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取引所の役割 利便性と質のバランス

 米ニューヨークのウオールストリートに端を発した世界金融危機と同時不況を経て、金融業界への規制のあり方、証券市場と上場企業の統治のあり方、つまり、法と経済の関係について、世界各地で議論が続いている。朝日新聞報道局「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」編集部では東京証券取引所の斉藤惇社長に寄稿を依頼。5回に分けて連載する。その第4回が以下の原稿である。

斉藤惇社長斉藤 惇(さいとう・あつし)
 東京証券取引所社長
 1963年、野村證券に入社、同社に35年間勤務。その間、2回のニューヨーク勤務を経て常務、専務、副社長を歴任。野村證券退職後、住友ライフ・インベストメントにて社長、会長。2003年4月、産業再生機構の社長に就任、多くの再生支援案件を手がける。2007年6月に現職に就任。同年8月には、市場運営会社及び自主規制法人を傘下に持つ持ち株会社である東京証券取引所グループの初代代表執行役社長に就任。
 ■取引市場の分散・分裂は合理的か?

 多様・多元的な価値観を集約した経済のほうが統制型経済よりも優れていると私は考えていると前回書いたが、しかし、だからといって多くの市場が分散して小さな量で取引競争することが合理的で正当性があるかというと私は疑問である。

 豊富な取引量により正当な価格が見出されるのであって、取引が少ない取引所をあちこちに置いて、同一商品に多様な値段をつけることが正しいとは思わない。

 結論的には一物一価であって一物多価ではない。日本の株式の取引の95%が東証に集約していることは誇るべきことであって欧米で見られるような取引市場の分裂は正しくないと思っている。

 そのような意味で、取引数量や取引したい価格を事前に開示しない、いわゆるダーク・プールと呼ばれる取引所以外で行われる取引の社会的役割は、なかなか理解し難いところである。またリット・プールと呼ばれる、取引所と同様に取引数量や取引したい価格が事前に開示される私設の取引の場についても、本来、取引所は公共的性格が強いものであり、私企業的で利益追求型民間業者が運営するのはどう理解すべきなのか疑問が残る。

 彼らは利益が出るときには一気に参入し、稼ぎまくって市場流動性が弱くなれば、いつでも店を畳んで次の稼げる場所へ移動するということも考えられる。

 市場原理主義者はそのような市場の反応を利用して、より効率的な取引所を作るべきだという空論を愉しんでいるが、合理性を追求する参加者の位置づけや使命感、役務感覚が極端に異なる者同士の競合からは必ずしも社会的合理性や正義は生まれない。

 従って、このような業務については、本来は世界一体となって一定の拘束をかけるルールを共有すべきではないかと思っている。

 そのことが

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