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小沢起訴議決 検察不信の中で検察審査会の役割強化論も

村山 治

 小沢一郎・元民主党幹事長を被告人席に着かせることを選択した東京第五検察審査会の起訴議決。有権者から選ばれた審査員は、大物政治家の刑事責任の有無の判断を、検察に委ねず、公開の法廷でシロクロをつけることを選択した。折しも、大阪地検の不祥事で検察の信頼が揺らぐ。議決に対する市民の反応は「国民感覚から至極妥当」「政争絡みの審査会合戦が心配」など賛否両論だが、法学者の中には検察審査会の権限を拡大し、不起訴事件だけでなく、検察が起訴する事件についてもチェックしてはどうか、との意見もある。小沢事件の強制起訴・公判の行方とともに、検察の制度改革の論議からも目が離せなくなった。

  ▽この記事は2010年10月5日の朝日新聞朝刊に掲載された原稿に大幅に加筆したものです。

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 ■検審は検察現場の証拠評価に軍配を上げた?

村山 治(むらやま・おさむ)村山 治(むらやま・おさむ)
 朝日新聞編集委員。徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、共著「ルポ内部告発」(朝日新書)。
 東京第五検審の審査対象になったのは、小沢氏の資金管理団体「陸山会」が2004年10月に都内の土地を約3億4千万円で購入したのに、04年分ではなく05年分の政治資金収支報告書に支出として記載した――という政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑だった。

 小沢氏は、陸山会の会計担当だった元秘書で衆院議員の石川知裕氏らとともに虚偽記載の罪で都内の団体から東京地検特捜部に告発され、石川氏ら秘書3人は同罪で起訴されたが、小沢氏について検察は、石川氏らとの共謀共同正犯を認めるに足る証拠がないとして不起訴にした。

 特捜部は、長期の内偵捜査の末、今年1月、石川氏ら秘書3人を逮捕。議員会館や小沢事務所を捜索し、多数の関係者から聴取した。その結果、現場の検事の一部には、小沢氏について、石川氏の供述や状況証拠から政治資金規正法違反(虚偽記載)で起訴した石川氏ら秘書との共謀共同正犯を認めることは可能であり、起訴できるとの判断があった。

 しかし、検察首脳は、最終的に、共謀共同正犯の要件を厳しく解釈し、手持ちの証拠では小沢氏の共犯を問うことはできないとして嫌疑不十分不起訴とした。

 東京第五検審は、1回目の審査で検察の不起訴処分を不当とし、起訴相当議決を行った。審査員がそっくり入れ替わった2回目の審査でも、再度起訴相当と議決した。

 今回の議決要旨は、1回目の起訴相当議決を受けた検察の捜査に対し「石川議員らを取り調べているが、いずれも形式的な取り調べの域を出ておらず、本件を解明するために、十分な再捜査が行われたとは言い難い」と指摘した。

 審査会は、証拠を検分した結果、2回とも、小沢事件について、現場検事と同様の感触を得たものとみられる。

 それは、最終的に不起訴の判断を維持した検察首脳に対する不信の表明だったともいえる。

 ■「犯罪事実」の表現に論議

 議決要旨が認定した「犯罪事実」の表現に一部の法曹関係者から「異論」が表明された。

 検察審査会は「検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査をする」(検察審査会法第2条1項)と定められている。

 審査のもとになった市民団体から告発事実は、陸山会が2004年に支出した土地代金3億4264万円を、04年分ではなく05年分の政治資金収支報告書に記載したとする政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑。

 1回目の議決要旨はこの容疑について、起訴相当と議決した。それに対し、2回目の議決要旨は、別紙の「犯罪事実」を議決要旨に添付し、その中で、支出の件だけでなく、「小沢氏からの4億円の借入れをしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず、同収支報告書の『本年の収入額』欄に、過小の5億8002万4645円であった旨の虚偽を記入」と収入にも触れていた。

 検察は小沢氏が保有していたとされるこの4億円がどこから来たのかなどに重大な関心を持っていた。検察審査員は、検察の捜査資料からこのカネの存在を知る立場にあった。

 元検事の郷原信郎弁護士は「制度の趣旨からして明らかな逸脱。この起訴議決による強制起訴はできないのではないか。実体要件としての犯罪告発事実、審査申し立て事実とどういう関係でなければいけないのか。その途中で事実関係が変わってきた場合、どこまでの変更であれば許されるのかが実務的にきちんと固まっていないところに大きな問題があるような気がする」と指摘。

