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逆流(1) 政権交代への流れに逆らった記者……鳩山故人献金の一報まで

松田 史朗

 鳩山由紀夫氏が総理大臣を辞する理由とした鳩山氏自身の「政治とカネ」の問題はどのようにして表に出て、どのようにして事件となり、どのようにして民主党初の首相をその座から引きずり下ろすことになったのか。この問題の端緒をつかみ、調査報道の手法で追いかけてきた松田史朗記者にその舞台裏を原稿にまとめるよう依頼した。以下、その原稿を連載する。(ここまでの文責はAJ編集部)

 ■「資産家」と「政治家」

松田 史朗(まつだ・しろう)松田 史朗(まつだ・しろう)
 朝日新聞記者。1964年生まれ。信州大学卒。重化学工業通信社、週刊ポスト、週刊文春などを経て、2003年秋、朝日新聞社に入社。政治部、社会部、特別報道チームを経て、現在、文化グループ。「週刊ポスト」時代に永田町の取材を始め、政界の汚職事件も担当。著書に『田中真紀子研究』(2002年、幻冬舎)など。共著に『偽装請負』(2007年、朝日新聞社)。
 鳩山家の事情を知り得る知人から、私が最初にその話を耳にしたのは2009年5月下旬ごろのことだった。

 当時、野党の民主党は、小沢一郎前代表が西松建設を巡る醜聞で代表を辞任。鳩山由紀夫氏が代表選挙を経て、新代表に就いたばかりだった。政権与党の自民党は、衆院で最大多数を維持していたが、麻生政権は国民の支持を失い、次期総選挙での敗北濃厚で希望を失いつつあった。

 権力のありかはこの時点で民主党に移りつつあり、霞が関もそのためのシフトを敷き始めていた。民主党代表である鳩山氏は、近く総理大臣になることが確実視され、そのため、私は、永田町の知り合いなどをあたり、鳩山氏に関するネタを探すべく、情報収集を始めていた。

 その鳩山・新代表の政治資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書に書き込まれた個人献金者の記載が「実はデタラメ」で「故人の名を勝手に使って献金したことにしている」という。「もとは鳩山家のカネだから、虚偽の記載は鳩山さん本人も当然知っている」と、その人は付け加えた。「本人も当然」というところがかなり強い言い方だったように私の記憶に残っている。

 断片的な情報だったが、強烈な印象だった。これまで企業からの献金を報告書に記載せずに裏金に回したり、事務所費など支出が不透明だったりするケースはあったが、収支報告の献金者の記載がデタラメというのは聞いたことがなかった。「政治とカネに対する国民の視線がいまほど厳しい時代はないのに……。史上初の政権交代を前に、この政治家はいったい何をしているのか。でも、本当なら面白い……」

 記者の闘争本能とでもいうべきものが、むくむくと体の中から湧き上がってきた。総選挙まで長くても、あと3カ月に迫っていた。

 鳩山家は政界随一の名門だ。

 由紀夫氏の曽祖父・和夫元衆院議長、祖父・一郎は元首相、父・威一郎は元外相、母・安子は世界的なタイヤメーカー「ブリヂストン」の創始者、石橋正二郎の娘だ。弟の邦夫元総務相と合わせ、これほど華やかな経歴の流れにある「4世議員」はほかにいない。

 鳩山氏は初当選した1986年の総選挙から、この恵まれた家柄、そして資金面での支援という恩恵を十二分に受けて、政治という魔力をウラで支えるカネを無理に集めることなく、政治活動を続けてきた。鳩山氏自身も去年まで個人で14億円の資産を持つ政界一の金持ちだった。

 ただ、それでも過去に金銭にまつわるスキャンダルが全く無かったわけではない。

 90年代初めに起きた富士銀行不正融資事件をめぐり、有罪判決を受けたリゾート開発会社の元社長が、今回、在宅起訴された勝場啓二秘書を念頭に「5000万円渡した」と月刊誌で告発したことがあった。当時、すでに民主党だった鳩山氏側はもちろん全面否定したが、一時、勝場秘書の証人喚問も取りざたされた。

 「金持ちだからカネには困らない。だから悪いことはしない」というのが世間の通り相場だろうが、永田町はそんな常識が通用するとは限らない。「権力」には常にカネの匂いが付きまとうものなのだ。

 とはいえ、いやだからこそ、私は、鳩山氏はカネの問題で二度と足下をすくわれないように脇を固めて代表に就任したと思っていた。だが、そうした憶測は、いとも簡単に崩れたのだった……。

 ■献金者のリストアップを慎重に

 同僚の記者らとともに、鳩山氏に個人名で献金したとされる人を一人ひとり検証していく作業に入った。検証とはいっても、いきなり「献金者」に連絡をとって単刀直入に「鳩山さんに本当に献金しましたか」と聞いたわけではない。

 献金者の偽装が事実であっても、5年間でのべ数百に及ぶすべての個人献金者がそうであるとは限らない。自分が収支報告を偽装する立場にたってみれば、全く見知らぬ他人の名前を利用するのにはやや抵抗がある。過去に献金してくれた人、事務所に出入りする人、親戚・親族など、鳩山事務所と実際につながりのある人も多いはずだ。

 そうした人々に不用意にあたって取材意図が早い段階で鳩山氏側に漏れてしまうと、言い逃れの時間を十分に与えてしまいかねない。場合によっては、鳩山氏が自ら記事化の前にこの問題を公表して、自浄能力を世間にアピールする可能性すらある、と思った。

