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《住専》 興銀が大蔵省の支離滅裂行政を法廷で内部告発

奥山 俊宏

 日本興業銀行元副頭取・松本善臣は証言台の前にやや前かがみに座っていた。

 2000年5月30日午後、東京地方裁判所606号法廷。1500億円もの課税処分の取り消しを求める「史上最大の行政訴訟」(興銀関係者)は静かに最高潮を迎えていた。大蔵省官房審議官や駐ルーマニア大使を歴任し、そのとき日本銀行監事の要職にあった小山嘉昭(現・全国信用協同組合連合会理事長)の実名を挙げ、松本が大蔵官僚の「その場しのぎ」の押し付けを告発したからだ。

 原告は、産業金融の雄、日本興業銀行。被告は、興銀本店のある東京都千代田区丸の内を所管する麹町税務署長、つまり国。住宅金融専門会社(住専)の破綻処理の際の住専向け債権の損失処理をめぐり、1996年夏以降、両者は真っ向から争ってきた。その争点の一つが、1993年に大蔵省主導で興銀など金融界が策定した住専の第2次再建計画が「時間稼ぎのための先送り策だった」(興銀側主張)かどうかという問題だった。

 法廷では大蔵省在職中の小山と興銀との折衝の過程が俎上に上がっていた。

 松本証人「私どもは『もう金利をいじることによって解決できるレベルではない』と思っていました。小山さんは『それはわかっているが、再建計画を作って、この場をしのがねばいかん』という言い方をしてましたね」

 弁護士 「小山審議官が『作文』とか『勧進帳』とか、こういう言葉を実際に証人に対して言ったのですか」

 松本証人「はい。『作文で、勧進帳で、関所を越える』ということを非常にきつく言ってきたということで、これは非常に印象的な場面です」

 

■押しつけ

 1993年2月当時、すでに住専8社は深刻な経営危機に陥っていた。90年2月以降、「バブル退治」のため大蔵省は銀行の不動産融資を規制したものの、住専は、規制対象外の農協系統金融機関(農協、県信連、農林中央金庫など、農林水産業者の協同組織を基盤とする金融機関)から資金を調達して、強気で不動産開発への融資を続けていた。92年にバブル崩壊が決定的になり、住専は、融資の多くが焦げ付き、再建計画が作られた。しかし、水面下では巨額の含み損が発生していた。

 住専は普通のノンバンクと違って、大蔵省の直接の監督下にあり、歴代社長の多くは大蔵省の天下り官僚だった。住専が倒産すれば、住専に金を貸していた全国各地の農協がばたばたと連鎖倒産し、農協系統は、選挙支援などを通じて深く結びつく各地の国会議員とともに、住専の設立母体の銀行や大蔵官僚の責任を追及することになるだろうと金融界や官界では恐れられていた。大蔵省は、住専を倒産させずに、農協系統の協力を得て、第2次の「再建」策をとりまとめる方針を固め、農協系統と銀行界との橋渡し役を買って出ていた。

 当時、松本は興銀で、MOF担(大蔵省担当行員)の元締めの総合企画部長を務めていた。93年2月4日、大蔵省銀行局で住専問題を担当していた官房審議官・小山から呼び出しを受け、常務とともに小山の執務室を訪れ

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