 10月8日には、小沢氏の弁護団が、起訴議決に「重大な欠陥がある」として、議決の無効確認などを求める訴訟を東京地裁に起こす方針を固めた、と報道された。

 審査会の起訴議決を受けて裁判所は、検事役の弁護士を指定する。指定された弁護士は、起訴議決をもとに起訴状を書き、裁判所に提出する。

 告発状にない表現を起訴状に盛り込むと、法廷でも争点のひとつとなるとみられる。

 同様のケースでは、ロッキード事件で議院証言法違反(偽証)に問われた元全日空社長が、国会の告発にない事実まで訴追したのは違法として最高裁まで争った例がある。最高裁は「議院証言法の趣旨を考えれば、偽証罪を構成するどの事実について公訴を提起するかは、検察官の合理的裁量にゆだねられている」と判断。有罪が確定している。

 ■「むしろはっきりしている方が怪しい」と供述調書を評価

 起訴議決要旨には、さらに、法曹関係者を驚かせる記述があった。

 収支報告書の提出前に石川氏が小沢氏に報告・相談した場面についての石川氏の供述に対する議決の評価だ。

 検察は「具体的なやりとりがなく、迫真性があるものとまで言えない」と判断したが、第五検審は、逆に、「本件では、細かな事項や情景が浮かぶようないわゆる具体的、迫真的な供述がなされている方が、むしろ作為性を感じ、違和感を覚えることになるものと思われる」と積極的に評価した。

 従来、刑事裁判での裁判所の供述調書に対する信用性判断は、供述内容の具体性、迫真性が重視されてきた。このため、検察や警察の捜査は、関係者から具体性、迫真性のある供述調書を作ることに腐心してきた。

 石川供述に対する検審の評価は、検察の「常識」を覆す、法律家ではなかなか思いつかない逆転の発想だった。

 元検察首脳は「小沢事件にかかわらず、一般的に、証拠は、見る人の立場が違えば、違って見えるものだ。だから、プロの裁判官が判断しても、まったく同じ証拠で一、二審有罪だった事件が最高裁で無罪になることがある。逆になることもある。証拠評価が検事と違っても驚かない。それが、検察審査会制度の意味でもあるから」という。

 検審の議決日は9月14日だった。ちょうど4日前の同月10日、大阪地裁が、村木厚子・元厚生労働省局長の虚偽有印公文書作成・同行使事件に対し、無罪判決を言い渡していた。判決は「供述の具体性、迫真性というのも後に作り出すこと自体は不可能ではない」と指摘し、大半の供述調書の信用性を否定していた。

 審査員は報道などでこの判決内容を知り、影響を受けた可能性もある。

 ■情報開示義務違反への厳しい市民の視線

 今回の議決は、透明であるべき政治資金の情報開示をゆがめることに対する市民の厳しい見方を示した側面があるともいえる。

 日本の政治・経済・社会はグローバル化に対応するため、政官業もたれ合いの護送船団対応型から、ルール強化、事後チェックを重視するアメリカ型へと大きく舵を切った。

 検察は「市場の規律保持のため刑事司法の役割を担う」ことを宣言。金融システムが大きく揺らいだ90年代末には、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の粉飾決算を次々と摘発した。2000年代になってからはカネボウやなど有名企業の粉飾決算の摘発も相次いだ。2006年に摘発されたライブドア事件もこの流れの中にある。

 同時に、企業の内部告発が増え、偽装牛ミンチ事件、チョコレートメーカーや老舗料亭の食品の虚偽表示が次々に発覚。マンションなどのビルの耐震偽装なども摘発された。

 一方、政治とカネの問題についても、政治資金の情報開示は90年代半ばから一層、厳格に義務づけられるようになった。

 昨年3月、検察が、中堅ゼネコンの西松建設から小沢氏の政治団体への献金偽装を摘発した時には、政界や法曹界の一部から「形式犯での摘発」批判が起き、小沢氏が告発された今回の陸山会事件では「単なる期ズレ。強制捜査の対象にするような事件ではない」との批判があった。

 東京第五検審は、そうした批判に耳を貸さなかった。「うそ」を許さない近年の社会の流れと相通じる感覚が審査員にあり、証拠の判断とあいまって起訴議決を導くに至ったとみることができる。

