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再生なるか、消費者庁 福嶋長官、問われる手腕

 消費者行政の司令塔として昨年9月に生まれた消費者庁が発足2年目に入った。深刻な人手不足から、なかなか存在感を発揮できずにいる新組織をどう立て直していくか。カギを握るのは、8月に就任したばかりの福嶋浩彦・消費者庁長官(54)だ。千葉県我孫子市長時代に「改革派市長」として知られ、事業仕分けの「仕分け人」を務めた異色の新長官は、じわじわと役所の体質を変えつつある。

▽筆者:河村克兵

 「幸い、2008年夏以降は窒息死亡事故は報告されていないが、今が安心できる状況だという認識はまったく持っていない」

 9月27日、東京・永田町の消費者庁。幼児やお年寄りがのどに詰まらせる事故が相次いだこんにゃく入りゼリーの改善策を話し合う研究会で、福嶋長官が切り出した。

消費者庁長官に就任した福嶋浩彦さん
 研究会は、口腔(こうくう)衛生学や安全工学などの専門家を中心に、ゼリーをどんな形や硬さにすればリスクを減らせるかの「指標」をつくるのが目的。この日はメンバーの有識者のほか、シェアの9割近くを占める最大手のマンナンライフ(群馬県富岡市)をはじめ、菓子メーカー3社の代表も出席していた。

 福嶋氏は、メーカーの目を十二分に意識しながら、「また重大な窒息事故が起こり、消費者庁が後追いで法的な勧告・命令を出すのは、だれにとっても不幸なシナリオだ」と続け、メーカーも指標づくりに積極的に協力してほしいと求めた。

 内閣府によると、こんにゃく入りゼリーによる窒息死亡事故は過去13年間に22件報告されている。どの省庁も規制するすべがない「すき間事案」の典型例で、消費者行政の司令塔となる消費者庁が必要だ……という機運を後押ししたことから、「庁の原点」のひとつ、とされている。

 だが、消費者庁の出足は遅れた。事故防止策について本格的な検討が始まったのは庁発足から半年たった3月下旬のことだった。

 消費者団体は法律でいまの形・硬さでの販売を規制するように求め続けているが、いまも法規制に踏み切るのに十分な科学的根拠は集められていない。「もっと窒息事故が多い餅は規制せず、なぜ、こんにゃくゼリーだけを規制するのか」という問いに、きちんと答え切れない状態が続いている。

 福嶋氏を長官にばってきする人事が内定したのは、そんな空気が庁内に広がっていたさなか。福嶋氏と旧知の仙谷由人官房長官が水面下で動き、ぱっとしない新組織にてこ入れをはかったのだ。

 福嶋氏は就任後、こんにゃく入りゼリー問題について「法規制をするかどうか」にこだわる前に、まずは事故を減らすのに有効な手だて急ぐべきだ……との判断に傾いている。合理的で現実的な解決策を探ろうとするのは、我孫子市長時代から。福嶋氏が「私の原点」と言う「手賀沼問題」への取り組みを見るとわかりやすい。

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 我孫子市に広がる手賀沼はかつて、その美しさにひかれて志賀直哉や武者小路実篤らの文人が周辺に住みつき「白樺派」として活動した。だが、高度成長期の人口増加に伴って生活排水が沼に流れ込み、水質は悪化。手賀沼の再生のため、消費者団体が1978年に「学校給食の食器洗いを合成洗剤からせっけんに変えて」と市議会に求めたのを機に、合成洗剤をやめてせっけんを普及させよう……という市民運動が広がった。

 福嶋氏は、この運動に我孫子市議時代からかかわってきた。95年に市長になると、さらにせっけんの利用を促し、市民や有識者らがつくった「石けん利用推進協議会」を市の組織として正式に位置づけた。昔から使われ、安全だとわかっているせっけんを使うよう市民に勧めることで、脱・合成洗剤をはかろうという狙いがあった。

 後に福嶋氏はこう語っている。「合成洗剤について、市が条例など行政権力で禁止するとなると、特別にその危険性・有害性を市がきちんと論証できなければ、その規制は違法になる。けれども、行政権力の行使ではなく、まちづくりの姿勢として『環境と人により優しいものを使っていこう』『疑わしいものは使わないようにしよう』ということはできる」

 正面から規制に踏み切れなくとも、安全性がはっきりしているものを行政が後押しすることで、規制に近い効果を出せる、というわけだ。その現実的な手法は、こんにゃく入りゼリー問題での「規制が難しいのなら、まずは安全なゼリーづくりを急ごう」という戦略と通底している。

