メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

1-8) 2月18日夜「公表はできるだけ遅らせるのが最良」

奥山 俊宏

 米国の大手航空機メーカーから総理大臣・田中角栄ら日本の政治家に裏金が渡ったとされるロッキード事件は1976年に明るみに出た。この連載『秘密解除・ロッキード事件』では新たな資料をもとに新たな視点からこの事件を見直していく。第1部では、疑惑が発覚した当時に自民党の幹事長を務め、のちに首相になった中曽根康弘のメッセージとして米政府ホワイトハウスに届いたある言葉に焦点をあてる。その第8回。

  ▽筆者:奥山俊宏

  ▽敬称は略します。

  ▽この記事は岩波書店の月刊誌『世界』2011年1月号に掲載された原稿に加筆したものです。

 

 1976年2月18日夜、中曽根は、ある人物に接触した。

 駐日大使ホジソンから国務省に送られた報告の公電によると、中曽根はその際、駐日大使館を通じて米本国政府に自民党幹事長としてのメッセージを伝達するよう依頼した、とされている。

1976年2月20日に駐日大使館から国務省に送られた公電の1ページ目
 「2月18日の晩、自民党幹事長中曽根が以下のメッセージを大使館に託した。彼は、このメッセージが合衆国政府に伝達されることを望んだ。中曽根はその際、個人的にではなく、自民党幹事長として話をしていると注意深く言明した」

 公電の文面からすると、中曽根が直接話した相手は大使のホジソンではなかったようだ。公電はホジソンの名前で発信されているので、大使が中曽根の会話の相手だったならば、「中曽根は私に話した」と書くはずだが、そうはなっていない。

 公電には2カ所だけ

・・・ログインして読む
(残り:約794文字/本文:約1415文字)