 ■検察の権力と権威の淵源―起訴独占と起訴裁量

 ここで、簡単に、検察と検察審査会の制度と歴史を振り返っておこう。

 日本では、長い間、事件、事故での検察の起訴、不起訴の判断を、多くの国民が信頼し、受け入れてきた。その信頼が、検察に「起訴独占」と「起訴裁量」という2つの強力な権限を持つことを許し、それが検察の力の源となってきた。

 起訴独占は約140年前、時の明治政府がフランスの法制を参考に導入し、ドイツ法の影響を受けながら定着させた。その運用の中で「起訴を惜しむ(なるべく起訴しない)」という日本独特の考え方が明治末に確立したとされる。それが「起訴裁量」だ。

 現行の刑事訴訟法は、247条の「公訴は、検察官がこれを行う」で起訴独占を、同248条の「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」で起訴裁量権を明記している。

 明治政府が検察に強力な権限を与える仕組みを採用したのは、欧米列強による植民地化を回避し近代国家への転換を急ぐため、地方分権の幕藩体制から中央集権体制への転換を図ったことと軌を一にしている。

 そこでの検察制度は、「天皇の検察官」である検事は悪事にかかわるはずがない、という「性善説」を前提に作られた。検察は、警察のうち、司法警察部門を配下に従え、強力な捜査力を持った。刑事捜査で検察に匹敵するライバルはいなかった。それは、検察を中心とする刑事司法の効率的な運用をもたらしたが、一方で、独善に走りがちな検察の性格を形成する土壌の一部となる。

 戦前、検察幹部の一部は、軍部と結びついていたとされ、戦争遂行に協力したとして戦後、多数の幹部がパージされた。

 ■GHQの刑事司法改造計画

 そして敗戦。検事を含む権力者の「性悪説」を前提に刑事司法制度が作られている米国を中心とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、旧来の日本の検察制度に、米国流の検事公選制と大陪審(起訴陪審)を導入しようと図った。いずれの制度も、究極の検事性悪説に立つものだった。

 米国では、連邦犯罪を訴追する連邦検察の幹部は、選挙で選ばれた政治家が政治任用する。

 州の事件を担当する州司法長官(検事正に匹敵)は住民が選挙で選ぶ。前任者は、後任から業績を子細にチェックされ、収賄などの不正があれば刑事責任を問われる。直接間接に市民から不断のチェックを受ける仕組みだ。

 一方の大陪審。米国の連邦大陪審を例にとると、検事の訴追に対するチェック機能と、捜査機関としての機能をもっている。裁判官は検事の求めに応じ、市民から選ばれた大陪審を招集。大陪審の要請にもとづき召喚状を発するが、実質的な手続には関与しない。陪審員は、検察官の提出した証拠にもとづき、強制力を持つ召喚状で証人を呼び、証言を求め証拠化する。そのうえで起訴する「相当の理由」があるかないかを審査。大陪審が起訴答申すれば検事は被疑者を起訴する。

 要するに、検事公選は、官僚検察が築き上げてきたヒエラルヒーを破壊し、大陪審は、検察から、起訴独占と起訴裁量の権限を奪うものだった。

 GHQの提案に、戦前からの司法官僚が猛抵抗した。折衷案として創設された「検察監視」装置が、検察官適格審査会と検察審査会だった。

 ■日本流に換骨奪胎―検察審査会もアリバイ的運営

 検察官適格審査会は検察庁法第23条で「検察官が心身の故障、職務上の非能率その他の事由に因りその職務を執るに適しないときは、検事総長、次長検事及び検事長については、検察官適格審査会の議決及び法務大臣の勧告を経て、検事及び副検事については、検察官適格審査会の議決を経て、その官を免ずることができる」と定める。

 最高裁判事、日弁連会長、国会議員ら11人で構成。3年に1度の定時監査のほか内外の訴えを受けて、審査する機関だが、今回の、押収証拠の隠滅に問われた大阪地検特捜部の前田恒彦元検事や、前田元検事の行為を隠蔽したとして逮捕された元上司の特捜部長、大坪弘道検事=大阪高検総務部付、同副部長の佐賀元明検事=同=のような検事の犯罪を調査し制裁する機関ではない。検察は、検事の非違行為を発見すると、審査にはかけず、処分して退官させてきた。だから、60余年の間に同審査会がクビにしたのは、職場放棄で失踪した副検事1人だけだ。

