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検察官の官僚化が招いた大阪地検の不祥事 《五十嵐紀男・元東京地検特捜部長》

村山 治

 大阪地検特捜部が手がけた郵便不正事件とその後に発覚した証拠改ざん・犯人隠避事件の背景には、「検察官の官僚化と実力の低下」がある。昨年12月に公表された最高検の内部検証報告はこの点に関する掘り下げが不足している。事件を契機に法務大臣が設置した「検察の在り方検察会議」(座長・千葉景子元法相)では、この点を徹底的に議論し、具体的な改善策を提示すべきである。私情を捨て検察の後輩諸君に対し、あえて厳しいことを言わせてもらう。

  ▽文責:五十嵐紀男(弁護士、元東京地検特捜部長)

  ▽まとめ・構成:村山治(朝日新聞編集委員)

  ▽関係者の肩書きは改ざん・隠避事件当時のものとしました。

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五十嵐紀男(いがらし・のりお)五十嵐 紀男(いがらし・のりお)
  1940年生まれ。北海道大学在学中に司法試験に合格。64年4月、司法修習生。66年4月、検事任官。91年1月から2年半、東京地検特捜部長。共和汚職、東京佐川急便事件、金丸ヤミ献金事件、金丸脱税事件などを手がけた。99年12月退官。公証人を経て2010年5月、弁護士登録。

 ■捜査の稚拙

 それにしても、村木厚子・元厚労省局長を起訴した郵便不正事件の捜査はあまりにも稚拙だった。同時に、これをチェックできなかった検察組織の実力が嘆かわしいほど低下していると感じた。

 最高検の検証報告書によると、大阪地検特捜部は、この事件を民主党の石井一衆院議員から依頼のあった「議員案件」と見立てて、その流れの中で村木さんが上村係長に偽の証明書の作成を指示したという構図を描いて捜査を進めた。(公表版12ページ)

 そうであるなら、村木さんの逮捕前に当の石井議員から事情を聴取すべきであるのにこれを怠り、公判でアリバイを主張され、それを裏付ける記録がゴルフ場に残っていたという体たらくである。

 検証報告は、石井議員の起訴前の聴取を見送ったのは、大阪地検の判断だった、としている。(同)

 本当にそうなのか。当時は、2009年の総選挙を控えた時期だったにしろ、ぎりぎりまで事実を詰める現場の捜査官からは生まれてこない発想だ。

 もうひとつは、FDという最も重要な証拠物と関係者の供述の整合性を点検しなかったこと。上村係長が偽の証明書を作成するのに使ったと思われる押収FDの最終更新日が6月1日と記録されていた。

 郵便局が凛の会に証明書の提出を求めた6月8日以前に上村勉元係長が偽証明書の作成に着手していたことになり、村木さんの事件への関与について、検察のストーリーとの齟齬が明らかになった。

 それにもかかわらず大阪地検特捜部の前田恒彦元主任検事は、本省の局長を立件したいという功名心から上司に報告した当初のストーリーと矛盾するFDの記録を敢えて無視し、上司にも報告しなかった。

 佐賀元明・元同特捜部副部長、大坪弘道・同部長ら幹部も、唯一の物的証拠であるFDの記録の点検を怠った。

 こういうずさんな捜査は、私が東京特捜部でヒラ検事、副部長、特捜部長をしていたころには考えられなかったことだ。

 ■被告人となった検察官の問題

 職務遂行過程で犯罪行為にまで走る検事はまずいない。その意味で、本件の直接の原因は、改ざん、犯人隠避事件とも、それにかかわった検事個人の問題と言える。

 FD改ざん事件を起こした前田検事は、最高検の取り調べに対し、重要証拠のFDのファイルのプロパティ情報を把握した後も上司に報告しなかった点について次のように供述しているという。

 「関係者の供述等の証拠関係からすれば、村木氏の関与という事実を揺るがすものではないと考えたこと、このような問題のある証拠について未解明のまま大坪部長に報告すれば叱責を受けると考えたことにある」(最高検検証報告書公表版18ページ)

