドーナツを摂取させ喉頭ないし気管内異物による窒息に起因する心肺停止」が生じたと認定した一審判決は「明らかな事実誤認である」と述べた。

 控訴審で弁護側は、Kさんの急変に関する医師の意見書のほか、一審段階における検察側の訴因変更請求の問題点や予備的訴因(=おやつの形態変更確認義務違反)で有罪を言い渡した一審判決の過失認定の問題点などに関する3人の刑事法学者の意見書、介護施設の食事提供と介護職員の注意義務に関する社会保障法学者の意見書の証拠調べ請求と証人申請をした。

東京高裁
 しかし、東京高裁第6刑事部(大熊一之裁判長、奥山豪裁判官、浅香竜太裁判官)はこれらの請求のほとんどを却下し、採用したのは、あずみの里入所直前のKさんが健康診断を受けた豊科病院の医師に対する照会申出書と同医師からの「(脳底動脈先端部に梗塞がある場合に典型的に見られる、目の動きの異常などの神経症状を示す)パリノー症候群は見られなかった」とする回答書のみであった。

 一審判決から約10カ月後の2020年1月9日に行われた裁判官、検察官、弁護人の三者による打ち合わせと1月30日の第1回公判について、控訴審の主任弁護人を務めた藤井篤弁護士は『逆転無罪-特養あずみの里刑事裁判の6年7カ月』(2021年、特養あずみの里業務上過失致死事件裁判で無罪を勝ち取る会発行)に以下のように記している。

 1月9日の三者打ち合わせでは、弁護人から第1回公判に向けての弁護人の方針を説明し、特に医学的所見、カルテ等に関する証拠の採用が重要であることを水谷渉弁護人から説明しました。ところが、大熊一之裁判長は再三にわたり水谷弁護人の意見を遮り、裁判所はすべての書面・証拠に目を通しているので分かっている、裁判所は因果関係について関心がないと言い切り、1月30日の進行を形式的に確認するだけで三者打ち合わせを終了させました。

 この裁判長の態度から、弁護人が高裁で新たに提出した医学的所見について裁判所が採用しないのではないかと考えられたため、弁護団は裁判所の証拠決定に対する異議申立て、それを却下した場合に裁判官忌避の申立てなどをすることを準備して、1月30日の期日に臨みました。

 1月30日の公判は、事前に想定した事態をさらに超えて、証拠請求却下、忌避申立簡易却下と手続きが進められました。公判の時間も1時間を予定していましたが、公判で裁判官の忌避についてやりとりをし、10分あまり休廷した時間を含めても1時間に満たない時間で終了させてしまいました。弁護人の弁論30分、検察官の弁論10分弱を除けば、実質わずか10分以内の公判手続であり、「結審する」ことと「次回期日は追って指定する」という、切り捨て御免の訴訟指揮でした。(略)

 高裁の問答無用とも言うべき訴訟指揮を目の当たりにし、高裁の判決後は最高裁への上告、上告審の後は再審請求をしなければならないかと、弁護団は覚悟しました。

 大熊裁判長が三者打ち合わせで口にしたとされる「因果関係について関心がない」という言葉は、Kさんがおやつの最中に心肺停止になった原因や死因には関心がない、ということを意味する。Kさんの急変の原因は脳梗塞の可能性が高いと主張する弁護側は、東京高裁が一審判決と同じく、心肺停止の原因を「窒息」と認定し、判決を言い渡すつもりではないかと危惧した。弁護側の主張にほとんど耳を貸さず、わずか1回の公判で結審させた東京高裁に対し、この後、2回にわたり弁論の再開を求めることになる。

 1回目の弁論再開申し立ては、判決の言い渡し期日として指定された2020年4月23日の約3週間前の同年3月30日付だった。弁論再開申立書によれば、控訴審の第1回公判で弁護側が請求した医師の意見書や証人申請が東京高裁によってまったく採用されなかったことが報道されたため、弁護人のもとに多数の医師から窒息や脳梗塞に関する医学的な知見が寄せられた。そこで弁護団は、都内の保険医でつくる東京保険医協会に対し、死因検討会の開催を依頼し、結審から約1か月半後の2020年3月14日に検討会が行われた。検討会に参加したのは脳神経外科医、放射線科医ら計4人である。弁護団は事前に参加者にKさんのカルテや画像など記録一式を送り、当日はKさんの死後に撮影された頭部CT画像の分析を中心に、Kさんの急変の原因を検討し、一審で検察側証人として出廷し、Kさんの急変の原因は窒息であると証言した根本学医師の医学的意見について評価してもらった。

 検討会で出された各医師の意見を総合すると、以下のようになる。

  1. Kさんの死後の頭部CT画像はドーナツによる窒息の画像ではなく、脳底動脈先端部の梗塞である。
  2. 脳梗塞の発症時期はドーナツ摂取時である。
  3. 根本医師の意見書は誤りである。
  4. 頭部CT画像に関する松本協立病院の放射線科医のレポートは脳底動脈の梗塞を指摘している。
  5. 一審判決の「心肺停止状態の原因が窒息」という認定は誤りである。

 弁論再開申立書は上記1.~5.に関する各医師の意見を引用しているが、筑波メディカルセンター病院の上村和也・脳神経外科診療部長はその意見書で、「本件の脳CTを見れば、脳外科の専門医であれば、誰しもが脳底動脈先端部還流域

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