 一方、検察審査会の方も、議決に法的拘束力は与えられなかった。検審の議決を受けて不起訴が起訴に変わったのは1400件ほどあるが、ほとんどが交通事故や詐欺など。特捜事件で不起訴が起訴に変わったのはほとんどない。検審OBや弁護士会らは長年、法的拘束力の付与を求めてきた。

 その間、検察は、起訴独占と起訴裁量という2つの権限を駆使して、証拠が固いと判断した事件だけを起訴。検察側の作成した供述証拠を重んじる裁判所の姿勢もあり、刑事裁判の有罪率は99%超を維持してきた。

 検察審査会の起訴相当や不起訴不当議決が大きく報道されることはまれになった。検察審査会は国民から忘れられていった。国民の選挙の洗礼を受けていない検察官が起訴独占・起訴裁量権という強大な権力を行使することに対する市民団体などからの批判が起きたときに、「国民のチェックは受けている」と説明する「制度的アリバイ」としてしか意味を持たなくなった。

 日弁連は、「国民の司法参加」の観点から、検察審査会が起訴相当とした事件については法的拘束力を付与し、検察は無条件で起訴すべきだとする提言を折に触れて行っていたが、国民の関心を集めることはなかった。

 ■強制起訴権導入のきっかけは隼君事件

 その「掌中の玉」である起訴独占権の一角を、検察は、2000年代初頭の司法制度改革で、さしたる抵抗もせず、放棄した。

 きっかけは、改革に向けた具体的な議論が始まる直前の97年秋、小学生の片山隼君がダンプカーに轢かれて死亡した事故をめぐる東京地検の不起訴処分だった。

 同地検は、業務上過失致死容疑に問われた運転手を不起訴処分にした理由を尋ねた隼君の両親に対し、「被害者に説明する義務はない」と突っぱねた。その対応に批判が集まり、刑事司法における「被害者の権利」を求める大きな運動に結びついていく。

 両親は自ら目撃者を捜し出し、検察や検察審査会に再捜査を求めた。世論の強い批判を受けて検察は98年11月、検審の議決を待たず、運転手を起訴した。

 「この不起訴処理で、検察の不起訴判断は大丈夫なのか、とする国民の不信がわっと広がった」(検察幹部)。

 司法制度改革の詳細なメニューを決める司法制度改革審議会は99年7月に始まった。国民参加の裁判員裁判の導入と法曹人口の拡大で、法曹三者のうち裁判所と弁護士会は、「出血」した。ほとんど傷むところのなかった法務省は、改革審で「被告」となった。

 日弁連は、司法制度改革審議会の議論の中で、国民の司法参加の一環として検察審査会の強化を要求。検察は追い込まれた。

 そこに福岡地検次席検事が知人の裁判官に、捜査情報を漏洩した事件(2002年)が発覚。法務・検察は「検察の独善」批判の拡大を恐れ、自ら検察審査会の起訴議決の法的拘束力の受け入れを宣言した。

 背景には、検察捜査に対する国民の信頼の揺らぎがあった。

 戦後の自民党一党独裁体制の下で政界の腐敗に目を光らす野党役を期待されてきた金看板の特捜検察は、政官界の事件を摘発するたびに、ストーリーに合わせて調書で事件を構築する捜査手法を公判などで批判されてきた。

 「選挙の洗礼を受けていない官僚権力が捜査で政権を揺るがすのはおかしい」などの政官界からの批判も98年の大蔵接待汚職摘発でピークに達していた。

 ■検察審査会の「市民感覚」に対する検察の危惧

 小沢事件に先立ち、神戸第2検察審査会が、神戸地検が不起訴処分にした明石歩道橋事故で県警明石署の元副署長について、さらに神戸第1検察審査会が、JR福知山線の事故でJR西日本の歴代社長3人についてそれぞれ起訴議決し、いずれも今年4月、相次いで神戸地裁に強制起訴された。

 JR事故の強制起訴は、検察にとって「従来の検察の起訴基準では、とうてい有罪の心証を得られる証拠がなく、起訴は考えられない事件」(最高検幹部)だった。

 歩道橋事故の2回目の起訴議決要旨(今年1月27日)は「本検察審査会は、議論の結果、基本的立場を、被疑者が有罪か無罪かという検察官と同様の立場ではなく、市民感覚の視点から、公開の裁判で本件の事実関係及び責任の所在を明らかにして、本件のような重大な事故の再発防止を望む点に置いている」と明言した。