 前田元検事には「上司に認められたい」という出世欲があった。叱責を避けたいと考えるのは、その裏返しの気持ちでもある。

 公益の代表者である検事が応えるべき対象を「国民」と見ないで、「自分が所属する組織の上司」と見ていた。それが、前田検事をして今回の改ざんというとんでもない事件に走らせたのだと思う。

 検証報告書は、前田検事の上司である大坪部長と佐賀副部長の指導や決裁にも問題があったとしている。

 「供述調書の写しが届けられ、両名はその内容を確認していたが、大坪元部長は本件の捜査・処理について、検察官を集めて捜査会議を開くこともなく、佐賀副部長には実質的な関与をさせなかった」

 捜査会議を開くか否かは、事件の規模・内容によって判断され、今回の事件で捜査会議を開かなかったこと自体を非難することが妥当なのかはさて置いて、少人数所帯の大阪特捜部において、中央官庁の局長を逮捕するという重大事件の捜査処理に副部長を関与させなかったというのは、まったく理解しがたいところである。

 「捜査の着手及び処分などの決裁時においても、前田検事に対し、関係者の供述とこれに対応する客観的証拠の有無・内容を対照した資料などを作成させることもなく、また、主要な証拠物の報告や提示を求めることもなかった」(同19ページ)

 このような捜査の基本をないがしろにしたのでは、事件の全貌を理解し、起訴不起訴の正しい判断をすることはできないし、自ら自信を持って検事正や次席検事、さらには高検、最高検を説得することもできないのではないか。真実解明を担う「第一線の捜査官」であるという意識が欠如し、「管理職」気分でいたとしか思えない。

 大坪部長らによる犯人隠避は、こうしたずさんな捜査を指揮したことの責任逃れ、自己保身から行ったものと思う。最高検の検証が、この点を指摘したのは正しい。

 ただ、検証報告は、こと大坪部長にかかわる部分については、ある程度、割り引いて受け取らねばならないかもしれない。

 検証報告書は、前田検事が、FD記録の報告を怠ったのは、消極的な捜査を嫌う大坪部長の姿勢が大阪特捜部内に「物言えば唇寒し」的な雰囲気を作り、それが、前田元検事が報告をしなかった原因のひとつ、と認定している。

 しかし、大坪部長は犯人隠避容疑に問われ、最高検の捜査に対し非協力だったとされる。仮に、その非協力ゆえに、前田検事らの供述で一方的に大坪部長を悪者にしているとすれば、それも問題だ。

 ■決裁責任者の問題

 大阪特捜部の捜査、訴追に対する決裁責任者は、検事正だ。そして、その検事正のチェックを補佐するのが次席検事である。彼らのチェックも機能しなかった。

 検証報告書は、その点について以下のように指摘する。

 「本件の捜査・処理に関する大阪地検内の決裁は、着手前、中間時、処分時などにおいて、検事正室において、三浦正晴検事正、玉井英章次席検事、大坪部長及び前田検事等が出席し、前田検事が報告書に基づいて報告・説明を行うという形で行われた」(同)

 「重要な供述調書の写しは、随時、三浦検事正及び玉井次席検事にも届けられていたが、決裁における各報告書は、主要な供述や証拠などが記載されたものにすぎず、関係者の供述とこれに対応する客観的証拠の有無・内容を対照した資料など、各証拠の信用性について十分な吟味を加えた成果を示す内容のものはなかった」(同)

 「三浦検事正及び玉井次席検事は、決裁において、このように、前田検事の報告書が決裁資料として不十分なものであったにもかかわらず、必要な補充をさせることなく、また、詳細な証拠関係、客観的証拠の有無・内容、消極証拠の有無・内容などを十分に報告させないまま、捜査の着手や処分などの決裁を行ったものである」(同)