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 福嶋氏は、筑波大生のときに学園祭を巡って大学とぶつかり、無期停学処分を受けた(結局、除籍)。市民運動や旧社会党の機関紙記者をへて27歳で我孫子市議になっている。そんな経歴をたどると、現実主義者というより、むしろ、党のイデオロギーにとらわれがちな政治家では、という疑念を持つ人は多いかもしれない。

千葉県我孫子市長時代の福嶋浩彦さん
 しかし、福嶋氏は市議を続けるうち、しだいに党から距離を置いていった。2期目には、市内を4人の社会党市議ごとに地区を割り当てて機関紙を配布する党の方針に反して、市全域に自分の後援会報「緑と市民自治」を配り始めた。3期目のときに離党して市長選に立候補し、初当選。38歳のときだった。

 そのころの我孫子市役所は「市長の言うことは聞き流して事務方の思い通りに進めればいい、という雰囲気がはびこっていた」(当時の市幹部)という。福嶋氏は市長になると、役所の体質を変えることに力を注いだ。

 今までのやり方は今まで。前例は変えよう……。そう繰り返し、職員たちを刺激した。職員の採用には民間委員を入れ、補助事業は市民に仕分けしてもらった。側近をつくらず、議会となれ合わない。元部下は「まるで一匹おおかみのようだった」。3期12年で役所の空気をガラッと変え、「改革派市長」として知られるようになる。

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 「消費者庁が持っている情報は国民全体の共有財産だ」。福嶋氏は長官に就いた日の記者会見で語った。「原則、情報はすべて消費者に公表し、一緒に考え、監視し、問題をみつけていく」とも述べ、官僚だけが「国民の共有財産」を差配することは許さない、という姿勢をはっきり打ち出した。

 消費者事故に関する情報の収集・分析・公表の見直しにもただちに着手した。消費者事故情報の一元化は庁の使命のような重要課題なのに、いぜん庁内の態勢が整っていなかったからだ。

 とくに、庁発足と同時に施行された「消費者安全法」に基づく情報の扱いは滞りがちだった。各省庁や自治体に消費者事故情報の通知義務を課す法律だが、通知するかどうかの判断を省庁・自治体に委ねたために情報を十分に集められなかったり、情報の分析・注意喚起になかなか手が回らなかったり。

 最大の原因は、担当する消費者安全課(定員18)の人手不足にある。担当者は「これ以上情報を集めるとパンクする」。さらに、リスクを負うことを嫌う官僚体質が「待ちの姿勢」を助長した。

 こうした状態を改めるため、福嶋氏は9月15日、同課とは別に「事故情報対応チーム」を新設。各課から職員を集めた計10人の特別チームを軸に事故情報を素早く扱い、公表につなげる試みだ。

 事故情報の公表資料の体裁を変え、わかりやすく伝える工夫も始めており、自ら資料に目を通し、「もっとわかりやすいイラストをつけて」と細かな注文をつける。さらに、これまで「重大事故」と扱っていなかったため未公表だった情報でも、消費者にとって大事な情報は公表できないか、という検討も進めている。

 10月1日にはさっそく、介護ベッド最大手であるパラマウントベッド社(東京都江東区)のベッド用手すりに70代女性が頭をはさむ事故が神奈川県で起きていたと公表し、注意喚起を自治体に求めた。製品に原因があるのかどうかはっきりしない段階で企業・製品名を公表するのは異例のことだ。

 事故情報の公表範囲を広げていけば、企業側とのあつれきが生じるのは必至だが、ひるむ様子はない。「事業者を監督している官庁なら製品名を出すのは制裁的な公表(の意味合い)になるが、消費者庁はあくまで消費者サイドで考えるべきで、消費者にとって製品名を出しての注意喚起が必要かどうかが一番、大切なところだ」

 自ら先頭に立って、霞が関の論理に慣れ親しんできた官僚たちに「消費者目線」を植え付けられるか。当初の消費者庁構想の理念にうたわれた通り、消費者庁を行政の質的転換を促す起爆剤にできるか。それとも、このまま存在感を発揮できずに埋没していくか。「2年目」は、その岐路を迎えることを見越してか、最近、福嶋氏は「もう『できたばかりだから』という言い訳は通用しない」と、改めて官僚たちのねじを巻き始めている。