 個人の犯罪の有無を捜査し、有罪が確実との心証を得た場合のみ起訴することを旨としてきた検察側にとっては驚天動地の見解だった。

 「被害者の感情を色濃く反映しすぎ。法廷は、事故の原因究明をする場ではない。個人の刑事責任の有無を裁く本来の刑事裁判の目的を逸脱している」と検察首脳らは批判した。

 今回の小沢事件の議決要旨も「国民は裁判所によって本当に無罪なのか有罪なのかを判断してもらう権利がある」と明確に言い切った。そして、検察審査会制度について「嫌疑不十分として検察官が起訴を躊躇した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度である」とした。

 小沢事件をめぐっては、政界や法律家の一部で、「法律の素養のない市民は感情論に走りがちで刑事司法秩序を壊す恐れがある」などとして強制起訴制度の見直しを求める声があがっていた。

 本来、不起訴で終わるはずだったのが起訴されたことで被疑者に大きな負担を負わせたケースがある。

 強制起訴制度のない時代の1974年に兵庫県の知的障害児施設で園児2人が死亡した「甲山(かぶとやま)事件」だ。検察審査会は神戸地検が不起訴とした保育士の女性を「不起訴不当」と議決し、同地検がこれを受けて78年に殺人罪で起訴した。結局、女性は無罪が確定したが、21年も法廷闘争を余儀なくされた。

 ■「起訴基準を規定しなかった失敗」――法務省幹部の悔恨

 検察と検察審査会の起訴基準が異なる場合があり得ることを問題視する人がいる。

 検察審査会の強制起訴制度導入のいきさつを知る元法務省幹部はいう。

 「検事は法と証拠にもとづき、有罪の確信をもった場合のみ起訴する。これは、法律家なら誰でも知っている常識だ。検察審査員がいかに普通の市民だといっても、この『原則』は守ってくれるものと思いこんでいた。だから、強制起訴を導入する際に、検察審査会法に起訴基準を明示するような措置はとらなかった。それが失敗だった」

 同様に普通の市民が参加する裁判員裁判の場合は、プロの裁判官が、裁判員が判断に迷うようなことがあると、法律的な判断基準をアドバイスしたり、裁判官の意見を示したりして最終的に合議で結論を導く。

 検察審査会では、審査員の独立性が重視され、裁判官に当たる法律専門家が存在しない。1回目の審査から補助弁護士の意見を聞くことができ、2回目は意見を聞くことが義務づけられているが、補助弁護士は、「主たる職務は、説明、整理及び助言であり、検察審査会の議論を一定の方向にリードし、一定の議決に誘導するようなことがあってはならない」(日本弁護士連合会編、審査補助員・指定弁護士のためのマニュアル)ことになっている。

 証拠の評価などで自らの意見を押しつけてはいけないのだ。

 元検察幹部はいう。

 「補助弁護士によって、アドバイスの内容が異なり、それが検審の結論を左右する可能性も指摘されている。補助弁護士のアドバイスについてガイドライン作りなどが必要になるかもしれない」

 一方、元東京地検特捜部長の石川達紘弁護士は、「無罪になった時、起訴した責任や賠償責任を誰がとるのか」と指摘する。

 検察が起訴して無罪になった場合、被告は国を相手に賠償を求めることがあるが、検事に明白な違法行為でもない限り、賠償責任を問うのは難しく、刑事補償法による補償で決着することが多い。しかし、無罪を出した検事は、人事などで内々に事実上のペナルティを受けることもある。一方、検察審査員個人の責任は原則として問わないのが法の趣旨だと思われる。

 検察審査会の強制起訴制度については、ほかにも、指定弁護士の捜査権について明確な規定がないこと、審査対象となった被疑者側が審査会に出て抗弁する権利がないこと、公表される議決要旨では審査員の判断の過程がわかりにくいこと、起訴議決をした審査員に説明責任を求めることができない――など様々な問題点が指摘されている。

 「裁判員制度の創設の立法作業で疲弊して、検察審査会の強制起訴について十分、細部を詰めずに立法してしまった結果だ」と元検察幹部は振り返る。

 ■市民の判断は信頼できる――刑事法学者の反論

 様々な問題を抱えつつ、検察審査会の強制起訴は動き出した。改善すべき点が多々あるのは事実だが、全会一致で国会を通過した法律に基づくこの制度はまだ始まったばかりだ。見直し論をいうのは時期尚早ではないだろうか。