 「特に、本件公的証明書を作成したコンピュータや外部記憶装置の有無について、何ら指摘・検討が成されなかったことは、コンピュータによる文書の作成という本件事案の内容に鑑み、決裁の在り方として、極めて大きな問題であった」(同)

 検証報告書を読むだけでも、大阪地検の検事正と次席検事は一体、何をしていたのかと思う。日常的に発生するごくありふれた事件ならいざ知らず、中央省庁の局長を逮捕・起訴しようというのである。そのような重大事件であるがゆえに、特捜部から検事正・次席検事に決裁を求めてきたのではないのか。検事正・次席検事には事件の重大性と自身の職責の重大さについての認識が欠如していたとしかいいようがない。

 ■高検、最高検のチェック不在

 このような稚拙・ずさんな捜査をチェックできなかった組織の問題がある。

 検察が大きな事件を手掛けるときは必ず、事件の着手前に地検が高検検事長に着手や処理の報告を上げて了承を受ける。

 さらに、検事総長をはじめ主要幹部が顔を揃える「検察首脳会議」(通称「御前会議」)にも報告してその了承を得るのが通例だ。しかし、現職の厚生労働省局長を逮捕、起訴した事件では検察首脳会議は開かれていなかったようだ。

 検証報告書によると、大阪高検への報告は、着手、中間、処分時に、検事長室で、中尾巧・検事長、太田茂・高検次席検事、斎藤雄彦・同刑事部長、大坪元部長、前田元検事らによる会議が開かれ、前田検事が報告書に基づいて報告・説明を行うという形で行われた。

 「検事長らが直接、前田検事らに対し、証拠の具体的内容や証拠の疑問点を尋ねるなど具体的な検討が行われ、捜査方針や捜査の留意点に関する指導が行われたが、当時の大阪高検には、供述調書の写しの送付を受けて証拠関係を検討する検事は存在しなかった。FDの問題などの証拠上の問題点については報告されなかったため、それを把握できないまま、特に問題はないとして了承された」(公表版20ページ)

 一方、最高検へは、大阪担当の中村明検事が、斎藤・高検刑事部長から、報告書などの資料の送付を受け、電話で報告・説明を受けて、その検討の結果を鈴木和宏・最高検刑事部長、伊藤鉄男・次長検事と樋渡利秋・検事総長に報告してその了承を得るという形で行われた。村木さんの処分については、斎藤高検部長が最高検を訪れ、中村検事と協議の上、報告書に基づき検事総長室において伊藤次長、樋渡総長に処分の方針を報告し了承を得ていた。

 報告書は、大阪高検の検討に使われたものが送付されたが、検事総長らに報告する際は、1-2枚程度にまとめた資料を別に作り、それに基づいて報告。送付された報告書は手渡すのにとどめた。FDなど証拠上の問題は、大阪高検から報告されなかったため、特に問題ないものとして了承した。

 最高検の検証報告は「具体的な証拠関係の把握及び検討は、基本的に、地検に委ねられ、消極証拠や供述の不整合などの問題点の検討も、地検内の決裁などにおいて十分に行われた上で、上級庁に報告されるべきものと考えられていた。従って、本件のように主任検察官が意図的に証拠上の問題点を報告しないまま、地検の決裁を了した場合には、高検や最高検がこれを探索して把握することは事実上困難であった」(同)としている。

 果たしてそういって済ますことができるであろうか。厚労省局長を逮捕するという事案は重大である。まさに高検、最高検がチェック機能を働かせるべき事案だった。もっと詳細な報告を求め、徹底した証拠の吟味をすべきであった。そうしていれば、冒頭に指摘した「稚拙な捜査」を見破ることは容易であったであろう。

 特に、当時の大阪高検検事長らは、村木さん逮捕の前に、前田検事から「村木さんの指示はなく、独断で本件公的証明書を作成した」との厚労省係長の供述の報告を受けた際、「係長が独断で本件公的証明書を作成することは考えられない」旨の指摘していた、と検証報告は記している。(公表版21ページ)