 そうなれば万事休す。こちらの追及の勢いはそがれてしまう。記者というのはそういうものだ。

 だれにも悟られないように、慎重の上に慎重を重ねて調査を進めた。鳩山代表、そして民主党にとっては、世論対策が何より大切な時期にさしかかっていた。

 ただ、出来るだけ早い時期に記事を掲載すると心に決めた。総選挙がすぐそこまで迫っていたため、こちらの取材時間も限られていた。選挙の直前だと「選挙妨害」と言われかねない危険性もある。選挙前に記事を出したかった理由はもう一つある。選挙後を待っていると別の問題が浮上すると思ったからだ。

 繰り返しになるが、民主党が選挙で圧勝すれば、鳩山氏は総理大臣になる。日本の最高権力者。史上初の政権交代は各紙の紙面を連日にぎわせるだろう。

 この手のスキャンダルを書いても、その中に埋没する可能性があった。

 世論調査の結果は、政権交代を強く待ち望んでおり、書こうとする記事はそうした流れに完全に逆行していた。

 有権者の手による史上初の政権交代であろうが、民主党初の総理大臣であろうが、逆風が吹いていようが、関係はない。総選挙前に判明した問題は、国民の審判の前に世に出すべきだ。「権力は常に腐敗する」とどこかで聞いたセリフを心で何度も唱え、取材に集中した。

 取材班は、「献金者」と鳩山氏との近さを計る作業に入った。数百人の名前と職業、鳩山氏との関係を推定していくのには、労力を要した。「個人献金者」は北海道から九州までいた。同僚とともに毎日深夜までかかり、「献金者」の属性を探りつつ、それをリストにした。どのように調べたか、いまでも詳しく言えない部分がある。

 その結果、献金時期にすでに亡くなっている故人の名前が5人、見つかった。その5人の延べ10回の献金は120万円となった。結局、これが第一報になるのだが、それ以外にも、実際には献金していない人の名前を本人の承諾を得ずに収支報告書に記載した可能性も濃厚だった。

 第1報の記事は、「故人献金」から入ることに決めた。「献金していない」人に、していない証拠を出してもらうのは難しいが、「故人」はどうやっても献金できないから、読者に分かりやすいというのが最大の理由だった。

 第1報を書くため、取材は最後の詰めの段階を迎えた。私と同僚の記者計4人で5人の遺族に一斉に取材した。北海道や愛知にも飛んだ。厳密にいえば、この段階では、遺族が本人の名前で献金した可能性も完全には否定できていなかった。しかし、5人のうち、4人から「献金していない」との言質がすぐにとれた。遺族の一人は「不愉快です」と言い切った。

 ■「差し支えなければお名前を…」

 記事化の前日、会計実務を担当していた鳩山事務所の勝場啓二秘書に取材した。実は、勝場秘書は、「友愛政経懇話会」の会計実務を担当していた秘書ではあるが、正式な「会計責任者」ではない。会計責任者は、のちに略式起訴された政策秘書の芳賀大輔秘書だ。

 勝場秘書に話を聞く前に、芳賀秘書に電話で連絡をとった。まず、東京・永田町の十全ビル内の事務所に電話したが、この日はなぜか何度かけても留守。すぐ近くにある議員会館の事務所に電話を入れると、芳賀秘書につながった。

 ――鳩山さんの政治資金管理団体の収支報告書に、すでに亡くなっている人からの献金者名が記載されている。この点について会計責任者の芳賀さんにおうかがいしたい。

 芳賀秘書に電話でそう告げると、5秒ほど沈黙が続き、あわてたように言った。

 「会計は勝場がやっているので、十全ビルの事務所にいる勝場に聞いてください」

 ――十全の事務所に電話しても誰も出ませんでした。そもそもあなたが会計責任者では?

 「いえ、私は何もわかりません。それなら、いまから勝場を5分で十全ビルに戻させますんで、すぐそちらに行ってください」

 芳賀秘書は、偽装献金については、その後も一貫して「自分は知らなかった」と言い続けた。このとき、自分が仕える国会議員の収支報告書におかしな点があると聞いて本当に知らないのなら、「ええっ、どこがですか」という反応になってもいいはずだが、芳賀秘書の対応はそうではなく、違和感があった。私は、すでに事務所側がこの問題への対応に入ったという印象も持った。

 勝場秘書にはその後すぐの夕刻、永田町の十全ビル内の鳩山事務所で取材した。

 ――故人が献金しているケースがいくつもある。

 「差し支えなければそのお名前を……」

 故人の名前のリストを読み上げた。

 ――亡くなっている人だけで少なくとも5人。他に疑いのある記載もある。

 「調べてみないとわからない。これまで個人寄付を頂いた人のデータベースを作っている」

 ――だれかの名義を借りようとしたのでは?

 「亡くなった人の名前を借りることはしません。もし、そうなら本当に申し訳ないと……」

 ――遺族は献金した覚えはない、と。

 「それは当然、そうでしょうね」「たぶん、誤記載であったことは間違いがないと思うんです」

 ――だれかの名義を借りるつもりで、亡くなったのを知らずに入れたのでは。

 「それはないですね。そうする必要がないというか、目的がないですよ」

 勝場秘書の対応は非常に丁寧だったが、困惑も見られ、振り返ればすべてウソだったことがわかる。この取材のあと、携帯電話に何度連絡を入れても電話口に出てこなくなり、永田町から一時、姿をくらまし、「逃亡説」「自殺説」も飛び交ったりした。

 翌日、6月16日、第2社会面に初報が掲載された。予定通り、5人の故人からの計120万円分の虚偽の個人献金(故人献金)が見つかったというものだったが、政界の反応は早かった。

 これがきっかけとなって、偽装献金問題は事件化し、実母からの巨額の「子ども手当」もやがて明るみに出る。(次回に続く)

 ▽関連記事:前首相・鳩山由紀夫の「政治とカネ」に関する一連の報道

 

 松田 史朗(まつだ・しろう)
 1964年生まれ。信州大学を卒業する前後から、さまざまなアルバ

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