 すでに強制起訴された事件、これから強制起訴される事件の裁判の行方を見守るべきだろう。判決を見て、見直しの議論を始めるべきだ。

 そもそも、司法制度改革で強制起訴制度を採用した時の目的は、検察の独善を牽制するための検察システムへの国民参加、要は、起訴、不起訴の判断に素人の視点を入れることだった。その原点を忘れてはならない。

 ちょっと古くなるが、検察審査会の審査で助言した経験を持つ故藤木英雄・東大教授の論考「法と良識の間」(1968年5月17日朝日新聞への投稿)が「素人判断の危険」論についての指摘に対するひとつの答えになるだろう。

 「論点が十分整理されてさえいれば、事実の判断にしても、情状の判断にしても、素人でも十分やっていけるし、かえって専門家が見落としがちな論点を指摘することもできる」

 「(自らの体験として)証拠の評価、法律の解釈適用の両面のからむ複雑な問題があるにもかかわらず、よく論点が把握されており、かつ、質疑を通じて一方的な感情論に陥ることなく公正な立場での法律判断に到達しようという真剣な空気に接し、感銘を受けた」

 教授はさらに続ける。

 「審査会の真価は、社会的関心を引く、汚職、選挙違反、企業災害、その他公益性の強い重要な事件について、国民を代表して刑事司法の運用を監視するところにある」

 藤木教授が助言をした時からかなりの時が過ぎた。しかし、検察審査会の本質は、強制起訴が与えられた以外は何も変わっていない。

 ■藤木教授の提案「検審に起訴陪審的な権限を」

 村木厚子厚労省元局長の虚偽有印公文書作成・行使事件の捜査主任検事だった前田恒彦元検事が押収証拠を改ざんした罪で11日、起訴された。犯人隠避容疑で逮捕された元特捜部長と元副部長の捜査も続く。

 大阪地検の前代未聞の不祥事で、検察捜査に対する国民の信頼は地に墜ちた。そうした中で公表された小沢事件に対する検察審査会の起訴議決は、信頼を失った検察全体に対して国民が突きつけた不信任とみることもできる。

 刑事司法システムで証拠管理を検察に任せているのは、検事は不正をしないという「性善説」を前提にしてきたからだ。

 検察の「性善説」神話は壊れた。その対局にあったのが、実は、敗戦後、GHQが導入を目論んだ起訴陪審と検事公選制だった。

 藤木教授は、先の投稿の中で、将来の検察審査会の課題として「この種の事件について検審に起訴陪審的な権限を認めてゆくことも考えられてしかるべきである」とも述べた。

 検察が起訴し、裁判所がチェックしてきた事件も、起訴前に、検察審査会が審査できるようすべき、との提案と受け取れる。

 刑訴法に詳しい関西学院大法科大学院の川崎英明教授はいう。

 「現行制度では、検察の起訴そのものに対するチェックは、裁判所の『公訴権の乱用』審査しかない。しかも実際には、最高裁が認めた例はない。検察の起訴に対しては事実上、ノーチェックといっていい」

 「検察審査会の権限を起訴審査にまで拡大すれば、まさに検察に対するトータルなチェック制度になりうる。もちろん、検察が裁判所に起訴したものを検審がチェックし、それをまた裁判所に戻す、などということが制度的にあり得るのか、手続的、技術的にも難しい点はあると思うが、検討すべきだ」

 ■検察幹部の「起訴陪審導入論」

 大阪地検の不祥事を受けて柳田法相は、第三者による私的諮問機関「検討会議」の設置を発表。これから、国をあげて検察制度と運用の抜本的な改革の議論が始まる。

 すでに、法務省・検察部内からは、特捜事件については、捜査と起訴を別々の検事が行うとか、起訴前に、別の検事が捜査内容をチェックする、などの案が語られているようだ。

 しかし、いずれも、検察官性善説に立つ身内のチェックだ。それで済むほど、今回の大阪地検の事件は軽くない。第三者の検討会議では、検察捜査に対するチェックの方法として、検察審査会の権能を起訴審査にまで拡大し、国民の視線で検察の捜査をチェックする方法まで議論されるべきだろう。

 検察幹部の1人はいう。

 「いっそ、起訴陪審(大陪審)を導入すればいい。そうすれば、

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