 これは事実上、前田検事に、事件の構図を押しつけるものだ。押しつけていながら、決裁できちんと証拠を吟味しなかった。これは無責任以外のなにものでもない。

 高検、最高検のチェックシステムが形骸化していて何の機能も果たさなかったということは、高検、最高検の首脳には大阪地検の検事正、次席検事と同様、事件の重大性と自身の職責の重大さについての認識が欠如していたからにほかならず、その責任は重大である。

 事件後に会った当時の検察最高幹部の一人は、我々OBに対して事件に対する一言の謝罪もなく、自分は事件とは無縁であるかのような態度であった。オウム真理教事件の際に検事調書を自ら読んで決裁に当たっていた、当時の検事総長、吉永祐介氏の気概との落差はあまりにも大きすぎる。今に至るも責任を自覚していないこういうトップに率いられた組織の緩みが、本件の背景にあったと思えてならない。

 ■問題発覚後の対応の不可解

 さらに、驚いたのは、改ざん問題発覚後の検察組織の対応の遅れ、鈍さだ。

 第1に、09年1月27日の村木さんの事件の第1回公判において、弁護人からFDの最終更新日と郵便局が凛の会に証明書の提出を求めた日時との矛盾が指摘された。弁護人のこの指摘は、検察にとって致命傷になりかねない重大事であったにもかかわらず、大阪地検では、特捜部と公判部、あるいは検事正以下の幹部で対応を検討した形跡がない。大阪高検、最高検も動いた形跡がない。

 第2に、その直後の1月30日に若手検事3名が佐賀副部長を呼び出して前田検事のFD改ざんについて事実を解明して公表するよう申告したにもかかわらず、部長の判断で過失として処理されてしまった。この点については、大坪、佐賀の両特捜部幹部は犯人隠避罪に問われた。

 最高検の検証報告や大坪部長らに対する起訴状によると、大坪部長は、前田検事の改ざんの事実を把握しながら、玉井・次席検事に「前田が本件フロッピーディスクのデータ確認作業を行ったことを本件データの書き換えであると公判担当の検事が問題としたが、それはいいがかりにすぎず、本件データについては本件フロッピーディスクが還付されていて改変の有無を確認できない上、本件データが変わった可能性があっても、確認作業中の過誤にすぎない」、小林敬検事正に「前田が本件フロッピーディスクのデータ確認作業を行ったことを本件データの書き換えであると公判担当の検事が騒いでいるが、言いがかりであり問題はない」と虚偽の報告をした、としている。

 検事正、次席検事は、大坪部長にまんまと騙されたという構図になっている。

 しかし、2人が大坪部長から受けた報告には、重大な情報が含まれていた。

 検察組織の中で地検の検事正や次席検事の権限は大きく、責任は重い。重要証拠のFDに手を加えたとあれば、それが過失によるか故意なのかを問わず、その真偽を確認するのが地検の管理者としては当然であり、これをしなかったこと自体が職務怠慢である。

 この場合、FDが既に返還されていたということは正当化の理由にならない。他人の所有物に対して、検事といえども内容を変更する権限はないのであるから、所有者に対して事情を説明すべきであり、この措置をとっていないことも大きな問題である。

 しかも、FDデータを作成した厚労省の係長側から要請がないのに、前田検事の判断で、裁判の確定を待たずに第1回公判の前に、郵便でFDを返していたという、通常の証拠品返還事務では決して行われることのない、極めて不自然な行動に対して何の対応もしていない。幹部としてやるべきことをまったくやっていない。この対応の鈍さは信じ難いくらいである。

 私が2人の立場なら、直ちにFDの改変について関係検事を呼びつけ徹底して調べただろう。2人は、職務怠慢だったとして懲戒処分を受け退任したが、それぐらいで済む話だったのかどうか。

 その後、裁判で供述調書の信用性が否定され、事件の骨格事実に対応する供述調書のほとんどが証拠採用されなかったにもかかわらず、村木さんに対して有罪の論告をした。

 検察組織全体でもっと早くに検証し対応していたら部長、副部長らの犯人隠避事件は起こらなかったであろうし、ここまで検察の信頼は落ちなかったのではないかと、残念に思う。

 ■検察幹部の劣化

 検察の仕事にマニュアルはない。特に、捜査については、職人芸的な部分が強く、日常の事件処理を通じて先輩が後輩を指導する中で実力を養ってきた。

 ところが、検事正になると、事件決裁を次席検事に任せる検事が結構存在した。そういう検事正が話の分かる、在るべき検事正像のように検察組織内で受け止められる空気があった。一線では「仕事師」と言われた検事でも検事正になるとそういう検事正になる傾向があった。

 そういう検事正は、毎月決裁を要する各検事の「事件簿」さえ見ない(決裁印のみは押す)ので、部下の検事がどんな事件を担当しているのか分からないし、部下の実力を正当に評価することもできない。

 このように、小地検の検察運営をきちんとしない(できない)検事正が、その後、最高検の幹部として全国の地検・高検を指揮し、あるいは検事長として管内地検を指揮することになる。

 他方、若手検事は経験豊富な検事正の直接の指導を受けたがっている。次席検事もまたそのほとんどは、東京地検では副部長以下の若手クラスに位置し、経験豊富とは言えず、未だ検事正の指導を必要とする年代である。

 指導するべき立場にある検事正が指導を怠り、部下の検事が指導を受けられないという長い間の悪習が体質と化して、検察の実力低下を招いたのではないか。

 ■「偉くなりすぎた」検察幹部

 特捜事件といってもピンからキリまである。組織の英知を傾けなければならないような事件は必ずしも多くはないが、中央省庁の幹部を対象とした本件はその数少ない事件である。

 そのような事件について問題が起こったことが事態の深刻さを物語っている。一線のみならず、幹部・首脳検事の実力を疑う。検察の実力の低下を象徴する事件といえる。

 本件における大阪地検次席検事、検事正、大阪高検刑事部長、次席検事、検事長、最高検担当検事、刑事部長、次長検事及び検事総長は、どんな事件決裁をしていたのか。報告書記載のこれら役職者の行動は、真相究明を使命とする検事というより、いわゆる行政官僚という感じがする。

 地・高裁の裁判官が65歳、最高裁の裁判官が70歳の定年まで、丹念に事件記録を読み込んで法廷で裁判実務に取り組んでいるのに対し、検察幹部はあまりにも偉すぎる態度である。

 一流大学出身検事の中には、検事の仕事そのものに魅力を感じて任官したというのではなく、中央省庁で出世したいという、そのために検事の職を選択したと思われる者が目につく。

 学力と検事としての実力・資質は別物であるので、検事としての実力・資質に欠ける幹部に指導される組織は不幸というほかない。

 ■今後の対応策

 検察改革は、組織をいじることより先に、検察の原点に戻る意識改革と泥臭い実行、そして適正な人事の断行が必要である。

 報告書記載の対応策は、取調べの一部可視化を除くと、「特捜部の独自捜査事件について、高検が起訴・不起訴を指揮するという体制の構築」などは、従前行ってきたことを明確に組織化しようとするものである。

 しかし、捜査をする一線の検事に決裁のための資料作り等余分な労力をかけさせて負担を増やすことになるような組織改革は、真の改革とはいえない。

 地検検事正・次席検事、高検・最高検の幹部が、上記で指摘した官僚意識を捨てて本来の検事としての矜持をもって決裁に当たれば、わざわざ新しい組織とする必要はないと思われる。

 検事教育をしっかりやってもらいたい。検察の役割は、事件の真相を解明することにあり、事件を作ることではないということ、及び権力の行使には謙抑的であれということをしっかり教え込んでもらいたい。若手の一線検事に対しのみならず、検事正等幹部に対しても、である。

 五十嵐 紀男(いがらし・のりお)
 1940(昭和15年)8月30日生まれ。

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